北越後だより

晩酌のお供にしたい「酒ペディア」〜江戸時代のお酒事情

古くから親しまれてきた日本酒は、奈良時代に製造方法が確立されたといわれています。長く正月や祭礼に用いられていましたが、江戸時代には庶民にも広く飲まれるようになり、居酒屋が1800軒以上あったとされます。お酒はどのように流通していたのでしょうか。当時の飲み方とともにご紹介します。

 

「水増し」の語源にもなった、酒の流通

江戸時代に酒どころといえば上方の摂泉十二郷、現在の兵庫県北摂津地域から大阪湾一帯でした。上方から船で江戸に運ばれてきていた清酒は「下り酒」と呼ばれて人気がありました。

当時、酒税を払うのは酒蔵だったため、アルコール度数の高い酒を作り、問屋を通るたびに水で薄められるということが横行。これが現在でも使われる「水増し」の語源といわれています。

幕府は江戸周辺の食品製造業を盛んにしたいと考えていましたが、酒は上方に分があったため、江戸周辺では醤油やみりんなどの製造が推奨されました。今も醤油の味が東西で異なるのは、この頃の名残りがあるためだとされています。

 

江戸の町には居酒屋が1800軒以上あった

時代劇や時代小説によく登場する居酒屋ですが、江戸時代は1800軒以上の居酒屋があったそうです。酒屋の店先で居ながらにして飲むスタイルが主流でした。

当時の江戸は男女比が2対1だったといわれます。参勤交代で侍が多く、地方から労働力としても男性が集まって独身男性が多かったことから、食事をしながら晩酌ができる居酒屋の数が増えたと考えられています。

居酒屋では里芋の煮っころがしや冷奴などの豆腐類、数の子や鮭など海産物の塩漬けなどがメニューに並んでいました。また江戸前の魚の刺身やマグロとネギのねぎまなどの焼き物や、ゆでダコなども人気が高かったようです。

 

江戸時代のお酒の飲み方

現代では清酒を冷やして飲むことも多いですが、江戸時代は一年中熱燗を飲むのが主流でした。これは江戸時代が寒冷期で、現代よりずっと気温が低かったことだけが原因ではないようです。

安土桃山時代に来日し、織田信長に謁見したポルトガル人宣教師ルイス・フロイスが記した『日欧文化比較』には、日本人は一年中酒を温めて飲むという記述があります。

日本人は遺伝的に、アルコールの分解酵素が少ない人が多いことが科学的に証明されています。酒を温めてアルコールを飛ばした燗酒が好まれてきたのは、このことが理由なのかもしれません。

 

江戸時代をイメージしたお酒「節五郎元禄酒」

菊水酒造では江戸時代の庶民が愛したお酒をイメージした『節五郎元禄酒』を製造・販売しています。元禄期に珍重された「甘みのある油のような酒」の味わいを再現した濃厚芳醇で、力強く押しのあるお酒に仕上がっています。

製法は当時にさながらに、酒米は削らずに精米具合は90%。麹の割合を高くすることで甘みが強調され、仕込み水も極端に少なくして濃厚な飲み口に仕立て上げました。

濃厚芳醇な『節五郎元禄酒』は、よく冷やすか、氷を浮かべる飲み方が合います。昔の人も暑い日には、氷室から氷を持ってきて酒に浸して楽しむということもあったそう。江戸時代の酒の飲み方を真似して水で割ると、酒の持つ強い酸味が強調され、爽やかで飲みやすくなります。お湯で割ると酒の強い甘味が強調されて柔らかな飲み口が楽しめますよ。

江戸時代の暮らしやお酒の歴史に想いを馳せながら、『節五郎元禄酒』を楽しんでみてはいかがでしょうか?