北越後だより

2020年06月30日

仕込み水によって性別が分かれる? 男酒・女酒

昔から「名水あるところに銘酒あり」といわれている。そりゃそうだ、日本酒の成分のアルコールや糖分、アミノ酸は20%ほどで、あとの80%以上は水なんだから、その水が酒の質に影響しないわけがない。米と米麹だけでなく、水も重要な原料である。どんな水を使うかで、酒の味わいも違ってくるのだ。   また製造工程でも大量の水を使用し、一升の酒を造るには八升の水が必要と言われるほどだ。だから蔵元には水に対する強い思いがあり、いい水がふんだんに得られる場所に蔵は建てられてきた。 ちなみにビールやウイスキーのメーカーにとっても水は大事。ウイスキーの世界では “Mother Water” なる言葉もある。日本酒も然りである。しかし日本酒と同じ醸造酒でありながらワインはそうではない。ワインは水を加えずブドウだけを原料に仕込むからだ。     菊水の蔵があるのは、新潟県新発田市の越後平野のなか。加治川が大地を潤し、周辺には豊富な地下水脈が流れている。これらの川や水脈は、新潟と山形両県の県境をなす飯豊連峰の御西岳、北股岳を水源とし、春まだ白い山々の雪解け水が深く地中に染み込み、長いときを経て清冽な湧き水となったものである。   名水百選などに選ばれている水ではないが、この水あっての菊水であり、この水と新潟の米と新発田の風土が揃って、菊水の味わいは生まれくる。そんなふうな水と酒質の関わり合いを代表するものに、兵庫は「灘」の酒と京都の「伏見」の酒がある。「灘の男酒」「伏見の女酒」なんていう表現をお聞きになったことがないだろうか。   灘の酒造メーカーが使うのは、「宮水」と呼ばれる水。宮水とは西宮の水の略で、灘は神戸市灘区、西宮は西宮市だ。JRの駅でみた距地では12.8km離れている。しかし酒造メーカーは、それぞれがこの地に井戸を有していて、タンクローリーや地下のパイプラインを使って酒蔵まで水を運んでいるという。それほどまでにこだわる宮水とは?   江戸時代、灘の酒は夏を越すと味が落ちたのに、西宮の酒は逆に味が冴えて人気があった。両地に蔵を持っていた山邑佐太衛門さんは、同じ米を使ったり、杜氏を交替させたりしたが、結果は同じ。そこで仕込み水の違いに気づき、西宮の蔵で使っていた水を船で運び、灘の蔵で醸造したところ、同じ酒質になったのだとか。   宮水に際立つ特徴は、その高い硬度にある。水の硬度は含まれるカルシウムとマグネシウムの量から産出され、WHO(世界保健機関)の定義では次のようになる。 ・硬度60mg/L未満………軟水 ・硬度61〜120mg/L………中硬水 ・硬度121〜180mg/L………硬水 ・硬度181mg/L以上………超硬水 そして宮水は180mg/L程度の硬水なのだ。   酒造に適した水の条件は、酵母の増殖に欠かせないカルシウム、カリウムやリンなどのミネラルが豊富に含まれ、酒の風味や色を損ねる鉄分が少ないこと。宮水では、そのミネラル成分によって発酵が促進され、腰のしっかりした辛口の酒に仕上がる。これが灘の男酒といわれるゆえんである。   一方、伏見はかつて「伏水」と記され、昔から良質の地下水に恵まれていた。伏見の女酒を生み出すのは京の名水「伏水」。氏神である御香宮神社には御香水と呼ばれる水が湧き出ており、名水百選の第1号なのだが、この水と同じ水脈なのである。   水質は鉄分が至極少ない中硬水で、その硬度は60〜80mg/Lだ。硬水に比べると時間をかけて発酵が進むため、酸が少なく、なめらかなキメの細かい風味に仕上がるのが特徴。灘の男酒に対して伏見の女酒と、まるで両端のようにおもしろく対比されてしまっているが、軟水を使っているわけではないし、ましてや酒が甘口というわけでもない。   実際のところ、酒造技術の発達した現在では軟水〜硬水までどのような硬度の水を用いても発酵をコントロールできるようになっている。そして酒の香りや辛口・甘口といった味わいも、ニーズに応じて多彩な酒質を造り分けることが可能だ。   さて、新潟の蔵元が酒造に使う地下水は、多くのところで硬度15〜20mg/Lという超軟水である。ミネラル分が少なく、かつては酒造りに向かないとされた時期もあったのだが、今や誰もが認める酒どころ。知恵を絞り、技を磨くことで、新潟の水のよさを引き出せるようになり、新潟の酒の魅力である淡麗辛口の味わいを実現したのだ。   余談だが、軟水はまろやかで無味無臭に近く、飲み水としておいしい。国産のミネラルウォーターのほとんどが軟水であることからも、それがわかる。また料理にも最適で、素材の風味を活かした繊細な味付けの和食には、やはり軟水でなければならない。   <参考文献> 坂口謹一郎酒学集成1 著/坂口謹一郎 発行/岩波書店 マザー・ウォーター[酒と水の話]  編/酒文化研究所 発行/紀伊国屋書店 日本酒の科学 著/和田美代子 監修/高橋俊成 発行/講談社