世界中のほとんどの民族が自分たちの酒を持っているように、日本でも、太古から主食である米で造る酒が飲み継がれています。
その深みのある、まろやかな味わいは世界に比類ないといわれ、各国のさまざまな料理にもよく合い、しかもアルコール度数は15~16度という胃にやさしい濃度。一度この味を知ったら手放せなくなるのが日本酒だといわれています。
では、この日本酒はいつ頃から作られ、飲まれているのでしょうか?また旨さの秘密は?そんな知りたいことがいっぱいの日本酒に関して、歴史をたどりながらお話していきます。
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vol,1 | 日本最古の酒は、猿が造った?!
昔、猿が酒を造ったという話をお聞きになったことはありませんか?
満月の夜、猿が木の穴や岩のくぼみなどに食べ残した山ぶどうなどをかくしておくと、次の満月あたりには酒になっていたという『猿酒』エピソードです。
この酒をきこりが見つけて盗み飲みしていたというのです!
それなら現在でも林業にたずさわる人たちが、どこかの山中で『猿酒』を発見したというニュースがSNSで拡散されてもおかしくないですが、残念ながらそういう知らせはありません。
やはり、作り話だったのかもしれません。
ところが、これと同じような酒を、実はほかならぬわれわれの祖先が造っていたという、ほぼ確実な痕跡が発見されているのです。
縄文中期にさかのぼります。
長野県諏訪郡富士見町の藤内遺跡群から出土した多くの土器のなかから、酒壷として使われていたと思われる高さ51cmという大型で膨らみのある『半人半蛙文 有孔鍔付土器』があったのです。
広い口元には、発酵によって出るガスが抜ける穴が18個あいていて、壷の中に山ぶどうの種子が付着していたのです。 ここから、日本最古の奬果(しょうか:汁の多い、種子の多い植物)の酒が造られていたものと考えられました。
同じ縄文中期まであったと思われているもうひとつの酒が、堅果(けんか:果皮が木質か革質で堅い果実。クリ・カシ・ナラなど)や雑穀などで造った『口噛み酒』です。
この酒は、日本の古代だけでなく、南米のアンデス高原やアマゾン上流域の先住民の間でも、それぞれの民族の食べ物(でんぷん質のもの)を口で噛んで造っていました。奬果の酒と、雑穀の酒が、地球上に現れたアルコール飲料の原点とみていいでしょう。
やがて、縄文後期に入り、中国から稲作が渡来すると、口噛みの技法は米飯による酒造りへと受け継がれていきました。
<参考文献・参考サイト>
日本酒物語 著/國府田宏行