中国唐代の詩人、李白は、酒にまつわる作品を数多く残している。その中に五言古詩『月下独酌』がある。この詩は、花の咲く木々の下で独り酒に興じるが、一緒に酒を酌み交わす相手がいなく、月とその月光に照らされた自分の影、それを擬人化し仲間に見立てて共に戯れ酔いしれる。という風流な詩だ。
一人酒でこんな妄想にふけるのもいいけど、やはり仲間と酒を酌み交わすのはなお楽しいものだ。だけど居酒屋などで、箸の使いかたがおかしな人に出会うと、なんとも気がそぞろになってしまう。
箸の行儀作法には「移り箸」、「込み箸」、「ねぶり箸」、「探り箸」、「迷い箸」、「空箸」、「刺し箸」と様々ある。これは、お互いに箸を交わす、刺身、天ぷらの盛り合わせ、鍋などの場面で相手にいい印象を与えないものだ。
そしてもう一つが箸の持ち方も気になる。テレビ番組の食レポでも、希にタレントさんの箸の持ち方がおかしな人を見かける。世間では箸使いで「その人の育ってきた家庭環境がわかる」とも語られる。
むかし箸の持ち方を矯正した話を、ある食の評論家から聞いたことがある。
彼は三人兄弟の末っ子で、長男が左利きだったので、母が無理やり右利きに矯正したら吃音になってしまった。母はそれを後悔し、長男の苦い経験があることから、彼は矯正されないままに育ったそうだ。
評論家になった後に、自分の箸の持ち方では評論の信憑性に欠けると思われることに気付き、練習をして強制したと語っていた。
彼の場合は食の評論家という立場。下手な箸使いで批判の目にさらされるのは間違いない、だから矯正する機会に恵まれたと言っていいが、一般の人々はそのまま、というのが多数だろう。
しかし箸文化の日本において、これは最低限の行儀作法。箸をまともに使えないと人格まで疑われる可能性すらある。
和食の職人は丁稚の頃、箸が使えなければ親方に叱られる。そして矯正される。箸がきちんと使えないと和食では致命的で、特に飾りつけができない。なによりも和食店の多くはオープンキッチンなので、客の目の前で箸を使う場面があるからだ。
いずれにしても箸を美しく操る人と一緒にすごす酒宴は、不思議に気持ちがいいものだ。
「箸の作法がなってない人を見たくない」という人もいるだろう。ならば李白の『月下独酌』よろしく、一人酒を楽しめばいい。
では、ここでやってほしくない箸の作法を少し紹介しよう。
あなたの箸さばき、持ち方はいかがなものか。酒宴の席できっと誰かに見られているはず。
『移り箸』
「菜移り」ともいい、一つの肴に箸を付け、続いて別の肴に箸を付けること。これは、先に食べた肴を味わっていない証拠で、亭主にも料理人にも失礼。一つ肴をいただいたら、一口酒を飲み、じっくり味わってから別の肴をいただくこと。
『込み箸』
口に運んだ肴が大き目のとき、箸の先で口の中に押し込むなど、みにくい食べ方。
『舐(ねぶ)り箸』
箸についてしまった物を舐めて取ったり、箸の先を口に入れて取ったりすることで、見た目にも汚い食べ方。
『探(さぐ)り箸』
汁の中の身を箸の先で探すことを言うが、ついやりがちなので気を付けたいもの。
『迷い箸』
どれを食べようかと、器の上で箸をあちこち移すことで、これもお行儀の悪い食べ方のひとつ。
『空箸』
肴をはさみかけて途中でやめることで、最も行儀がわるい行為。
『刺し箸』
いも類などを箸で刺して食べること。男性はやりがち。すべってはさみにくかったら、箸で半分に切ってみよう。
<参考文献>
酒道・酒席歳時記 著/國府田宏行 発行/菊水日本酒文化研究所