北越後だより

2021年01月08日

|日文研EYE|もうヒトツの菊水 皇室下賜品 御酒頂戴と恩賜煙草 

新年のTVニュースの定番といえば皇室の新年一般参賀の様子でしょうか。毎年1月2日、皇居において天皇皇后両陛下が国民から祝賀をお受けになる新年一般参賀、令和2年は68,710もの人が祝賀に参加したとのことですが、令和3年は新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止の観点から、一般参賀は行わないこととなりました。また皇居などで除草,清掃,庭園作業などを行うボランティアである皇居勤労奉仕も人数が制限されているようです。コロナはこんな所にも影響が出るのですね。 さて、皇室や宮家に対して功績があった場合や、皇室のためにお勤め(上記の勤労奉仕など)をしたときに賜る品を「皇室下賜品」といいます。 皇室下賜品にはボンボニエール(砂糖菓子ボンボンを入れる小さな菓子器。日本では皇室の慶事の際に配られます)をはじめシガレットケース、花瓶、杯、懐中時計など様々な種類があります。 国内外向け問わず皇室のお気持ちを表される下賜品ですから、国内の名工の手によるものが多く、日本の伝統技術や国内産業を保護し育成する役割も持つといえるでしょう。下賜品には皇室を象徴する16枚の花弁の「菊の紋」が刻印されており大変貴重です。 現在はご下賜品を賜るという機会は少なくなりましたが、戦前までは様々な品物が下賜されていたのです。 遡ること150余年、明治元(慶応四、1868)年7月17日に江戸が東京と改められ、8月17日には幸橋御門内の元大和郡山藩柳沢家上屋敷が東京府庁となり、9月8日には明治と改元されました。 そして天皇東幸。京都御所を出発した明治天皇一行(その行列3300人余り!)が10月13日に江戸城西丸にお着きになられたのが10月13日です。 東京府に対して「今般御東輦に付東京市中一同ヘ御酒下賜候間夫々分配可取計候事」の御沙汰書が達せられました。天皇の御東幸を祝して「天盃下賜」つまりお酒が下賜されたのです。 11月4日、市中の名主たちが府庁に集められ下賜酒が配られたそうです。御酒のほか鯣(するめ)一連、土器(かわらけ)一片に木台をそえ、名主一人に酒入り瓶子(へいし)一対ずつが添えられたとの記録もあります。 当日は早朝から「天酒頂戴」「天賜盃」「天之美禄」「御神酒頂戴」などと大書した幟を先頭に府庁に出頭し、帰りは揃いの鉢巻きと法被の鳶衆が鉦や太鼓を打ち鳴らし、下賜酒を積んだ車が大勢の男女に引かれて町内に帰っていったそうです。 11月6、7両日には東京市民は家業を休み、注連縄を張り紅白の幕を引き回し、葉付きの竹で不浄を祓い、鏡餅など供物を献げて頂戴した「天酒」を飾り、踊り屋台や花車を出し、さらに揃いの衣装に花笠をつけ練り歩くなど、まるで祭礼のような盛り上がりをみせたといわれます。「公方様のお膝元の江戸」から「天朝様のお膝元の東京」へとガラリと変身した、その立役者が下賜品の天酒つまり日本酒だったと思うのは、酒蔵勤務の贔屓目でしょうか。 この天盃頂戴の様子は浮世絵にも描かれており、日文研では歌川広重が描いた錦絵大判三枚綴 「東京幸橋御門内の図」を収蔵しています。     大きな幟に色とりどりの飾り物、鉦や太鼓のお囃子に多くの酒樽、何より人々の狂喜乱舞する様子がイキイキと描かれた、こちらまで楽しくなってしまう様な作品です。広重が描く嬉しさ満開の人々のパワーに押され、この資料をもとに帆前掛け「御酒頂戴」を作成しました。「御酒頂戴」と白抜きの幟を中心に、喜ぶ人々とその酒樽を意匠にあしらい、丁度良い長さのカフェエプロンサイズとしました。     ポットを2つ付け、そのうち1つはファスナー付きです。歴史ある錦絵に基づきながらもオシャレなデザイン尚且つ使い勝手よし!手前味噌ながらお薦めの一品です。 菊水日本酒文化研究所所蔵の錦絵「東京幸橋御門内の図」をデザイン化した菊水オリジナルの前掛け。 【菊水オリジナル】 前掛け(東京幸橋御門内の図) ¥2,915(税込) https://www.kikusui-sake.shop/c/shuki/kayoibukuro/21776   話を下賜品に戻しましょう。現在最も身近な皇室下賜品は、皇居勤労奉仕に参加したときに賜ることができる「和菓子」です。また現在では健康増進法の制定などで廃止されましたが、「恩賜煙草」も比較的よく知られた下賜品ではないでしょうか。 日文研ではこの「恩賜煙草」を資料として収蔵しています。 白い箱には黒で「賜」の文字が箔押しされており、煙草1本ずつに皇室を表す菊花紋章が入っています。市販はされておらず、叙勲者や園遊会出席者、宮内庁奉仕団、皇室関連ボランティア活動などへの謝礼品として下賜されていました。 1959(昭和34)年に天覧試合として後楽園球場で開催されたプロ野球試合の選手にも配られたそうですよ。 少し調べてみるだけでも、伝統工芸職工技術の保護育成として、また国民へのお心遣いとして、下賜品には多くの種類があり、またそれぞれに託された役割があること、そして時代の世相がそれぞれに表れていることが分かりました。あらためて日本の歴史文化を知る面白さを実感した次第です。 現在「恩賜煙草」は展示しておりませんが、錦絵大判三枚綴 「東京幸橋御門内の図」は複製を常設展示しています。十分に感染症予防も行いつつ、息抜きのおでかけに菊水日本酒文化研究所のご見学にいらっしゃいませんか?   菊水日本酒文化研究所 ▼ご見学申し込みはこちら https://www.kikusui-sake.com/home/jp/labo/ *注:特定の思想・主義・政治的立場などによる記事ではない旨ご理解をお願い致します。 <参考文献> 「日本の酒5000年」加藤百一著 技報堂出版 「たばこと共に七十余年」日本専売公社東京工場 宮内庁ホームページ https://www.kunaicho.go.jp/ 東京街人https://guidetokyo.info/ 内 滝口正哉著 *帆前掛け「御酒頂戴」は昔ながらの染め方のため染色助剤(色止剤)の匂いが残る場合がありますが、洗濯により軽減されます。また移染しやすいので他の物と分けて洗う等ご注意ください。

2020年11月09日

古のチラシ「引札」百花繚乱

私たちがチラシと呼んでいる広告宣伝のために作られ配布される印刷物、実は江戸の頃からあったのをご存じですか? もちろん今のような印刷技術はありませんから往時は木版画、名称も「引札」と呼ばれていたようです。始まったのは元禄の頃からで、町人文化の最盛期である文化文政の頃から花開いたと言われています。 江戸時代の商業主義の発展に伴って登場し、明治時代には印刷技術の革新もあり、多種多様に盛んに発行されるようになりました。それまでの店の看板や暖簾といった常設の広告と大きく異なり、お客様の手に渡せ、多くの人に伝達できるこの画期的な宣伝手段は隆盛を極めました。 引札という名称も諸説ありますが、お客様を引く引き付けるための札だから引札という説、また昔は「配る」ことを「引く」とも言っていたことから引札と呼ぶという説が有力です。一般に引札と呼んだのは大正の初めころまでで、それ以降はチラシと呼ばれるようになったと(関西では昔からチラシと呼んでいたという説もあり)言われています。   まるでその時代にタイムスリップ!収蔵品の一部をご紹介 菊水の日本酒文化研究所(日文研)も200枚を超える引き札を所蔵しています。初期の品と思われる墨一色の口上を述べただけのシンプルなものから、店舗内部を描いた多色刷りの美しい絵図に、まるで現在の通販のような販売の仕組みを朗々と述べる口上を添えた呉服店の立派な引き札、オーソドックスに干支を描いた年始のご挨拶用引札から洒落の効いたデザイン性の高いものなど、本当にバリエーション豊かです。往時の人々の生活を活き活きと伝えてくれる引札資料は、見ているとまるでその時代にタイムスリップしたような気持ちになれるのです。一部をご紹介しましょう。   正月引札 干支 年始の挨拶に配るために作られた引札を、特に正月引札と呼びます。干支や宝船、福の神など新しい年を言祝ぐに相応しい吉祥柄が描かれることが多い様です。日文研所蔵の正月引札の中から今年(令和二年)の干支である子(ねずみ)の引札です。ねずみ、打ち出の小槌に実った稲穂とお目出たいモチーフが満載。表装したら掛け軸になりそうですね。 お多福満載 楽器を奏でたり、書をしたためたり、お酒を飲んだり、あらやだオホホと笑い合ったり、楽しそうなお福さんがぎっしりと描かれており、賑やかでお目出度くて微笑ましい作品。それぞれに違った様子のお福さんに思わずじっくりと見入ってしまいます。このみっちり感はまるで引札版ウォーリーを探せ!ですね。   専門は巨大化させちゃえ 鮮魚商と料理仕出し屋の引札ですから、魚介モチーフを大胆に描いたのでしょうか。あり得ない巨大な伊勢海老を恵比寿様が笑顔で捕まえている、おめでたくてユニークなデザインです。このお店なら生きが良い鮮魚扱っていそう!と思ってしまう、今でも十分通用しそうな洒落た引札ですね。   金のなる木!? 商売繁盛の福の神である大黒様と恵比寿様が園芸に勤しんでいます。その木は「よくはたら木(良く働き)、ゆだんのな木(油断の無き)、あさお木(朝起き)、家内むつまじ木(家内睦まじき)」など、お金持ちになる心構えの文字で出来ています。商人への格言集といった風情です。   版元(印刷業者)の工夫 見本(テンプレート)躍進 同じデザインなのに、違うお店の引札。これぞ版元の工夫で大流行した見本帳商売の活用例です。片や東村山の運送店、もう片方は京都の米屋です。同じ図柄であっても、運送店の方には大正五年の暦が入っており、米屋のほうには大きな米という文字が。同じテンプレートでもオリジナリティを出せる余地があったことが見て取れますね。   究極の複合技。グラビアで広告で情報誌! 幕末から明治中期にかけて活動した人気絵師 月岡芳年が描いた「東京料理頗別品(とうきょうりょうり すこぶる べっぴん) 芝口 伊勢原」。浮世絵の画題によくあった店の看板娘を描く美人画と、その店の宣伝を兼ねて描くという、ハイブリッドな工夫を凝らした作品です。これは、伊勢原以外にも久保町の松栄亭、芝神明の車屋など高名な会席茶屋に各地の美人名妓や仲居を描いた揃物(シリーズもの)です。二階の手すりに寄る芸妓 柏屋小兼、三味線を置いて徳利を持つ芸妓 立花屋小登喜、奥の階段を上ってくるのは仲居のよしと云われています。明治四年の作、文明開化ムードが窓の外の西洋館に見て取れます。なお、タイトル中の別品は、特別料理の別品と、美人の別嬪に掛けているのです。     いかがでしたか?引札を見ていると、社会の中での人々の生活や営みは100年以上前も、技術の差はあれど、大きな違いなど無いなぁと思います。人々の生活とそれを支える商売があって、それぞれが繁盛のために工夫を凝らす。デザイナーとしての絵師、引札のコピーライティングには戯作者が多かったようですし、出版社としての版元がいて、出来上がった引札は世間に散らばって、その情報を頼りに市井の人が買い物をしたり、アートとして部屋に飾ったり。歴史は全くの別世界などではなく、現在と地続きなのだなと実感してしまいます。 引札は、その時代の生活に密着した大衆的なものであっただけに、人々の生活、当時の社会情勢や文化を知る手がかりとなり得る、とても貴重な史料であるといえるでしょう。   引用:菊水通信Book版 Vol.12 https://www.kikusui-sake.com/book/vol12/#target/page_no=5

2020年11月06日

日本酒物語 | 日本最古の酒は、猿が造った?!

世界中のほとんどの民族が自分たちの酒を持っているように、日本でも、太古から主食である米で造る酒が飲み継がれています。 その深みのある、まろやかな味わいは世界に比類ないといわれ、各国のさまざまな料理にもよく合い、しかもアルコール度数は15~16度という胃にやさしい濃度。一度この味を知ったら手放せなくなるのが日本酒だといわれています。 では、この日本酒はいつ頃から作られ、飲まれているのでしょうか?また旨さの秘密は?そんな知りたいことがいっぱいの日本酒に関して、歴史をたどりながらお話していきます。 --------------- vol,1 | 日本最古の酒は、猿が造った?! 昔、猿が酒を造ったという話をお聞きになったことはありませんか? 満月の夜、猿が木の穴や岩のくぼみなどに食べ残した山ぶどうなどをかくしておくと、次の満月あたりには酒になっていたという『猿酒』エピソードです。 この酒をきこりが見つけて盗み飲みしていたというのです! それなら現在でも林業にたずさわる人たちが、どこかの山中で『猿酒』を発見したというニュースがSNSで拡散されてもおかしくないですが、残念ながらそういう知らせはありません。 やはり、作り話だったのかもしれません。   ところが、これと同じような酒を、実はほかならぬわれわれの祖先が造っていたという、ほぼ確実な痕跡が発見されているのです。 縄文中期にさかのぼります。 長野県諏訪郡富士見町の藤内遺跡群から出土した多くの土器のなかから、酒壷として使われていたと思われる高さ51cmという大型で膨らみのある『半人半蛙文 有孔鍔付土器』があったのです。 広い口元には、発酵によって出るガスが抜ける穴が18個あいていて、壷の中に山ぶどうの種子が付着していたのです。 ここから、日本最古の奬果(しょうか:汁の多い、種子の多い植物)の酒が造られていたものと考えられました。   同じ縄文中期まであったと思われているもうひとつの酒が、堅果(けんか:果皮が木質か革質で堅い果実。クリ・カシ・ナラなど)や雑穀などで造った『口噛み酒』です。 この酒は、日本の古代だけでなく、南米のアンデス高原やアマゾン上流域の先住民の間でも、それぞれの民族の食べ物(でんぷん質のもの)を口で噛んで造っていました。奬果の酒と、雑穀の酒が、地球上に現れたアルコール飲料の原点とみていいでしょう。 やがて、縄文後期に入り、中国から稲作が渡来すると、口噛みの技法は米飯による酒造りへと受け継がれていきました。   <参考文献・参考サイト> 日本酒物語 著/國府田宏行

2020年09月28日

夏過ぎて、虫の音聞けば うるわしき、菊見月見のひやおろし

厳しい暑さも幾分やわらぎ、朝夕は涼しさも感じられるようになってきた。公園を歩くと、喧しかったセミの声に代わって、草むらの中から心地いい虫の音が響いてくる。マスクをつけて過ごした前代未聞の夏。しかも今年の気温は容赦なかったので、ようやくひと夏越えた、乗り切ったという思いだ。   秋のはしり。日本酒の世界では、まず9月9日にイベントがあった。この日は、今日から『ひやおろし』を出荷していいという解禁日だったのだ。 『ひやおろし』とは、漢字で書くと『冷や卸し』。以前、生酒をテーマにした記事でも触れたが、通常、日本酒は出荷前に火入れを行なって品質を保つ。しかし江戸時代に、夏の盛りが過ぎて、外気と貯蔵樽の酒の温度が同じくらいになると、火入れをせずに冷やのまま出荷したことから『ひやおろし』という言葉が生まれた。   ひと夏の熟成を経た『ひやおろし』は、新酒の荒々しさが消え、味に丸みと深みがある。『菊水の純米酒』や『菊水の辛口』などは、出荷前に火入れをしていないので、製法としてはじつは『ひやおろし』なのだ。しかし冬に仕込み、春から夏に貯蔵熟成させ、9月9日以降に出荷するものを特別に『ひやおろし』と呼んでいる。   ではなぜ、9月9日なのか。実際はまだ残暑が厳しい時期なのだが、旧暦の九月九日が特別な日であったことから決められた。逆に言えば、まだ暑いのに火入れしないで出荷できるほど酒造技術が進歩したというわけでもある。   旧暦九月九日は、中国の重陽の節句。9という奇数で一番大きい数字が2つ重なることから、古くから大変めでたい日とされてきた。その風習が平安時代に伝来し、宮廷の儀式として定着。貴族たちが、まだ珍しかった大輪の菊を眺めながら詩歌などを詠み、健康を祝い、長寿を祈るようになったのだとか。 やがて重陽の節句は庶民の間にも広まっていく。江戸時代には、人々は薬効があるとされる菊の花びらを酒に浸した菊酒を酌み交わして邪気を払った。菊のできばえを競うコンクール『菊合わせ』が催されるようになったのもこのころから。重陽の節句は、別名・菊の節句とも言われる。   それにしても旧暦と新暦とでは、かなりギャップがある。約ひと月ずれるから、本来の重陽の節句は秋が深まるころの行事だったはずだ。9月9日では、菊はまだ咲きはじめだろう。新暦は毎年固定でわかりやすいが、このような違和感をおぼえることもある。とはいえ旧暦を何かの固定日にすると、毎年違う日になってしまって、それはそれで実際の季節感と合わなくなってしまうけど。   そこへいくと、とってもわかりやすくて納得なのが、月にまつわるイベントだ。moon、空に浮かぶ月のこと。そして、秋の月と言えば『中秋の名月』である。ちなみに旧暦では、七月八月九月が秋。ひと月の日数は29日か30日なので、八月十五日が中秋となる。   というわけで、中秋の名月は、旧暦八月十五日に固定されている。そもそも旧暦は月の満ち欠け周期をベースにしてつくられているので、現実とばっちり対応していて、こればかりは新暦に置き換えて固定することができない。毎年、旧暦八月十五日は満月か満月にほぼ近い丸い月が昇るのである。   今年2020年の中秋は、新暦で言えば10月1日(木)だ。東京での月の出は、17時28分。南中するのは、23時26分。まん丸には至らず、月齢は13.7。翌2日が満月で、中秋ではなく『仲秋の名月』と記されている場合は、この旧暦八月の満月を指す。   中秋にしても仲秋にしても、夜空にぽっかりと大きな月が浮かぶのは変わりない。ここはひとつ月見酒といこうではないか。もうそんなに暑くもないだろう。庭や軒先にテーブルを持ち出して、ススキなど飾り、丸いお月様を愛でながら、これまたま〜るい味わいの『ひやおろし』をいただきたい。菊の花びらを浮かべてね。     じつは10月1日は、日本酒造組合中央会が定める『日本酒の日』でもある。その由来には2説あって、ひとつは新しい年度の酒造がはじまる時期だからというもの。もうひとつは10月を十二支で表すと『酉』であり、この字が酒壺や酒そのものを意味しているからというもの。しかしそんなことよりも(と言っては失礼だけど)、驚くべきは、今年は中秋の名月と日本酒の日がぴったり一致していることだ!   こんなこと、めったにないだろう。と、国立天文台のサイトで調べてみたら、1991年から2030年の40年間で、中秋の名月が10月1日なのは2001年と2020年の2回しかなかった。これはすごいことですよ。もうぜったい月見酒しかないのである。   <参考文献> 酒道・酒席歳時記 著/國府田宏行 発行/菊水日本酒文化研究所 酒の日本文化 著/神埼宣武 発行/角川ソフィア文庫      

2020年05月26日

酒を注ぐたびに小鳥がさえずる酒器が楽しい

酒は楽しく呑んだ方が絶対うまい!世の理不尽を愚痴りながら呑んだって、な〜んにも気持ちよくないし、そもそも酒というのは、ハレの日を祝うものであったのだから、パッといきたいものである。客を招いて酒席を設ける、あるいは親しい友人たちとの宴で、できるだけ楽しく呑もうと、先人たちは酒器にまでいろんな工夫を凝らした。   なかでも、これはウケること間違いなしの太鼓判は『うぐいす徳利』だ。鳴き徳利ともいわれる酒器で、代表的なデザインは六角柱の徳利の上に愛らしい小鳥が一羽とまっているというもの。これに酒を入れて杯に注ぐと、不思議不思議、小鳥が♪ピヨピヨッ・ピュー♪とさえずるのである。   音が出るしくみは、水笛の原理の応用だ。『うぐいす徳利』の内部は縦に二分割された構造で、底部で連結されている。だから酒を注ぐ際には水位の変化が生じ、それに応じて空気が出入りし、小鳥の形をした笛を鳴らすのだ。『うぐいす杯』というのもあって、こっちは飲み口に笛がついていて吸うと音が鳴るのである。   誰が考え出したのか、いつの頃からあるのか。酒が庶民に広く親しまれるようになったのは江戸時代で、その頃から陶磁器製の酒器が作られるようになり、遊び心のあるさまざまな形やデザインの酒器が誕生した。そのなかのひとつであろうと考えられているが、実際にこの『うぐいす徳利』が流行したのは明治から昭和にかけてであった。     コレクターの方のサイトを見せていただくと、萩焼や清水焼、九谷焼のアンティークな『うぐいす徳利』が紹介されていた。いずれもカタチはほぼ同じだが、全面に花が描かれたものや金や赤を使ったド派手なのもあった。動画の中に登場する『うぐいす徳利』は菊水が販売しているもので美濃焼。市松模様のものはオリジナルで、古来より好まれてきた市松模様を藍色のグラデーションで表現し、酒の器を表す象形文字「酉」がさりげなくあしらわれている。伝統的でありながらモダンなデザインだ。     梅の木が描かれた2点は既製品。ウグイスは春告鳥とも呼ばれ、"梅にウグイス"といえば、春の象徴であり、日本の雅な美しさの象徴だろう。梅とウグイスをセットで詠むことは古くから人気だったらしく、万葉集にも古今和歌集にもたくさん収められている。春を待ち焦がれる気持ち、待ちに待った春を愛でる心の表現に、"梅にウグイス"は最適なペアリングなのだ。   しかし実際には、梅の木にウグイスがやって来ることはあまりないという。梅花の蜜を吸いに来るのはメジロで、しかもこのメジロの方が私たちがイメージするウグイス色をしているからややこしい。本当のウグイス色はうぐいす餡のような緑ではなく、もっと茶色っぽい。そしてウグイスが♪ホーホケキョ♪とさえずるのは雑木林の藪の中だ。   ウグイスが美声を聴かせてくれるのは、春から夏にかけて。上手に♪ホーホケキョ♪と鳴けなくて、♪ホーホケッ♪みたいなのを繰り返しているのを聞いたことがあるが、それがちょうど梅の花の頃だ。若いウグイスがまだ上手く鳴くことができず、もうすぐやって来る繁殖期に美声で雌を惹きつけるための練習をしているのである。   さてさて『うぐいす徳利』は♪ホーホケキョ♪とは鳴かないけれど、♪ピヨピヨッ・ピュー♪はそれなりに愛らしい。1点1点微妙に鳴き方も異なるので、聴き比べをするのも一興。江戸では小鳥を飼うことが流行していて、手飼いのウグイスを持ち寄って、その声の優劣を競う『うぐいす合わせ』なる遊戯もあったというから。一杯やりながら遊戯に興じる姿が目に浮かぶようだ。   それにしても『うぐいす徳利』、なぜ六角柱なのか考えてみた。至った答えは、丸っこい徳利型よりもこの方がアウトドアへ持ち出しやすいということ。何本かを箱なり籠なりに収めたとき、六角形なら隣同士がぴったりくっついて収まりがいいし、倒れにくく、運びやすいだろう。梅や桜の時期に限ったことではなく、藤だろうが新緑だろうが、紅葉だっていい。美しい日本の自然を肴に、♪ピヨピヨッ・ピュー♪って、やってたんだろうな、昔の人は。さぞや愉しかろ。   ウイットに満ちた楽しい『うぐいす徳利』だが、最後にひとつだけ、知っておいた方がいいことがある。それは、 宴が終わって、徳利を洗ってるときにもピヨピヨ鳴いちゃうってこと。   <参考文献> 酒道・酒席歳時記 著/國府田宏行 発行/菊水日本酒文化研究所   菊水 オリジナル うぐいす徳利はこちら https://item.rakuten.co.jp/kikusui/21860/

2020年05月22日

「水入らず」「水くさい」の語源は 日本酒にあるって?!

「水入らず」とは、内輪の親しい間柄の者だけで、他人を交えないこと。たとえば、子どもが独立したので、夫婦水入らずで暮らしている。とか、たまには家族水入らずで旅行でもしたいね。などというふうに使われている。 「水くさい」は、親しい間柄なのに、よそよそしい、他人行儀だという意味。たとえば、同じ釜の飯を食った仲なのに水くさいこと言うなよ。ひとりで悩んで相談してくれないなんて水くさいじゃないか。というふうに使っている。   しかし「水入らず」も「水くさい」も、日本酒の飲み方から生まれた言葉だという説があることには驚いた。   日本酒らしい飲み方、『献酬 けんしゅう 』   わが国には昔から酒を酌み交わす風習があり、そうすることで人と人との交流を深めてきた。酒席に居合わせた者同士が杯を差しつ差されつするのは、ワインやウイスキーなどにはない日本酒らしい飲み方だ。このような飲み方を『献酬(けんしゅう)』という。   まず目下の者が目上の方に杯を捧げ、酒を注ぐのが礼儀作法で、これが元々の意味の『献杯』。逆に下の者が上の方から酒を注いでもらう際は、「お流れ頂戴いたします」と言葉にしていただき、飲み干したあとには返杯する。   酒を注ぐとき、右利きの人は自然に右手で徳利を持つだろう。では酒を受けるときはどうなるか? これは二人の位置関係にもよって変わってくるようで、献杯やお流れ頂戴と向かい合っているときは、右手で杯を持った方が相手も注ぎやすそうだ。   しかし横並びのときは、下手をすると窮屈な格好になって、お互いが注ぎにくく受けにくくなってしまう。そこで、スマートに見える酌のコツというようなものがあって、それはつまり、お互いに外側の手で徳利や杯を持てばいいのだということ。二人の外側を大きく回って、真ん中で酌をすればカッコイイ。   二人が差し向かいで酒を飲むとき、今ではひとりずつ自分の杯があるのが普通だが、献杯やお流れ頂戴ではひとつの杯でやりとりをした。ひとつの杯で酒を酌み交わすことによって心を通わすという考えだ。だけどいくらなんでも、自分の唇が触れた杯をそのまま相手に渡すのは失礼にあたると思われたのか、杯をすすぐ道具が生まれた。     江戸末期の『寛至天見聞随筆』という書物に「杯あらひの丼に水を入れ〜」とあり、もともとは大きな鉢や丼を使ったのだろう。当時は『杯スマシの丼(どんぶり)』と呼ばれた。その後、酒席により映えるように染付や色絵の磁器や漆器などの専用道具へと変わり、明治以降は『杯洗(はいせん)』と呼ばれるようになった。   どんなふうに使うのか、動画を観てみよう。 [video width="640" height="480" mp4="https://kikusui-tsushin.com/wp/wp-content/uploads/2020/05/9310088968e12546f2aa6515c59283b1.mp4"][/video]   そして、この杯を洗う行為が「水入らず」「水くさい」と関係している。 もうわかっちゃいましたよね。 そう、二人の仲なんだから杯を洗わなくていいよ=水入らず、杯を洗うなんて水くさいじゃないかという意味だったのだ。   ネット検索してみても、現在、杯洗を作っている窯元はほとんどなく、その存在は日本酒の文化や歴史に関心のある方にしか知られていないが、こういった作法があったことは大事に伝えていきたいと思う。そして、杯は人の数だけ用いるようになっても、差しつ差されつのコミュニケーションは守っていかなければ。   <参考文献> 酒道・酒席歳時記 著/國府田宏行 発行/菊水日本酒文化研究所

2019年12月07日

こだわりの酒器は大人のたしなみ。お酒を楽しむ“ぐい呑み”をご紹介

お酒好きなら酒器選びにもこだわりたいもの。新潟県新発田市「菊水酒造」の蔵内に構える「菊水日本酒文化研究所」では、酒や酒文化に関する文献、酒を嗜む酒器など、三万点もの資料を収蔵しています。そのコレクションの中から自慢の酒器をご紹介する連載企画、第一弾です。 『スカーレット』のモデルとなった、陶芸家・神山清子さん 2019年9月に放送が始まったNHK朝の連続ドラマ小説『スカーレット』は、焼き物の里である滋賀県の信楽を舞台に女性陶芸家の半生を描くドラマです。ドラマのヒロイン、戸田恵梨香さんが演じる陶芸家のモデルとなった人物が、女性陶芸家の草分けでもある陶芸家の神山清子さん。   神山清子さんは1936年に長崎県佐世保市で生まれ、父親の仕事の都合で各地を転々とし、信楽に移り住みます。信楽焼の絵付けを請け負う会社で助手をしたあと、27歳で独立して本格的に作陶を開始しました。   当時、焼き物の世界は男社会。女性が窯場に入ると「穢(けが)れる」と言われ、窯焚きをする女性はいませんでした。そういった背景の中で神山清子さんは土と炎と格闘を続け、試行錯誤の末に生み出されたのが、釉薬をかけない独自の「信楽自然釉」です。   貴重なぐい呑を収蔵する「菊水日本酒文化研究所」 現在も現役の陶芸家として活躍している神山清子さんですが、実は、新潟にもゆかりのある陶芸家。1960年から約10年間、小千谷市内で作陶を行いながら、陶芸教室を開催していたことがあります。   そんな縁もあってか、「菊水日本酒文化研究所」では神山清子さん作の「信楽自然釉」ぐいのみが収蔵されています。   「見込み」と呼ばれる器の内側の部分は、信楽焼の特徴でもある粗い肌で温かみのある赤茶色。外側の「胴」と呼ばれる部分には、自然釉がたっぷりとかかっていて、まるで白い雪がキラキラと舞うような美しい表情を見せます。見る角度ごとにいろいろな景色を想像させられますね。   お酒に欠かせないおちょこや、ぐい呑といった酒器。生み出した作家のストーリーを知ってからお酒を注ぐと一味違う味わいが楽しめそうです。   住所:新潟県新発田市島潟750 菊水酒造株式会社 見学お申込み・お問合せ 電話:0254-24-5544(9:30〜16:30、日曜・祝日を除く) 営業カレンダーはこちらhttps://www.kikusui-sake.com/home/jp/labo/   「陶芸家・神山清子さんのぐい呑」についてはこちらでも紹介しています。 ブック版 菊水通信vol.8