北越後だより

2020年11月09日

古のチラシ「引札」百花繚乱

私たちがチラシと呼んでいる広告宣伝のために作られ配布される印刷物、実は江戸の頃からあったのをご存じですか? もちろん今のような印刷技術はありませんから往時は木版画、名称も「引札」と呼ばれていたようです。始まったのは元禄の頃からで、町人文化の最盛期である文化文政の頃から花開いたと言われています。 江戸時代の商業主義の発展に伴って登場し、明治時代には印刷技術の革新もあり、多種多様に盛んに発行されるようになりました。それまでの店の看板や暖簾といった常設の広告と大きく異なり、お客様の手に渡せ、多くの人に伝達できるこの画期的な宣伝手段は隆盛を極めました。 引札という名称も諸説ありますが、お客様を引く引き付けるための札だから引札という説、また昔は「配る」ことを「引く」とも言っていたことから引札と呼ぶという説が有力です。一般に引札と呼んだのは大正の初めころまでで、それ以降はチラシと呼ばれるようになったと(関西では昔からチラシと呼んでいたという説もあり)言われています。   まるでその時代にタイムスリップ!収蔵品の一部をご紹介 菊水の日本酒文化研究所(日文研)も200枚を超える引き札を所蔵しています。初期の品と思われる墨一色の口上を述べただけのシンプルなものから、店舗内部を描いた多色刷りの美しい絵図に、まるで現在の通販のような販売の仕組みを朗々と述べる口上を添えた呉服店の立派な引き札、オーソドックスに干支を描いた年始のご挨拶用引札から洒落の効いたデザイン性の高いものなど、本当にバリエーション豊かです。往時の人々の生活を活き活きと伝えてくれる引札資料は、見ているとまるでその時代にタイムスリップしたような気持ちになれるのです。一部をご紹介しましょう。   正月引札 干支 年始の挨拶に配るために作られた引札を、特に正月引札と呼びます。干支や宝船、福の神など新しい年を言祝ぐに相応しい吉祥柄が描かれることが多い様です。日文研所蔵の正月引札の中から今年(令和二年)の干支である子(ねずみ)の引札です。ねずみ、打ち出の小槌に実った稲穂とお目出たいモチーフが満載。表装したら掛け軸になりそうですね。 お多福満載 楽器を奏でたり、書をしたためたり、お酒を飲んだり、あらやだオホホと笑い合ったり、楽しそうなお福さんがぎっしりと描かれており、賑やかでお目出度くて微笑ましい作品。それぞれに違った様子のお福さんに思わずじっくりと見入ってしまいます。このみっちり感はまるで引札版ウォーリーを探せ!ですね。   専門は巨大化させちゃえ 鮮魚商と料理仕出し屋の引札ですから、魚介モチーフを大胆に描いたのでしょうか。あり得ない巨大な伊勢海老を恵比寿様が笑顔で捕まえている、おめでたくてユニークなデザインです。このお店なら生きが良い鮮魚扱っていそう!と思ってしまう、今でも十分通用しそうな洒落た引札ですね。   金のなる木!? 商売繁盛の福の神である大黒様と恵比寿様が園芸に勤しんでいます。その木は「よくはたら木(良く働き)、ゆだんのな木(油断の無き)、あさお木(朝起き)、家内むつまじ木(家内睦まじき)」など、お金持ちになる心構えの文字で出来ています。商人への格言集といった風情です。   版元(印刷業者)の工夫 見本(テンプレート)躍進 同じデザインなのに、違うお店の引札。これぞ版元の工夫で大流行した見本帳商売の活用例です。片や東村山の運送店、もう片方は京都の米屋です。同じ図柄であっても、運送店の方には大正五年の暦が入っており、米屋のほうには大きな米という文字が。同じテンプレートでもオリジナリティを出せる余地があったことが見て取れますね。   究極の複合技。グラビアで広告で情報誌! 幕末から明治中期にかけて活動した人気絵師 月岡芳年が描いた「東京料理頗別品(とうきょうりょうり すこぶる べっぴん) 芝口 伊勢原」。浮世絵の画題によくあった店の看板娘を描く美人画と、その店の宣伝を兼ねて描くという、ハイブリッドな工夫を凝らした作品です。これは、伊勢原以外にも久保町の松栄亭、芝神明の車屋など高名な会席茶屋に各地の美人名妓や仲居を描いた揃物(シリーズもの)です。二階の手すりに寄る芸妓 柏屋小兼、三味線を置いて徳利を持つ芸妓 立花屋小登喜、奥の階段を上ってくるのは仲居のよしと云われています。明治四年の作、文明開化ムードが窓の外の西洋館に見て取れます。なお、タイトル中の別品は、特別料理の別品と、美人の別嬪に掛けているのです。     いかがでしたか?引札を見ていると、社会の中での人々の生活や営みは100年以上前も、技術の差はあれど、大きな違いなど無いなぁと思います。人々の生活とそれを支える商売があって、それぞれが繁盛のために工夫を凝らす。デザイナーとしての絵師、引札のコピーライティングには戯作者が多かったようですし、出版社としての版元がいて、出来上がった引札は世間に散らばって、その情報を頼りに市井の人が買い物をしたり、アートとして部屋に飾ったり。歴史は全くの別世界などではなく、現在と地続きなのだなと実感してしまいます。 引札は、その時代の生活に密着した大衆的なものであっただけに、人々の生活、当時の社会情勢や文化を知る手がかりとなり得る、とても貴重な史料であるといえるでしょう。   引用:菊水通信Book版 Vol.12 https://www.kikusui-sake.com/book/vol12/#target/page_no=5

2020年11月06日

日本酒物語 | 日本最古の酒は、猿が造った?!

世界中のほとんどの民族が自分たちの酒を持っているように、日本でも、太古から主食である米で造る酒が飲み継がれています。 その深みのある、まろやかな味わいは世界に比類ないといわれ、各国のさまざまな料理にもよく合い、しかもアルコール度数は15~16度という胃にやさしい濃度。一度この味を知ったら手放せなくなるのが日本酒だといわれています。 では、この日本酒はいつ頃から作られ、飲まれているのでしょうか?また旨さの秘密は?そんな知りたいことがいっぱいの日本酒に関して、歴史をたどりながらお話していきます。 --------------- vol,1 | 日本最古の酒は、猿が造った?! 昔、猿が酒を造ったという話をお聞きになったことはありませんか? 満月の夜、猿が木の穴や岩のくぼみなどに食べ残した山ぶどうなどをかくしておくと、次の満月あたりには酒になっていたという『猿酒』エピソードです。 この酒をきこりが見つけて盗み飲みしていたというのです! それなら現在でも林業にたずさわる人たちが、どこかの山中で『猿酒』を発見したというニュースがSNSで拡散されてもおかしくないですが、残念ながらそういう知らせはありません。 やはり、作り話だったのかもしれません。   ところが、これと同じような酒を、実はほかならぬわれわれの祖先が造っていたという、ほぼ確実な痕跡が発見されているのです。 縄文中期にさかのぼります。 長野県諏訪郡富士見町の藤内遺跡群から出土した多くの土器のなかから、酒壷として使われていたと思われる高さ51cmという大型で膨らみのある『半人半蛙文 有孔鍔付土器』があったのです。 広い口元には、発酵によって出るガスが抜ける穴が18個あいていて、壷の中に山ぶどうの種子が付着していたのです。 ここから、日本最古の奬果(しょうか:汁の多い、種子の多い植物)の酒が造られていたものと考えられました。   同じ縄文中期まであったと思われているもうひとつの酒が、堅果(けんか:果皮が木質か革質で堅い果実。クリ・カシ・ナラなど)や雑穀などで造った『口噛み酒』です。 この酒は、日本の古代だけでなく、南米のアンデス高原やアマゾン上流域の先住民の間でも、それぞれの民族の食べ物(でんぷん質のもの)を口で噛んで造っていました。奬果の酒と、雑穀の酒が、地球上に現れたアルコール飲料の原点とみていいでしょう。 やがて、縄文後期に入り、中国から稲作が渡来すると、口噛みの技法は米飯による酒造りへと受け継がれていきました。   <参考文献・参考サイト> 日本酒物語 著/國府田宏行

2020年10月30日

熱燗だけが燗酒じゃない。上手に燗をつけて風流を楽しもう

日本酒は、幅広い温度帯で飲まれる、世界でも珍しい酒だ。冷え冷えの5℃あたりから熱々の60℃近くまで、いろんな味わいを楽しむことができる。日ごとに秋が深まり、朝晩がちょっと肌寒く感じられるようになると、やはり温かい酒が恋しい。年中冷やした酒を飲む人が増えているが、昔は、旧暦九月九日(新暦10月25日)の重陽の節句を過ぎると、酒は温めて飲むものとされていたようだ。   日本酒を温めることを「燗をつける」あるいは「お燗する」という。温められた日本酒は『燗酒』だ。とあるチェーン店の居酒屋で、ドリンクメニューに   日本酒 冷または燗   とあったので「燗」を頼んだ。するとアルバイトらしき女の子に「熱燗ですね」といわれ、あまり熱いのは好きじゃないが、この店ではそうなのかと諦めた。   温めた酒=熱燗と思ってる人も多いようだが、そうではない。燗の温度によってそれぞれ美しい表現があり、もちろん香味の感じ方も違ってくる。 一般的に燗酒に向くのは純米酒や本醸造酒で、冷酒に向くのは香りが華やかな吟醸酒や大吟醸酒といわれている。ただしすべての銘柄に共通するのではなく、ぬるめの燗にしておいしい吟醸酒や少し冷やして飲みたい純米酒もある。燗をつけてよりおいしくなったら、それは「燗上がりする酒」。菊水の純米酒なんかがそれだ。ひとつの酒をいろんな温度で飲んでみるのも楽しいだろう。   さて、温度帯による燗酒の表現を知ったはいいが、実際に店で「日向燗」「人肌燗」などと通ぶるのはちょっと恥ずかしい。上燗は「適燗」ともいうので、それを中心に”熱め”がいいか”ぬるめ”がいいかといったところか。 居酒屋チェーン店などでは、一升瓶を逆さに設置してボタンを押すだけで下から燗酒が出てくるような酒燗マシンが使われているのだが、そのような機械でも3つ程度の温度設定ができるようだ。   しかし、由緒正しき燗酒の作り方は、なんといっても湯煎である。店の厨房の片隅に置いた『どうこ』と呼ばれる四角い酒燗器を使う。木製の箱で、内側はステンレスになっていて、電気で湯が沸かせる。もちろん温度調節も可能だ。   秋の、やけに冷える夕べ。ガラガラっと引き戸を開け、カウンターに座るや「1本つけて」と声を掛ける。店主は一升瓶を手に取ると、金属製の『ちろり』という取手つきの器に1合注ぎ入れ、それを『どうこ』の湯に浸ける。そして頃合いを見て引き上げ、温まった酒を徳利に移し換えて出してくれるのだ。 ぬるめ熱めの好みを伝えてもいい。日本酒にこだわりの強い店ならば、主人や女将のオススメの温度で供されるかもしれない。   かつて料亭などには、『お燗番』と呼ばれる酒燗のプロがいたそう。客の好みや酒の特徴、料理などに合わせて、最適な温度を見極めて提供したのだ。 そういえば、近ごろあまり見なくなったが、徳利型の一合瓶があったのをご存じだろうか? 栓が王冠で、酒の液面と王冠の裾に8ミリほどの隙間があった。燗をつけると熱膨張で液面が上昇するのが見えて、隙間が半分になったら『ぬる燗』、なくなったら『熱燗』というふうにバイトの先輩に教わったな…。 家庭で湯煎する場合は、①徳利に九分目まで酒を入れ、注ぎ口にラップをする。②鍋などに徳利の半分まで浸かる水を張って火にかけ、沸騰したら火を止める。③火を止めた鍋に徳利を浸し、酒が徳利の口まで上がってきたらできあがり。湯の量や徳利の素材・厚さなどにより熱の伝導は異なるが、あまり時間をかけるとアルコールが飛んでしまうので、2〜3分で燗するのがコツ。   電子レンジでもできないことはないが、徳利の上部と下部で温度のムラが出やすい。出力500Wの場合、1合(180ml)あたり約60秒で熱燗になるので、30秒くらいで一度取り出して徳利を揺すって酒の温度を均一にしてから再度レンジに入れるといい。     しかし、どうよ。「チン!」とできあがる燗酒と、湯の中から引き上げた徳利の底を布巾で丁寧にぬぐいながら差し出される燗酒。たとえ同じ上燗であっても、やはり呑むほうの気分は違ってくるだろう。美人の女将ならもちろん、朴訥な健さんであっても、人の手で燗をつけてもらうと心まであったまってしまうのだ。   もっと詳しくは、ブック型『菊水通信』へ https://www.kikusui-sake.com/book/vol5/#target/page_no=3   <参考文献・参考サイト> 酒道・酒席歳時記 著/國府田宏行 発行/菊水日本酒文化研究所 日本酒の科学 著/和田美代子 監修/高橋俊成 発行/講談社 新潟清酒ものしりブック 監修/新潟清酒達人検定協会 発行/新潟日報事業者

2020年09月28日

夏過ぎて、虫の音聞けば うるわしき、菊見月見のひやおろし

厳しい暑さも幾分やわらぎ、朝夕は涼しさも感じられるようになってきた。公園を歩くと、喧しかったセミの声に代わって、草むらの中から心地いい虫の音が響いてくる。マスクをつけて過ごした前代未聞の夏。しかも今年の気温は容赦なかったので、ようやくひと夏越えた、乗り切ったという思いだ。   秋のはしり。日本酒の世界では、まず9月9日にイベントがあった。この日は、今日から『ひやおろし』を出荷していいという解禁日だったのだ。 『ひやおろし』とは、漢字で書くと『冷や卸し』。以前、生酒をテーマにした記事でも触れたが、通常、日本酒は出荷前に火入れを行なって品質を保つ。しかし江戸時代に、夏の盛りが過ぎて、外気と貯蔵樽の酒の温度が同じくらいになると、火入れをせずに冷やのまま出荷したことから『ひやおろし』という言葉が生まれた。   ひと夏の熟成を経た『ひやおろし』は、新酒の荒々しさが消え、味に丸みと深みがある。『菊水の純米酒』や『菊水の辛口』などは、出荷前に火入れをしていないので、製法としてはじつは『ひやおろし』なのだ。しかし冬に仕込み、春から夏に貯蔵熟成させ、9月9日以降に出荷するものを特別に『ひやおろし』と呼んでいる。   ではなぜ、9月9日なのか。実際はまだ残暑が厳しい時期なのだが、旧暦の九月九日が特別な日であったことから決められた。逆に言えば、まだ暑いのに火入れしないで出荷できるほど酒造技術が進歩したというわけでもある。   旧暦九月九日は、中国の重陽の節句。9という奇数で一番大きい数字が2つ重なることから、古くから大変めでたい日とされてきた。その風習が平安時代に伝来し、宮廷の儀式として定着。貴族たちが、まだ珍しかった大輪の菊を眺めながら詩歌などを詠み、健康を祝い、長寿を祈るようになったのだとか。 やがて重陽の節句は庶民の間にも広まっていく。江戸時代には、人々は薬効があるとされる菊の花びらを酒に浸した菊酒を酌み交わして邪気を払った。菊のできばえを競うコンクール『菊合わせ』が催されるようになったのもこのころから。重陽の節句は、別名・菊の節句とも言われる。   それにしても旧暦と新暦とでは、かなりギャップがある。約ひと月ずれるから、本来の重陽の節句は秋が深まるころの行事だったはずだ。9月9日では、菊はまだ咲きはじめだろう。新暦は毎年固定でわかりやすいが、このような違和感をおぼえることもある。とはいえ旧暦を何かの固定日にすると、毎年違う日になってしまって、それはそれで実際の季節感と合わなくなってしまうけど。   そこへいくと、とってもわかりやすくて納得なのが、月にまつわるイベントだ。moon、空に浮かぶ月のこと。そして、秋の月と言えば『中秋の名月』である。ちなみに旧暦では、七月八月九月が秋。ひと月の日数は29日か30日なので、八月十五日が中秋となる。   というわけで、中秋の名月は、旧暦八月十五日に固定されている。そもそも旧暦は月の満ち欠け周期をベースにしてつくられているので、現実とばっちり対応していて、こればかりは新暦に置き換えて固定することができない。毎年、旧暦八月十五日は満月か満月にほぼ近い丸い月が昇るのである。   今年2020年の中秋は、新暦で言えば10月1日(木)だ。東京での月の出は、17時28分。南中するのは、23時26分。まん丸には至らず、月齢は13.7。翌2日が満月で、中秋ではなく『仲秋の名月』と記されている場合は、この旧暦八月の満月を指す。   中秋にしても仲秋にしても、夜空にぽっかりと大きな月が浮かぶのは変わりない。ここはひとつ月見酒といこうではないか。もうそんなに暑くもないだろう。庭や軒先にテーブルを持ち出して、ススキなど飾り、丸いお月様を愛でながら、これまたま〜るい味わいの『ひやおろし』をいただきたい。菊の花びらを浮かべてね。     じつは10月1日は、日本酒造組合中央会が定める『日本酒の日』でもある。その由来には2説あって、ひとつは新しい年度の酒造がはじまる時期だからというもの。もうひとつは10月を十二支で表すと『酉』であり、この字が酒壺や酒そのものを意味しているからというもの。しかしそんなことよりも(と言っては失礼だけど)、驚くべきは、今年は中秋の名月と日本酒の日がぴったり一致していることだ!   こんなこと、めったにないだろう。と、国立天文台のサイトで調べてみたら、1991年から2030年の40年間で、中秋の名月が10月1日なのは2001年と2020年の2回しかなかった。これはすごいことですよ。もうぜったい月見酒しかないのである。   <参考文献> 酒道・酒席歳時記 著/國府田宏行 発行/菊水日本酒文化研究所 酒の日本文化 著/神埼宣武 発行/角川ソフィア文庫      

2020年08月31日

ごはんとして食べる米と日本酒になる米はどう違う?

8月も後半になると、南の地方から新米収穫の便りが届くようになりました。代表銘柄は何と言ってもコシヒカリでしょうか。しかしそれぞれの土地の気候や風土に適した地域限定の品種も栽培されていて、その総数は500種類以上にもなるとか。みなさんは、どんな品種が思い浮かびますか?   2019年産うるち米の品種別作付割合を見ると、上位5品種と主な産地は以下の通り。 1位:コシヒカリ/新潟、茨城、福島 2位:ひとめぼれ/宮城、岩手、福島 3位:ヒノヒカリ/熊本、大分、鹿児島 4位:あきたこまち/秋田、茨城、岩手 5位:ななつぼし/北海道 ※(公社)米穀機構まとめ   以下、6位:はえぬき、7位:まっしぐら、8位:キヌヒカリと続きますが、1位〜5位までで作付割合全体の61.8%を占め、コシヒカリに至ってはそれだけで33.9%!ダントツの人気なんですね。     以上8品種はすべて、ごはんとして食べる品種、いわゆる飯米(食用米)です。飯米で造った日本酒がないわけではないですが、一般的ではありません。日本酒の原料になるのは、酒造好適米と呼ばれる通称「酒米」。品種としては100種類以上あるのですが、一般の方が店頭で目にする機会はほとんどないでしょう。   では、飯米と酒米はどこが違うのか。酒米の特徴を見ていきます。   1)粒が大きく砕けにくい 米の胚芽や外層部にはタンパク質や脂質などが多く含まれています。これらは酒の雑味となってしまうため、酒米の場合は玄米の表面を30%〜50%削り落としてから使います。飯米が玄米を8〜10%削って糠を落とす程度なのに比べ、精米に耐えられる大きさと強さが求められるのです。 どれくらい大きいのでしょうか。米粒の大きさは、1000粒あたりの重量を測定して表します。2013年の農水省の資料では、コシヒカリの千粒重が22.4gなのに対して、五百万石は25.5g、山田錦は28.2gもありました。   2)心白(しんぱく)がある 酒米の中心部には、白くて不透明な「心白」があります。飯米はデンプンが詰まっているため透明感がありますが、酒米の中心はデンプンが粗く、隙間があるために白く見えるのです。しかしその隙間があるおかげで、麹菌が内部へ菌糸を伸ばしやすくなり、デンプンの糖化が進み、結果としてアルコール発酵を促します。心白が発現しているだけでなく、その形、大きさ、位置が中心にあることが、いい酒米の条件なのです。   3)外硬内軟で仕込みやすい 米を蒸した際に表面がさらっとしていて捌けがいいとか、仕込んだ際にもろみが溶けやすいのも酒米の特徴。稲の時も米粒が大きくて重いために倒れやすく、一般の飯米よりも栽培が難しいと言われる酒米ですが、酒造りの長い歴史の中で数え切れないほどの異種交配を繰り返し、酒造りに適した米へと改良されてきました。   酒米の人気銘柄は、酒米の王者と言われる「山田錦」と新潟県で開発された「五百万石」がツートップです。菊水酒造では新潟産の五百万石を中心に、五百万石の親である「菊水」や五百万石と山田錦を掛け合わせた「越淡麗」といった銘柄を主な原料としています。   おいしい米と、おいしい酒になる米では、特徴が異なることがわかりました。しかし、ここで新たな関心が——、酒米を炊いて食べたら、どんな味なの?と。本当においしくないのでしょうか?ひとたび興味を抱いてしまったら簡単に諦めることのできない編集部では、『酒米を食べてみ隊』を結成し、実際に炊いて食べてみることにしました。   入手した酒米は、新潟・新発田産の五百万石の玄米。隊員は、菊水通信チーフエディターのN、デザイナーのE、ライターのT。三者三様の実食レポいきまーす。   <E> 玄米を水に10時間以上浸してから炊飯器で普通に炊きました。玄米だからか炊きあがりの匂いが香ばしく、プチプチした食感がたまりません。大人だけにわかるおいしさかと思ったら、3歳と6歳の子どももパクパク食べておかわりしていましたよ。   <T> 米屋へ持ち込み、五つ星お米マイスターの中丸真一氏に最適に精米してもらいました。モチモチ感や甘みは少ないけどパサパサというわけじゃなく、コシヒカリよりササニシキ派の自分にはおいしい。五百万石で握った鮨なんて、食べてみたいなあ。   <N> 玄米を棒で突っつく人力精米にチャレンジするが、1時間以上突いてもほぼ変化なし。精米器と銀シャリの偉大さを感じつつ、人力精米をあきらめて、精米した五百万石を実食。酒米は醸してなんぼ!食べても美味しくないでしょう。そう思い込んでいたが「あれっ意外と食べられる」というのが第一印象。香りはやはり食用米にはかなわないが、食感はそんなに悪くない。なんか懐かしいこの感じ。あっそうか、昔、学生食堂で食べた標準米の味と香りだ。     想定していたオチは、「炊いてもイマイチ。やっぱ酒米はおいしい酒を造るためにあるんだね」というものだったのに、意外においしくてビックリ!予想外の感動と発見があった酒米実食体験でした。   <参考文献・参考サイト> 新潟清酒ものしりブック 監修/新潟清酒達人検定協会 発行/新潟日報事業者 米穀機構 米ネット 品種別作付動向 https://www.komenet.jp   <精米協力> 中丸屋商店 tel.0467-82-2213

2020年08月21日

半年の穢(けが)れを祓い、夏を元気に乗り越えるための酒がある

日本の神社には、半年に一度行われる『大祓(おおはらえ)』という神事がある。日々の暮らしのなかで、私たちが重ねている小さな罪。ご先祖様を敬わなかったり、食べ物への感謝を忘れていたり、モノを粗末に扱ってしまったり。そんなことが穢(けが)れとなって身についちゃうと、やがてわが身に病や災いとなって返ってきちゃうから、穢れを祓わなければいけないと考えたのだ。 大祓には、6月晦日の『夏越(なご)しの祓』と大晦日の『年越しの祓』があって、いずれも本来は旧暦の6月と大晦日に行われるものだった。でも今は新暦に沿って行われる場合も多く、地域や神社によってまちまち。しかし旧暦と新暦ではひと月以上ズレる年もあったりして、ひと月もズレたら季節感が違ったり、神事の意味合いも変わっちゃう気がする。   日本で新暦が採用されたのは1873年のこと。旧暦の明治5年12月3日が、新暦の明治6年1月1日になった。新暦では約1カ月、季節が早くなったわけだ。現在の6月30日といえば梅雨の真っ只中だけど、旧暦の6月は水無月。水がない月なので、もう夏本番を迎えていただろう。 半年分の穢れを祓って、この夏を乗り越えよう。そして後半半年の健康と厄除けを祈願したのだろうか。夏の暑さを神の怒りと考えて、神意を和らげるという意味の「和(なご)し」と「夏越し」をかけたのではないかとも言われている。 ところでみなさん、旧暦のしくみをご存じ?新暦は地球が太陽の周りを1周する時間の長さを1年とする太陽暦。一方の旧暦は、月の満ち欠けをベースにした太陰太陽暦だ。 月に満ち欠けは29.53日で一巡するので、12カ月で354日となり、太陽暦より1年が11日短い。だから毎年どんどんズレが大きくなっていってしまう。そこで32〜33カ月に一度「うるう月」を入れて13カ月にし、ズレを戻していたのだ。 ちなみに今年2020年の旧暦6月晦日は、新暦では大きくズレて8月18日にあたる。 大祓の起源は、古事記や日本書紀の神話にはじまり、その後、平安時代には宮中の年中行事として定められたという。現在、日本各地の神社で執り行われる夏越しの祓では、神前に大きな輪っかが立てられ、これを参拝者がくぐることで罪や災いを取り除く『茅の輪くぐり』の神事が行われる。 輪に使われているのは、茅(ちがや)というイネ科の植物。茅の輪のくぐり方には、次のような作法がある。 <茅の輪くぐりの方法> まず、茅の輪の正面に立つ 1)一礼し、左足からまたいでくぐり、左回りで正面に戻る 2)一礼し、右足からまたいでくぐり、右回りで正面に戻る 3)一礼し、左足からまたいでくぐり、左回りで正面に戻る 4)一礼し、左足からまたいで神前へ進む 「8」の字を書くように3回くぐってから、もう1回くぐって前へ進むわけだ。またくぐっている際には次のような略拝詞※を唱えるとよいといわれている。 〜水無月の夏越しの祓いする人は 千歳(ちとせ)の命 延ぶというなり〜 ※略拝詞は地域や神社によって異なる。 夏越しの祓でコロナウイルスもやっつけたいところだが、茅の輪くぐりが密を作ってはいけないと、今年は神職だけで行ったり、作法通りではなく1回だけにしてというところもある。またこんな時代ならではの試みとして、車に乗ったまま輪をくぐる、ドライブスルー茅の輪なんてところもあるようだ。 参拝の後には、「夏越し饅頭」や「水無月」なる和菓子を食べる風習がある。だけど左党としては、やはり最後は『夏越しの酒』をいただきたい。   神事には、神様に神饌(しんせん:食事)を献上してもてなす。日本の神様はどなたも酒がお好きだから、お供えに日本酒は欠かせない。そして神事の後には、直会(なおらい)でそのお下がりをいただく。この酒が、いわゆる御神酒(おみき)である。夏越しの祓の際、参拝者に御神酒をふるまう神社もあると聞く。神の霊力が宿った聖なる酒だ。心のなかまで清められんこと間違いない。   <参考文献・参考サイト> 酒道・酒席歳時記 著/國府田宏行 発行/菊水日本酒文化研究所 神社本庁 公式サイト https://www.jinjahoncho.or.jp

2020年08月05日

オンラインで蔵見学開催しました 文化編

2019年秋から、一般公開を始めた菊水日本酒文化研究所。 一般見学やイベント開催などを通じてお客様にも楽しんでいただいてまいりましたが、新型コロナウイルス感染症拡大防止の対応として、5か月ほど公開を休止しています。   そんな中、ここ菊水日本酒文化研究所を会場に、8月1日にオンラインの酒育セミナーを開催しました。 セミナーでは文化研究員が講師を務め、いくつかの資料をピックアップして当時の時代背景なども絡めながらご紹介させていただきました。     収蔵品の中には、今年の3月に発売された特殊切手「美術の世界」に採用されている伊万里の大皿によく似た食器も。切手のモチーフになった大皿は東京国立博物館に収蔵されているそうです。研究所が収蔵する3万点の資料の中には、このように何かのきっかけで、改めて価値を知るものもあるんです。     文献資料の中には江戸中頃~明治 出版・印刷文化の進展で流通した引札や錦絵、名所図会、草双紙、瓦版などもそろっています。 「料理早工風」は嘉永6(1853)年に作成されたもの。1853といえばペリー来航。当時の人々がどんな料理を食べていたのか一覧を眺めるだけで面白いですね。     また、20世紀初頭の料理書・婦人雑誌の付録「職業別榮養料理圖解」には、職業別におすすめのお料理が詳しく掲載されていて、お相撲さんや、野球選手のページも。現代はアスリートめし、なるものがあったりしますが、パフォーマンスを高めるための献立の視点は今に通じるものがあります。     一通り、ご覧いただいた後には、菊水日本酒文化研究所が企画したグッズも紹介させていただきました。 昔の人から日本酒のかかわり方、遊び方を学び、現代風にアレンジしたりしています。 こちらは、中央に浮き球があってお酒を注ぐと音が鳴るという仕掛け酒器で、その名も「風鈴杯」。 とっても涼しげな音で、今の季節にぴったりです。     一時間ほどのセミナーの間は、受講者の皆様からQ&Aやチャットで質問やご意見をお寄せいただき、オンラインながらも画面の先のお客様を感じながらお届けすることができました。 ご参加いただいた皆様、ありがとうございました。 菊水酒造ではこれからもオンラインでのイベントを通じて、日本酒を面白く楽しくするコトづくりを行って参ります。   ◆セミナーでも紹介した収蔵品について、もっと知りたい方はこちら「菊水通信」日文研EYE ◎人と酒を結ぶもの https://www.kikusui-sake.com/book/vol11/#target/page_no=5 ◎ぐい吞みコレクション https://www.kikusui-sake.com/book/vol4/#target/page_no=5 ◎「引き札」 https://www.kikusui-sake.com/book/vol12/#target/page_no=5

2020年08月01日

夏にピッタリの日本酒の飲み方!オン・ザ・ロックとみぞれ酒

7月25日は『かき氷の日』。かき氷は夏氷(なつごおり)とも言い、7(な)2(つ)5(ご)の語呂合わせから制定された。また当時の日本最高気温40.8℃が、山形市で1933年7月25日に観測されたものだったこともその理由。ちなみに現在の日本最高気温は2018年7月23日に熊谷市で観測された41.1℃だ。   暑い季節になると冷たい飲み物が恋しくなる。酒も冷蔵庫でキンキンに冷やしたいものだが、四合瓶ならまだしも一升瓶では家庭用冷蔵庫に入らない。となれば、氷を浮かべてはどうだろう。日本酒に氷だなんてイマドキだね、と思われるかもしれないが、いやいやそんなことはないぞ。じつは奈良・平安の頃より、やんごとなき方々は酒に氷を浮かべて飲んでらっしゃったのである。   冷凍庫や製氷機のない時代、夏の氷はとても貴重なものだっただろう。冬の間に雪深い山中から天然の氷を切り出して、麓に造った『氷室(ひむろ)』と呼ばれる洞窟に貯蔵しておく。それが夏になると都へ献上され、貴族たちが暑気払いを行っていたよう。日本各地に氷室という地名や氷室神社が現存するのは、その名残だと言われている。   奈良時代に記された日本書紀には、「氷室の氷 熱き月に當りて 水酒に浸して用ふ」と氷を酒に浮かべて飲む様子が描かれている。東大寺正倉院に保管された文書には、「六月、七月、宮中では醴酒(こさけ)を造り、山城や大和国の氷室の氷を用いて天皇に供する」という記録も。日本酒のオン・ザ・ロックは、歴史ある贅沢な飲み方なのだ。       平安時代になると、あの清少納言の枕草子にも氷が出てくる。あてなるもの(上品なもの)のひとつとして、「削り氷に甘葛(あまずら)入れて、あたらしき鋺(かなまり)に入れたる」と。現代語に訳すと、「削った氷に甘葛(古代から用いられた甘味料)をかけて、新しい金属製の椀に入れること」。元祖かき氷だ! 紫式部の源氏物語には、夏の盛りの夕食に酒や氷を振る舞う様子や、夕暮れに宮中の女たちが氷を胸や額に押し当てて涼をとっているシーンが登場する。   さて、奈良・平安時代に飲まれていたのは、どんな酒だったのか。日本酒の製造工程に、腐敗を防ぐための加熱処理が加わったのは江戸時代である。だから、その頃の酒は火入れをしていない生酒だ。長く保存がきかないので、そのつど醸造していたのだろう。   日本酒をオン・ザ・ロックで飲むなら、一般的なアルコール度数15度のものでは少し物足りない気がする。加水調整をしていない、しぼったままの生原酒がいい。アルコール度数は19度程度。氷を入れても薄まりすぎることがなく、しっかりと日本酒の味わいを楽しむことができる。   菊水酒造のラインナップでいえば『ふなぐち菊水一番しぼり』か、季節限定だが『菊水 夏の大吟醸生原酒』がオススメだ。好みでレモンやライムを浮かべると、ますます清涼感がアップする。     氷にも気を配りたい。オン・ザ・ロックに理想の氷は、固くて溶けにくいことだ。家庭の冷凍冷蔵庫で作った氷は、中心が白く濁ってしまうことが多く、あれは水に含まれる空気や不純物が集まったもの。製氷皿では外側から凍っていくので、急激に凍らせると空気や不純物が中に閉じ込められてしまうらしい。   そのぶん溶けやすく、なにより美しくない。煮沸してから凍らせたり、ミネラルウォーターを使うと、いくぶんましにはなるけど完璧に透明にするのは難しい。プロの製氷屋さんでは、専用装置で濾過したのちに−10℃ぐらいで凍らせるという。家庭の冷凍庫は−18℃なので、それよりもゆっくり凍らせることで空気や不純物を逃すというわけだ。   透明な氷が作れないのであれば、氷を使うのではなく、酒そのものを凍らせるのもおもしろい。しかし氷のように完全に固めてしまうのではなく、シャリシャリのシャーベット状にするのがポイント。『みぞれ酒』と呼び、これも暑い日にピッタリの日本酒の飲み方である。     【みぞれ酒の作り方】 日本酒の凝固点は−10℃前後なので、冷凍庫に入れっぱなしだと凍ってしまう。しかしボトルにタオルを巻くなどし、ゆっくり静かに冷却すると−12℃から−15℃ぐらいまで液体状態を保つことができる。この状態を『過冷却』と言う。そして、冷凍庫で一緒に冷やしておいたグラスに注ぐと、ふしぎ不思議、グラスの中で酒が結晶化して、見る見るシャーベット状に!   まさにみぞれ雪のようで、見た目も涼しげ。ふんわりやわらかく、ひんやり冷たい。口に含むとすーっと解けて、日本酒の香りと味わいが広がっていく。夏の日の客人に、こんなのがさっと出せたら、粋だろうなあ。   『ふなぐち菊水一番しぼり』商品情報 https://www.kikusui-sake.com/funaguchi/index.html 『菊水 夏の大吟醸生原酒』商品情報 https://www.kikusui-sake.com/home/jp/products/p026/

2020年08月01日

冷酒は”ひやざけ”と読むか “れいしゅ”と読むか

皆さんは「冷酒」を「ひやざけ」と読むか 「れいしゅ」と読むか、その違いわかりますか? 実はこれ、明確な答えがあるんです。本来「ひやざけ」は常温酒のことで、「れいしゅ」は冷蔵庫などで冷やした酒のことです。 つまり居酒屋などで「日本酒を冷やで」という注文は「日本酒を常温で」ということになります。しかし「常温なのに冷やってなんだろう?」、と誰もが首を傾げてしまいます。その理由は高度成長期以前、日本には冷蔵技術が乏しく、日本酒を飲むには温めるか常温の2通りしかなかったのが所以です。後に日本が豊かになると、巷に冷蔵庫が普及し始めます。それとともに酒造技術も発達しました。日本酒を冷やすことにより、よりパフォーマンスを高める吟醸酒や生酒が蔵元で生産されるようになると、冷やして美味しい吟醸酒などが人気を博し、「ひやざけ」ではない「れいしゅ」というジャンルが確立されたからと言うことです。   ところで「ひやざけ」と「れいしゅ」を飲むシチュエーションは明らかに異なるような気がします。 昭和の日常を描いた映画「東京物語」や「早春」などで、頻繁に登場するのがおでん屋のシーンです。ほんのり色気のある女将さんを囲み、主演の笠智衆と旧友がおでんを肴に酒を酌み交わす場面は、まさに「ひやざけ」です。戦後間もない作品なので、まだ吟醸酒や生酒がなかった頃ということもありますが。しかしおでん屋というシチュエーションは紛れもなく「ひやざけ」がピッタリですね。作品を手がけた監督、小津安二郎自身が銀座のおでん屋「お多幸」の常連だったこともあり、彼の作品におでん屋が多く反映されたのでしょう。 また下町のうらぶれた居酒屋のイメージは「ひやざけ」そのものです。高倉健主演の「居酒屋兆治」や小林薫主演の「深夜食堂」など、煮込みや焼きとんなどがメインの居酒屋は「ひやざけ」がよく似合います。     一方「れいしゅ」となるとどこか高級感の漂う風情といった感じでしょうか。しつらえのいい料理屋で、本マグロの赤身や中トロ、生牡蠣を肴に一献となると、それに見合うお酒はやはり「れいしゅ」の印象ではないでしょうか。     シチュエーションによって印象の異なる日本酒。冷やして、燗をつけて、はたまた常温でと、日本酒は温度によっても違う味わいを演出してくれます。これは世界的に見ても類を見ないお酒と言えるのではないでしょうか。

2020年07月15日

贈りものを風呂敷に包む。この日本ならではの『包みの文化』を日本酒にも

鎌倉にしてはなだらかな坂道を、そのひとは白い日傘を差して上ってきた。淡い藍鼠色の絽の着物に、アイボリーの帯と淡いピンクの帯締め。午前中だったとはいえ、空には太陽がギラギラしはじめているのに、そのひとだけは別の涼しい空気をまとっているようだった。すれ違う際に、なぜか少し緊張したのを覚えてる。 日傘に隠れた表情はよく見えなかったけれど、折り曲げた左腕に四角い風呂敷包みが乗っかっていた。あれはたぶん、お中元の贈りものだったのだろう。包まれていたのは、そうだな、老舗の菓子舗で求めてきた水菓子だったかもしれないな。毎年、そろそろ梅雨も明けようかという頃になると、ふと”そのひと”のことを思い出すのだ。   お中元の時期は、地域によって少し異なる。北海道では7月中旬から8月15日まで。東北や関東では7月初旬から15日までと短く、7月16日以降は暑中見舞い、残暑見舞いという扱いになる。北陸・甲信越は関東型の地区と北海道型の地区に分かれ、東海・関西・中国・四国では7月中旬から8月15日。九州では8月1日から15日までが一般的だが、沖縄だけは旧暦の7月15日までとなっている。 もともとは先様へ直接持参するものだったのだろうが、現在はもちろん配送することがほとんどだ。さらには特設コーナーへ出向くこともなく、ネットで簡単に品を選ぶことも増えている。もはやコミュニケーションではなく、モノのやりとりに終わってないか。遠方の方に贈る場合はしかたないけど、1時間かからない距離なら持参するのもいいかもしれないな。そう、風呂敷に包んでね。   「包」という字は、母の胎内に子が宿っているさまを表している。包むことは、そこに包まれているものを大切に「いつくしむ」気持ち。母体から生まれ出ると、なるほど、子は「己」となるわけだ。 また「つつしむ」や「つつましい」という言葉は、包むが語源とされている。相手を思って贈答品を選び、相手を敬う心と一緒に風呂敷に包む。日本ならではの『包みの文化』と言えるだろう。   さて、その風呂敷、奈良時代に宝物を包む布として使われたのがはじまり。風呂敷と呼ばれだしたのは室町時代からで、蒸し風呂の板場に敷いたり、全国から集まった大名たちが風呂場で脱いだ衣服を取り違えないように、家紋入りの布に包んだりしたのだとか。そして江戸時代には商人が商品を包んで運び、旅行の際には荷物を包んでカバン代わりにするなど使い方が広がっていった。   風呂敷は反物を裁断して、端を三ツ巻きに縫い上げてある。縫った両端が天地つまり丈で、生地の巾が左右である。じつは正方形ではなく、巾よりも天地が若干長い。サイズは巾という単位で表し、中巾(約45cm)から七巾(約230cm)まで10種類ほど。通常私たちがよく目にするのは、二巾(約68〜70cm)から二四巾(約90cm)だ。   風呂敷を使った包み方はいろいろあるが、鎌倉で見かけた”そのひと”のように菓子折などを包む際の代表的なものは「お使い包み」だろう。   ■お使い包み   四角いものだけでなく、酒などの瓶を包むこともできる。しかも、ぶら下げて持ち運びしやすいように包めるので、手提げ袋がいらなくなるのもうれしい。   ■瓶1本包み 四合瓶なら二巾(68~70cm)、一升瓶なら二四巾(90cm)が最適。     2本だって、いけちゃう。 ■瓶2本包み 四合瓶なら二巾(68~70cm)、一升瓶なら三巾(104cm)が最適。2本の瓶の形が同じか、よく似ているほどきれいに安定して包める。 どうです。日本酒の風呂敷包み、なかなかカッコイイのでは? 中身の入った状態で四合瓶(720ml)1本の重量は約1.2kgほどなので、力のない方でも難なく持てる。ちなみに一升瓶(1800ml)だと重量は約2.8kgあるけれど、持ち手がポリ袋みたいに指に食い込まないので痛くならない。   市場に出まわっている風呂敷の色柄も豊富で、昔ながらのシブイものからモダンなデザインのものまで、よりどりみどり。そこに贈る人のセンスも発揮できるってもんだ。お中元やお歳暮の贈り方としてはじつに風流で粋だし、パーティなどお呼ばれの際にこんなふうに持参したら、かなりインパクトありそう。