北越後だより

2022年07月13日

新しいユニフォームはアロハシャツ。

「菊水はお酒を愉しくする会社でしょう?」菊水の社長・髙澤が折に触れ私達社員に問いかける言葉です。 商品開発もご提案も接客もイベントなど、菊水の全ての行動の根幹にはこの言葉があります。 そんな菊水の名実ともに看板商品である『ふなぐち』が発売50周年を迎えました。この記念イヤーを『ふなぐち』好きの皆様と共有したい、日本酒好きな皆様と喜びたい、なんなら日本酒好きじゃない方々とも楽しみたい!お酒を愉しくする菊水、お酒を通して心豊かな生活をお届けしたい菊水、菊水らしい何かが出来ないか…… 出した答えの1つが「アロハシャツ」です。 酒蔵でアロハ?! 夏らしいフランクさがあって、着る人もウキウキ愉しくなって、見る人がつい「アロハ、可愛いですね」と気軽に声を掛けたくなる様な、そのアロハを着た人がそこに居るだけで場がパッと明るくなる様な、そんなお揃いのアロハシャツでお客様とお会いしよう、一緒に発売50周年記念を愉しもう、との想いからです。 アロハシャツって不思議です。菊水には20代〜60代の社員がおりますが、皆それぞれに似合ったのです。皆が何となく着こなせているのです。上の画像は社長を中心に、いつもお客様の最前線に立つ部署の社員の、アロハシャツお披露目で撮影したものです。様々な年代の社員が並んでいますが、皆それぞれに似合っていると思いませんか?可愛いく着こなす人、お茶目に、実直に、少し照れながら、渋めに等々それぞれの個性をアロハが引き立たせてくれるかの様に見え、とても驚きました。早速こちらを公式のSNSに掲載すると大きな反響があり、中には「どこで購入できますか?」の問い合わせもたくさん頂きました。 アロハマジック!アロハ効果恐るべし。着る人の年代それぞれに似合ってしまう懐の深さに興味が出て、アロハシャツの歴史を少し調べてみました。 アロハシャツの歴史を少し ALOHAとはハワイ語で「好意・愛情・慈悲・優しい気持ち・思いやり・挨拶」という意味を表すそうです。ゆったりした着心地、愉しいデザイン、カラフルな色使いのシャツが持つイメージにぴったりですね。ナイスネーミング! です。アロハシャツの発祥には諸説あるようですが、ハワイの日系移民が深く関わっていることは間違いない様です。ハワイのサトウキビ畑で働く日系移民が作業着として着ていた開襟シャツ「パカラシャツ」、これが現在のアロハシャツの原型になったと言われています。常夏の地での畑仕事用作業着が起源ときけば、現在のアロハシャツの、風通しの良い開襟で、身体の動きを妨げないゆったりした着心地といった形状に合点がいきます。 この様に日系移民の作業着として浸透していたパカラシャツ。日系移民は、日本から持ってきていた着物や浴衣が古くなると、その端切れを子供用のパカラ風シャツに仕立て直して着せていたそう。この着物や浴衣の日本独特のデザイン、いわゆる和柄が、現地の人や観光で訪れる人の目を惹き、徐々に人気を博していったのだそうです。 その後、日系移民である仕立て屋「ムサシヤ・ショーテン」が和柄の生地を使った開襟シャツを仕立てて販売、1935年に新聞に「アロハシャツ」という名称で広告を出したのが始まりだそうです。翌年にはムサシヤのアロハシャツを取り扱う中国系移民の洋品店が「アロハシャツ」を商標登録し、1950年代は特に和柄のアロハシャツが多く造られました。南国風やハワイを象徴する柄のものなども多く出回り、ハワイを代表するウェアとして定着、1960年代後半までにはハワイのビジネスシーンにもアロハシャツが浸透したとか。今では冠婚葬祭の場でも着用されるハワイのフォーマルウェアにまでなっていることは皆さんご存知のとおりです。 海を渡った日系の移民の作業着だったパカラシャツ(パカラシャツ自体は英米の船員がもたらしたフロックシャツが由来)、その形を基に着物・浴衣を仕立て直して子供に着せたパカラ風シャツがアロハシャツを産み、長い時間を経てハワイに定着したという歴史、そしてそのアロハシャツをここ日本で『ふなぐち』50周年記念のお祝として身にまとう私達。アロハシャツが海を渡り日本に里帰りして来てくれたような、不思議な感慨を覚えます。 遠く離れた異国の地で、日本独特の生地や文様、言い換えると日本の文化ともいえる和柄が現地の人の目に新鮮な驚きを与え、惹きつけ、多くの人に受け入れられ、長い時間の経過とともに現地に即した変容を重ねながら、現地に定着する…… これは、日本酒が海を渡り受け入れられるまでの道筋と重なって見えました。   財務省の貿易統計に基づく日本酒造組合中央会の発表によると、2021年(1〜12月)の日本酒輸出実績は、金額・数量ともに過去最高を記録、金額では約401億円に達しました。海外での日本酒の人気はうなぎのぼりと言える数字です。また、現地でのSAKE造りを行う蔵も増加しており、ある調査では世界全体で60以上の酒蔵があるそうです。ちなみに「日本酒」と名乗れるのは、日本の国産米を原料とし、かつ日本国内で製造された清酒のみです。よってここでは海外で作られる清酒はSAKEと記しています。 以前より日本酒はこんなに海外で人気だったのでしょうか?そもそも日本酒っていつから輸出されているの?いろんな疑問が湧いてきますね。酒どころで知られる西宮の白鹿記念酒造博物館で、昨年12月より今年3月まで日本酒の海外進出の歴史を追った企画展「酒からSAKEへ」が開催されました。その紹介記事が様々な疑問に答えてくれています。日本酒の海外進出の契機と考えられているのは明治の欧州で開催された万国博覧会。世界に日本酒を知ってもらうために、1878年の第3回パリ万博、1889年第4回パリ万博、1900年第5回パリ万博と複数年にわたって参加し日本酒を出品しましたが、残念ながら万博での高評価にはつながらず、「ほろ苦いデビュー」だったそうです。一方でアロハシャツと同様に日系移民がここでもキーマンでした。同じ頃アジアやアメリカへ渡った日系移民に向け、日本酒が多く輸出されていたのです。遠く祖国を離れ慣れない環境で苦労されたであろう方々に、日本酒が疲れた身体を癒し、心を慰めてくれる必需品であったことは想像に難くありません。移民の為に日本酒が多く輸出された時期、そして戦争時の混乱期を経て、戦後は現地駐在の日本人による需要として日本酒の輸出量は増え続け、また同時に日本の大手酒造メーカーが現地生産を始めました。日本酒や現地生産SAKEは日系のみならず、じわじわと現地の人々にも受け入れられるようになりました。続いて起こった世界的な寿司・和食ブームに牽引されるように日本酒ブームが起こり、現在では先に記した様に日本酒の輸出増大、現地では日本の大手メーカーのみならず現地の人がマイクロブリュワリーを開設したり、日本人が海外で蔵を開き、そこで造られたSAKEが日本で人気になるという、いわば逆輸入の様な現象まで起きているのです。 アロハシャツと日本酒の来た道 菊水でも多くの酒を輸出しています。はじまりは1995年米国NY向けでした。信頼できるディストリビューターさんと出会えたことがきっかけです。 当初はやはり現地駐在員の使う飲食店向けがほとんどだったそうです。ハワイへの初出荷は2001年。その後、米国本土でもハワイでもじわじわと、でも確実に駐在の日本人向けのみならず、現地人向けの飲食店や小売店で菊水の酒の取り扱いが増えていきました。 需要の増加が進む中、2006年にはディストリビューターさんが「もっと日本酒を学び、正しい知識をもって販売したい」と、1週間ほどこちらに滞在し、洗米から上槽まで菊水の酒造工程の一通りを全て体験する酒造研修を受けてくださることになりました。 この研修は日本酒の深い知識を得ていただけたばかりか、現地のディストリビューターの社員さんと菊水が互いのことをより理解しあえるという副産物も与えてくれたのです。そしてこの研修は毎年続くようになりました。 研修にいらっしゃる方々はディストリビューターさんをはじめ、今では菊水の酒を取り扱ってくださる飲食店の方々にまで範囲が広がりました(コロナ禍で現在は休止中)。来ていただくばかりではなく、菊水も動きました。2010年には現地法人 KIKUSUI SAKEUSA,INC.をLAに、続いてNYにも設立しました。かの地でしっかりと菊水の美味しさを伝える専任スタッフが常駐し、日々活動に勤しんでいます。 米国からはじまり、現在ではアジアや欧州など23ヶ国に向け私達の酒を輸出しています。 後にアロハシャツとなる着物や浴衣の素材は、ハワイへ渡った日本人と共に海を越え、日本酒はアジアや米国へ渡った日本人に向け輸出されました。 はじまりは日本人のためだった日本独特のものが、時を経てゆっくりと現地の人々からも受け入れられ、次第に現地社会に溶け込んでいく。衣服の和柄と飲料の日本酒と違いはあれ、それらが辿った道筋はとても似ているように思えます。良い物は国を超え、時を超え、文化の壁を越えそして物自体もその時代やその場に即して変容していくことで、一層愛され残っていくという道筋は共通していますね。ある国の文化といえるものが、異国・異文化へ拡がっていく様に普遍性を感じます。酒造会社である私たち菊水がアロハシャツを着ることに不思議なご縁を感じずにはいられません。 古より続く文化を守ることはとても大事なことです。しかし頑なに昔からの形式だけに固執するのではなく、その文化の本質を大切にしながらも同時に時代に沿った方法を柔軟に取り入れ、今この時代に生きる皆さんとその文化の楽しさや美味しさを共有できることが何より大事だと私たちは考えます。長い時を生き抜きアロハシャツや日本酒が今でも愛されているのは、大きな時流のうねりの中で、たくさんの先人がその時代その場所に合った方法で着用・愛飲してきたからに他なりません。長く愛されているものの歴史を振り返りその知恵を学ぶことで、未来につながっていくのではないでしょうか。 アロハシャツと日本酒の来た道を知り、そんなことを思いました。 菊水のアロハシャツは、アイコン化された『ふなぐち』を四方八方に散りばめ、地色は『ふなぐち』の補色であるブルー、よく見ると菊水紋も描かれています。 爽やかで明るくて、どこか懐かしいノスタルジックなイメージのアロハシャツ、菊水社員それぞれの年代に合わせた着こなしを観にいらっしゃいませんか。 ◆蔵元直送オンラインショップ「KAYOIGURA」 KEITA MARUYAMAデザイン。菊水スタッフ着用のレアアイテムが限定発売! <新発売> 菊水オリジナル ふなぐちアロハシャツ https://www.kikusui-sake.shop/c/shuki/aloha   ◆WEBマガジン「菊水通信」 https://www.kikusui-sake.com/book/vol20/#target/page_no=7 ◆参考 ・サンサーフ(東洋エンタープライズ)「HISTORY OF ALOHA SHIRT Vol.001 /アロハシャツの起源と歴史①」https://www.sunsurf.jp/news/193/ ・お酒の輸出と海外産清酒・焼酎に関する調査(Ⅱ)喜多常夫(醸協2009) ・続・ハワイにおける日本酒の歴史 二瓶孝夫(醸協1985) ・SAKE TIMES 日本の「酒」が世界の「SAKE」となるまで ―白鹿記念酒造博物館で学ぶ日本酒の海外進出の歴史 https://jp.sake-times.com/knowledge/international/sake_hakushika-memorial-museum

2019年12月06日

菊水の辛口が飲める、常連になりたいお店をご紹介。新橋「雪國」

200軒ほどの酒場がひしめく新橋は、サラリーマンのオアシスなんて言われている。 そんな路地裏の一角にある居酒屋「雪国」は、昭和55年7月7日、七夕に産声をあげた。それも「菊水の辛口」が誕生した2年後のことである。 藍染に白抜き、雪山がモチーフにされた小ぶりな暖簾をくぐると、店内はいい具合に狭小でカウンター9席のみ。店を切り盛りする女将、石黒千賀子さんの人柄に吸い寄せられるように、毎夜サラリーマン、OLが集い賑わっている。 お勧めの肴は「鯵の甘酢煮」、季節の「自家製カツオのたたき」、「キャベツとコンビーフ炒め」など。酒は各種揃えているが、なんと言っても店の看板に掲げられた「菊水の辛口」がメインだ。 「開店したばかりのころですね、新潟の姉から『新発田の菊水が金賞を取って人気があるらしいわよ』って聞いたものだから。それで扱うようになったんですよ」 「と言うことは、開店から38年間ず~っと菊水の辛口置いてるんですね。ちょっと一杯いただけますか」 「どうぞ。5時から6時半までタイムサービスなんですよ」 一杯500円の「菊水の辛口」が、その時間帯だけ破格の300円で提供されている。いや~飲み助にはありがたい。 「タイムサービスで6、7杯飲む人いるんですよ…」 「そりゃ凄い!」 冷え冷えのグラスでクイっと一杯、キリっと辛口でほどよい旨味。「鯵の甘酢煮」をいただきながら、また一杯。 「やっぱ美味しいな~」 「このお酒、飲みやすいのは当たり前なんですけど、料理の味を邪魔しないんですよね」 確かに。キレのある口当たりだけど、スッキリとし過ぎない味わいがどんな料理にも合うのだろう。甘口、または淡麗が際立つと途中で飲み飽きてくるけど、この酒はほどよい旨味も手伝って、いつまでも飲み続けることが出来るのだ。 「カツオのたたきもどうぞ」 カツオに薬味をタップリ乗せてカブリつく。 「菊水おかわりください」 「ね、進むでしょう」 「菊水の辛口」は突き抜けた個性があるお酒じゃない。でもどんな場面でもいつでも安心して飲める普遍的な味わいが潜んでいる。これが日本酒党に長年愛され続ける最大の理由だろう。 「3杯目おかわりします?」 「はいお願いします。ついつい飲んじゃいますね」 開店から38年という「雪国」の営みは、新橋にどっしりと根を下ろした燻し銀の趣がある。 女将の人柄、旨い肴と旨い日本酒は、穏やかに心身を癒してゆく。 「もう一杯いただけますか」 「あら4杯目、お強いですね」 酔いに任せてダラダラと時間を貪る、これが酒場の至福のひとときだ。 取材日:2018年6月21日   新橋「雪國」 【住所】東京都港区新橋2-10-9  【電話】 03-3508-9867 【営業】17時~23時(L.O.22時30分) 【休日】土・日・祝 【アクセス】JR各線「新橋駅」銀座口・烏森口から徒歩3分   取材・文/小野員裕   元祖 新潟の辛口酒 菊水の辛口