北越後だより

にごり酒の今と昔。どぶろくって何?

寒い時期、鍋物など温かいものはもちろん、甘い物・パンチのあるもの・お腹にたまるボリュームのあるものなどが無性に欲しくなりませんか?気温が低いと体温維持のため必要エネルギーが増えるからね、などとちゃんと調べもせず、都合よく解釈して冬に美味しい物をたくさん頂いています。

お酒では「にごり酒」が美味しい季節です。
米の粒々が多く残る濃厚なにごり酒から、滓がらみのような薄にごりまで様々なにごり酒が店頭を飾っています。吟醸酒などすっきりキレイな味と表現される清酒に対して、素朴な温かみ、舌触りの残る飲みごたえなど、にごり酒が寒い時期に人気があるのはその味わいに加えてホッとできる朴訥さも理由の1つかもしれません。


験(しるし)なき 物を思はずは一坏(ひとつき)の濁れる酒を飲むべきあるらし 
 訳:考えても仕方ない思いなどはせず、一杯のにごり酒を飲むのが良いらしいよ

価無き宝といふも一坏の濁れる酒にあに益(ま)さめやも
 訳:価値をつけられないほどのお宝といっても、一杯のにごり酒の価値に勝るものか

百人一首に載る大伴旅人の歌です。
大友旅人は飛鳥時代から奈良時代にかけての公卿(朝廷に勤める身分の高い役人)であり、優れた歌人でもありました。公卿でもにごり酒に癒されていたのですね。昔からにごり酒が身分の上下を問わず広く愛されていたことがわかります。


■米の酒の歴史 清酒と濁酒

清酒つまり日本酒造りで、醪を個体(酒粕)と液体(酒)に分ける「上槽」工程(いわゆる「濾す」作業)を行った酒よりも、にごり酒のほうが歴史が古そうなのは想像がつきますよね。少し日本における酒造りの歴史をたどってみましょう。

 縄文後期から弥生前期には大陸の水稲技術が伝来、日本におけるにごり酒の歴史はこれとほぼ同起源といわれています。神祭の際、にごり酒はコメと並んで神に供えられるものでもありました。

飛鳥~平安時代の律令制度の下、朝廷においては酒・醴及び酢を造る役所である造酒司(みきのつかさ・さけのつかさ)があり、儀式や酒宴など朝廷貴族の為の酒が造られていました。

平安時代の律令の施行細則である「延喜式」には、宮中で造られた13種の酒について記録されています。その中の御酒は甘口で酸の少ない清酒(すみさけ)、醴酒や三種糟は仕込みに酒を用いていることから現在の甘酒やみりんのようなトロリと甘い酒、一方で下級役人用には水の割合の多い頓酒・汁糟だったそうです。奈良時代に各地で編纂された正税帳(律令制下、国司が中央政府に提出した一年間の正税の収支決算書)にも色々な酒の種類が記録されています。

濁酒・白酒・粉酒・辛酒・醴などです。清酒(すみさけ)は滓と対比されて記載されていることから、上澄みか布で濾過した酒と考えられています。地方においても、支配階級用に様々なタイプの酒が造られていたことが分かります。

一方で庶民(農民)に対しては度々禁酒令が出されており、自由に酒を飲むことは許されていませんでした。例外的に庶民が酒を作り飲むことができた機会は、農耕儀礼(国見・歌垣による酒宴)・神への信仰(神饌の酒 直会)・狭域市場の開設(市の酒)・給酒(国府で造られ給付されたもの)に限られ、基本的に濁酒だったそうです。このように飲める酒を見ても階級における貧富の差は大きく、庶民は清酒(すみさけ)の様に上等とされる酒は手の届かない存在であったことが伺い知れます。

平安後期からは貴族同士の争いが増えたことで国が混乱しました。次第に造酒司で働いていた技術者が流出し、酒造りは市中の酒屋そして大きな権力を持つ寺院や神社でも行われるようになりました。鎌倉時代に入って商業が盛んになり、貨幣経済が各地へ行き渡ります。酒が米と同等の経済価値を持つ“商品”として流通するようになりました。
寺院における酒造り、当初は自家用・贈答用が中心でしたが室町初期の15C半ば以降には商業的規模で酒造りを行うようになりました。主に近畿地方の大寺院で造られ、これらの酒は総称して「僧坊酒」と呼ばれ、その品質の高さから非常に高く評価されていました。
「御酒之日記」「多聞院日記」として僧坊酒の記録が残されています。酒母仕込み・三段仕込み・諸白造り・火入れなど現代の日本酒醸造の骨格をなす工程を行っていたことが読み取れます。僧坊酒の筆頭格は奈良の正暦寺。正暦寺での酒造技術は非常に高く、天下第一とされる南都諸白に受け継がれました。現在でも正暦寺には「日本清酒発祥之地」の碑が建立されています。当時の技術の粋を生かして造った清酒つまり、濾して澄んだ酒が上等品とされていたことを示していますね。

応仁の乱以降、各地の大名たちが勢力拡大を図り戦国時代がはじまります。この群雄割拠により、それまで都から「田舎酒」と呼ばれていた地方の酒が台頭し、京都にも進出するようになるのです。代表的なものは、西宮の旨酒・加賀の菊酒・伊豆の江川酒・河内の平野酒・博多の練貫酒など。ここでは練貫酒に注目しましょう。

練貫酒とは、もち米で仕込み、醪を石臼ですりつぶして造った酒。練絹のような照りを持ち、トロリとしたペースト状だったそうです。味わいはかなりの甘口で、京の貴族にも戦国大名の間でも評判だったとか。中央の僧坊酒に代表される上澄みや濾した清酒が何より上等品との価値観から、地方発の様々な美味しい酒が見い出され、個性あふれる味わいにも人気が出てきたといったところでしょうか。
安土桃山時代にイエズス会宣教師たちが編纂した「日葡辞書」には、日本の酒造りに関する語として、新酒・古酒・清酒・濁り酒・白酒・練酒などの酒の種類が記載されているそうです。

古代から中世まで駆け足で各時代の酒を概観してきました。古代の素朴な祈りの酒、中世寺院の技術を駆使して贅沢に仕上げた澄み酒・清酒の特別感、醪をすりつぶすなど個性あふれる地方各地酒などなど。儀式で古式ゆかしく戴く酒、同士と酌み交わす気取らない酒、珍しいご当地の酒、長い歴史の中でそれぞれの場面に相応しい酒が造られ、飲み分けられてきたことがわかります。

江戸時代になると都市に商工業者が台頭し、農村においても副業的な小規模な酒造りが行われます。中期にかけては、市場が拡大するとともに大規模な造り酒屋が出現するようになりました。

一方、幕藩体制のもと米価の調整は財政上重要な課題であり、大量の米を使用する酒造業に対して厳しい統制が行われました。1657年(明暦3)に幕府は酒造りを「酒株制度」と呼ばれる免許制とし、酒税の徴収と統制をかけました。酒株とは酒造人を指定して酒を造る権利を保障するとともに、使用する米の量の上限を定めるものでした。

記録によると1698年(寛政2)の醸戸数は全国で27,251だったそうで、1960年(昭和35)の清酒醸造免許場の約4,000場、2018年(平成30)の1,600場と比べるとなんと多いこと!醸造数量など諸条件に違いがあることから場数だけの比較は少々乱暴とは思いつつも、その差には驚かされます。

この江戸時代、一般に販売されていた酒は清酒(諸白の澄み酒)・濁酒(片白のにごり酒)・清酒の滓を集めた中汲み(醪の上澄み部分と沈殿部分の中間部分から汲み取った半清半濁の酒)の三種類あったと言われていますが、江戸初期までは一般に酒といえばにごり酒をさしていたようです。江戸中期には料理茶屋が発達し、武家社会を中心とした飲酒が広まりました。また酒の小売店の一角で飲酒させる居酒屋も生まれ、庶民も冠婚葬祭以外でも飲酒できるようになりました。

明治時代には日本酒造りが科学的に解明され、各地で醸造技術の近代化が進みます。続く大正~昭和には一層の技術革新もありましたが、一方で世界大戦が酒造業界に大きな負の影響を及ぼしました。

戦後は高度経済成長に伴って日本酒消費量は大きく伸長しましたが、1974年石油ショックによる不景気などの要因で消費は減少に転じます。社会情勢が乱高下する状況下においても、各蔵元は製法や品質に磨きをかけ熱心に訴求を行いました。
その結果、地元の酒とナショナルブランドといわれる大手メーカーの酒に加え、個性豊かな各地方の酒を楽しむ、いわゆる地酒ブームも起こったのです。

日本山海名産図絵(寛政11年初版刊行) 伊丹の酒造り 其五 酒あげすましの圓



さて、ここで現在の酒税法における定義を明確にしておきましょう。清酒とは海外産も含め、米、米こうじ及び水を主な原料として発酵させてこしたものを広く言います。【酒税法第3条第7号】に以下のように定められています。

次に掲げる酒類でアルコール分が22度未満のものをいう。
イ) 米、米こうじ、水を原料として発酵させて、こしたもの
ロ) 米、米こうじ、水及び清酒かすその他政令で定める物品を原料として発酵させて、こしたもの
(その原料中当該政令で定める物品の重量の合計が米(米こうじを含む。)の重量の100分の50を超えないものに限る。)
ハ) 清酒に清酒かすを加えて、こしたもの

また、清酒のうち 「日本酒」(Nihonshu / Japanese Sake)とは、原料の米に日本産米を用い日本国内で醸造したもののみを言い、「日本酒」という呼称は地理的表示(GI)として保護されています。

「こす(濾す)」工程がポイントです。つまり「こす」工程を行わない製法のにごり酒は清酒・日本酒のカテゴリーに含むことはできません。言い換えると、こしてさえいれば多少濁っていても清酒のカテゴリーなのです。では「どぶろく」は?続いてどぶろくについて整理してみましょうか。


■どぶろくが繋いできたもの


にごり酒というと「どぶろく」をイメージされる方も多いのではないでしょうか?どぶろくは米を使った酒類のもっとも素朴な形態です。清酒に比べ未発酵の米に含まれる澱粉や、澱粉が分解した糖によりほんのり甘い風味が特徴ですね。このどぶろくと清酒に分類されるにごり酒は製造工程で区別されます。前述のとおり米・米麹・水で造った醪を上槽(搾る・濾す)したものが清酒、この工程を行わないものがどぶろくです。どぶろくは日本の酒税法では「その他醸造酒」に分類されます。

このどぶろく、長い間農家をはじめ造り酒屋ではない一般庶民の間で日常的に作られ飲まれていました。しかし、日本では1899年(明治32)にどぶろくを含むお酒の自家醸造が法律により全面禁止されています。お酒を造るには「酒類醸造免許」が必要です。つまり免許を持つ酒造会社が販売するにごり酒を買って飲むことはできますが、免許をもたない一般家庭ではどぶろくを造ることも飲むこともできなくなったのです。

禁止の法律ができたのは120年以上も前ですので、今では自家製どぶろくといってもなじみのある方は多くないかもしれません。しかし昔は自分の家で造った酒を飲む方がとても多かったのです。家族が内輪で飲むばかりでなく、正月・お盆・彼岸・祭り・結婚式・葬式・新築祝いなど人の集まる行事でもよくどぶろくが振舞われていました。特に農家などでは自家製どぶろくは生活に欠かせない物、なくてはならない日々の支えでした。

どぶろくはその味わいが、酸味の強/弱、甘口/辛口、濃い/薄い、など仕込む家ごとに違っていて、各々の家の、造る人の個性があったそうです。農作業の合間に、何かの寄り合いに、冠婚葬祭にと皆で飲み交わし、何処の家のが旨いの、誰それの味が好みだのと、批評しながら楽しく飲んでいたと。当時の農村を中心とした社会の親睦に必要であり、皆の慰安であり、力仕事に必要な滋養強壮の酒であり、必需品であったことがうかがえます。

法律により自家醸造のどぶろくを仕込むことが禁止となると、「自分の米でどぶろく造って何が悪い!昔からやっていたことなのに!」と密造してしまう家も多くなり、一方税務署はその取り締まりを厳しく行っていた記録が多く残っています。様々な資料や文献にあたると、中でも秋田県がどぶろく王国だったことが記されていました。秋田県の密造の検挙数が多かったのは明治44年の2,727人、大正5年の3,161人、昭和18年には2,327人、昭和36年の3,551人は史上最高となっています。

昭和63年発行の秋田県酒造史には戦後のどぶろく密造の推移を次のように伝えています。「太平洋戦争終戦後の一時期は減少をみたが、戦後の農民経済と酒類の供給不足により再び密造が多く行われ、昭和36年史上最高の検挙数をみ、全国第一の密造県として不名誉な歴史を続けてきた…」。
記録にはあくまで摘発された件数しか残りませんから、秋田の税務署が他県より厳しかったため検挙数が多かった面もあるかもしれません。とにかくどぶろく造りが盛んだったのは間違いないでしょう。資料に残る密造と摘発の多さは、どぶろくが生活に密着したものであった証左といえるかもしれません。

もちろん法にしたがって正しく造られたものを飲酒することが大前提ですが、大きな悲しい事件となってしまった例も、摘発を逃れようとする知恵比べも、それらの資料から、いかに人々がどぶろくを愛していたか、どれだけ生活に必要なものであったか、が浮かび上がってくるのです。

正/不正は一旦脇に置くとして、やはり酒は暮らしに寄り添い、コミュニティの潤滑油であり、人々に力を与え、癒す、必需品なのだと思うのです。そしてどぶろくの、どこか郷愁を誘う味わいもまた、密造してまで皆に愛されたた理由の1つではないでしょうか。

濃く、甘く、適度な酸味、トロリとした粘度、粒々とした食すに近い食感、この味わいに慣れ親しんだ人がどぶろくの復活を願うのもなんとなく理解できる気がしてきます。 


■どぶろく特区

 復活を望む声はもとより、地域振興の起爆剤としてどぶろくが注目されました。2002年の行政構造改革。指定地域内で特定分野の規制を撤廃・緩和し、経済活性化を目指す政府の「構造改革特別区域」構想の1つとして設けられたのが、通称「どぶろく特区」です。
酒税法上の「雑酒」の最低製造数量の基準を特例として緩和することにより、どぶろくを製造できる免許を、旅館や農家民宿・農園レストランなどで自分で原料となる米を作っている宿泊施設に限って付与することになりました。同特別地域内でのどぶろく製造と、飲食店や民宿において提供が許可されたということです。
どぶろく特区は2003年第一号の岩手県遠野市などを皮切りに、2023年3月認定分までで290地区以上(果実酒・焼酎・リキュール含)が国税庁のリストに掲載されています。旅行で出向きそれぞれの特区でその地域のどぶろくを楽しんだり、神社で行われるどぶろく祭(どぶろくを神前に供え豊饒を祈願した宗教行事由来の祭)で古来のどぶろくを頂き、神と農業の歴史に思いを馳せたりするのも素敵な体験です。
神事に、農業に、地域のコミュニティに、そして時を経て地域振興にと、神と人・人と人を繋ぎ、暮らしに寄り添い、人を魅了してきたどぶろくの力に驚かされるばかりです。

 どぶろくを調べるにつれ目黒の秋刀魚という古典落語を思い出しました。ご存じの方も多いかもしれません。
あらすじは次のとおりです。
目黒に遠乗りに出かけたあるお殿様。駆け回ってお腹が空くも弁当の用意がなかったため、一軒の農家で焼いている秋刀魚を家来に買わせ食べました。当時、秋刀魚は庶民の食べる低級な魚とされており、生まれて初めて食べたのです。脂ののった焼きたての秋刀魚の旨いこと旨いこと。
お屋敷へ帰ってからもその味が忘れられないお殿様、食事に秋刀魚を出せと無理を言います。台所方は魚河岸から秋刀魚を取り寄せ、内臓を奇麗さっぱり取り除き、蒸籠で蒸して脂をすっかり抜き、毛抜きで小骨を一本残らず抜き去り、身が崩れた秋刀魚を椀に仕立ててお出ししました。
当然、目黒で食べた秋刀魚とは全くの別物に仕上がっています。「この秋刀魚はいずれで仕入れたか」と問うお殿様に「日本橋魚河岸でございます」と答える家来。お殿様は一言「それはいかん。秋刀魚は目黒に限る」というオチです。
庶民的な流儀で無造作に調理することで素材本来の味が生かされる食材、それを丁寧すぎる程の調理を施すことで本来の美味しさを損ねてしまうという風刺の効いた滑稽噺です。
各家庭で造られていたどぶろくの旨さは、この農家で焼いた秋刀魚の旨さに共通するのかも……と思った次第です。

吟味した酒米を中心部まで磨き、技を凝らして醸造する大吟醸の研ぎ澄まされた素晴らしい美味しさ。一方で米そのものを味わう様な素朴で無骨などぶろくもまた旨いのです。
それぞれに違った美味しさがあるということ。酒に優劣をつけたり、身分階級によって飲める酒が分けられたり、現代ではそんなことはナンセンスです。それぞれの好みに応じて、その時々の場面に応じて、選択できる時代はなんと素晴らしいことでしょう。

■菊水のにごり酒『五郎八』


 一方で、酒造メーカーが醸造するにごり酒は、長年庶民の自宅で造られてきた言うなればラスティックな旨さを、プロの技術で洗練させ安全に仕上げたものといえるのではないでしょうか。一種の昔懐かしさを感じさせる白濁した酒を、長年の酒造りで培った技と科学的根拠で絶妙に整え、安全に飲んでいただける商品として販売しているのです。

 菊水で造るにごり酒『五郎八』。
発売は1972年(昭和47)、原点はどぶろくです。酒好きの人に「懐かしい、飲みたい」と感じていただける昔ながらの味わいを再現しました。農村地方の古い大きな民家、皆で囲炉裏を囲んでワイワイ飲む絵が浮かぶような。豪快にグィッと飲む茶碗酒をイメージして、酒銘は五郎八茶碗*1からヒントを得ました。ラベルには「田舎酒座」のコピー*2も添えて。

*1五郎八茶碗:江戸初期、肥前有田の高原(竹原)五郎八によって作り出されたという、大型の染付磁器の碗。後には大きく素朴な茶碗の総称となっています。五郎八の実在の陶工としての来歴はほとんどわかっていません。
*2 本年(2023)ラベルデザインを一新。現在のラベルには上記コピーは入っていません。

発売当初よりずっと秋冬限定醸造です。米の旨味がそのままギュっと凝縮されたような濃厚でコクのある味わいはまさに、寒い時期にグッとやりたくなる味わいです。菊水の地 北越後の地元の方々のみならず、広く各地で受け入れていただくことができ、発売50余年を経てなお菊水の秋冬期の代表的商品であり続けています。

菊水の社史には、酒税法で規定する酒造免許について菊水の四代目 髙澤英介の思いが記されています。
免許は「一般に禁止されていることを特別に許可する、という趣旨。裏返せば、良い酒をよい多く世の中へ供給しなさいという法の精神が読み取れる」と。自家醸造が一般には禁止されている現在、人々が飲みたいと感じる酒を醸し、真っ当な価格で、いつでも買える店に置いていただくこと、それが免許を与えられている酒蔵の役目であるという思いです。にごり酒『五郎八』も蔵元のそんな思いの結晶の1つと我々は捉えています。

晩秋に発売のご案内をすると「待ってました!」「もう五郎八の季節なのですね」のお声をいただくことから、もはや冬の風物詩!的存在です。
昔ながらのにごり酒の味わいとして懐かしく飲んでくださる長年のご愛飲者に加え、近ごろでは白濁した姿を珍しく感じ、一口飲んでその甘くコクのある味わいを好んでくださる若い方々も増えてきました。ソーダやジュース、ミルクで割るなどカクテル風に楽しむ方もいらっしゃいます。飲むシーンや飲み方は時代とともに変化してきても、素材を生かした滋味に富むにごり酒の味わいは普遍的なものなのかもしれません。

寒さが一番厳しいこの時期、うまみたっぷりで身体が芯から温まるようなにごり酒を楽しまない手はありません。時代を超え愛され続けるにごり酒の魅力にあなたも嵌まってみませんか?

参考
・加藤百一「日本の酒5000年」技報堂出版1987年
・坂口謹一郎「日本の酒の歴史」研成社1977年
・坂口謹一郎「日本の酒」岩波書店1964年
・小泉武夫「日本酒の世界」講談社2021年
・神崎宣武「酒の日本文化-日本酒の原点を求めて」角川書店1991年
・無明舎出版「どぶどく王国」2006年
・秋田健酒造組合「秋田県酒造史」1988年
・長山幹丸「どぶろく物語」1977年
・本郷明美「どはどぶろくのど」講談社2011年
・国税庁サイト内「構造改革特別区域法による酒税法の特例措置の認定状況一覧(令和5年3月認定分まで))2023.11.24閲覧
chrome-extension://efaidnbmnnnibpcajpcglclefindmkaj/https://www.nta.go.jp/taxes/sake/qa/30/03/01.pdf
・菊水酒造株式会社「菊水小史」2007年