北越後だより

2024年04月08日

時代小説ファン必見!?城下町 新発田市

突然ですが、池波正太郎の時代小説はお好きですか? と、いいますのも、実は菊水日本酒文化研究所(以下 日文研)に来られるお客様から「池波正太郎の小説に出てくる白鳥徳利はある?」「池波正太郎が書いていた燗胴壺はこんな感じかも」といったお声をよく聞くのです。どうやら日本酒ファンには池波ファンが多い…実感するところなのです。 池波先生の代表作ともいえる『鬼平犯科帳』『剣客商売』『仕掛人藤枝梅安』シリーズの飲む・食べるシーンの描写が、酒好きの心理を絶妙に刺激、「あぁ飲みたい」欲求を強く掻き立てるのですよね。作品に登場する飲食場面を編集したものも刊行されていますし、先生ご自身が美味しいもの好きとして有名で、食や酒に関するエッセーも多く残されています。 日文研では『剣客商売 包丁ごよみ』(新潮文庫)『池波正太郎の食卓』(同)『剣客商売番外編 ないしょないしょ』(同)を収蔵しています。『剣客商売 包丁ごよみ』は老剣客 秋山小兵衛が作中で舌鼓を打っていた江戸料理を再現したもの、『池波正太郎の食卓』は池波先生が愛した料理をゆかりの料理人が再現し、思い出や作品世界にふれたエッセー集です。   そして『剣客商売番外編 ないしょないしょ』だけは小説。剣客商売シリーズのおなじみのメンバーが脇役を固め、彼らに支えられ数奇な運命を生き抜く女性の一代記です。実はこの主人公のお福は江戸に出る十六歳まで越後新発田(現在 菊水が蔵を構える新潟県新発田市)に暮らしている設定で、当時の新発田での暮らし、奉公先が現存する周円寺の裏であったり、外ヶ輪など昔の地名もそのままに描かれているのです。新発田に居てこの小説を読むと、お福が暮らす江戸の様子と現在の町の様子が重なり、まるでタイムスリップした様な不思議な心地にワクワクします。 本編後の解説には、池波先生が取材旅行に新発田を訪れており、同行の方々に案内ができるほどに新発田にお詳しかったと。なるほどこの時空を超えた臨場感は著者がこの地を良く知っていたからこそだったのか、と膝を売った次第です。少し調べてみますと、この他にも池波作品には新発田に所縁のある人物が登場するようです。赤穂浪士で有名な『堀部安兵衛』(新潮文庫)は主人公が新発田出身、『雲霧仁左衛門』(新潮文庫)の盗賊・熊五郎が新発田藩の江戸藩邸に足軽奉公しているなど、主役から悪役まで様々にみることができます。この様に池波先生がその作品の中で取り上げた新発田市は、1881年から菊水が蔵を構える地です。 越後平野の北部に位置し、市東部には飯豊山、二王子岳がそびえ、加治川など滔々とした豊かな伏流水が潤す肥沃な大地という酒造りに最適な場所です。また江戸時代には十万石の新発田藩城下町として栄え、現在も新発田城をはじめ、藩主の下屋敷である清水園や足軽長屋などに当時の面影が残っています。     市内のあちこちに立つ本丸・二の丸・御免町などの旧町名の標識、 現存する外ケ輪小学校、御免町小学校、本丸中学校などの学校名、寺院が並ぶ旧寺町通りなど、町の至る所に城下町新発田の古い歴史を偲ばせています。『ないしょないしょ』に「越後・新発田から江戸まで八十九里」とあるとおり江戸から離れた、余り大きく派手ではない藩ながら、池波先生が思い入れを持ち作品に使ってくださったのは、新発田の美しいお城やお濠、歴史ある神社仏閣、そして学問や芸術に祭りといった城下町としての文化が色濃く残っているからなのかもしれません。   菊水はこの地で、今までもそしてこれからも、大地の恵みを感謝の心で醸し、皆様の心豊かな暮らしを創造する蔵であり続けたいと願っています。 新発田観光協会 https://shibata-info.jp/welcome ■菊水通信WEBブック型はこちら

2024年01月03日

にごり酒の今と昔。どぶろくって何?

寒い時期、鍋物など温かいものはもちろん、甘い物・パンチのあるもの・お腹にたまるボリュームのあるものなどが無性に欲しくなりませんか?気温が低いと体温維持のため必要エネルギーが増えるからね、などとちゃんと調べもせず、都合よく解釈して冬に美味しい物をたくさん頂いています。お酒では「にごり酒」が美味しい季節です。米の粒々が多く残る濃厚なにごり酒から、滓がらみのような薄にごりまで様々なにごり酒が店頭を飾っています。吟醸酒などすっきりキレイな味と表現される清酒に対して、素朴な温かみ、舌触りの残る飲みごたえなど、にごり酒が寒い時期に人気があるのはその味わいに加えてホッとできる朴訥さも理由の1つかもしれません。 験(しるし)なき 物を思はずは一坏(ひとつき)の濁れる酒を飲むべきあるらし  訳:考えても仕方ない思いなどはせず、一杯のにごり酒を飲むのが良いらしいよ価無き宝といふも一坏の濁れる酒にあに益(ま)さめやも 訳:価値をつけられないほどのお宝といっても、一杯のにごり酒の価値に勝るものか百人一首に載る大伴旅人の歌です。大友旅人は飛鳥時代から奈良時代にかけての公卿(朝廷に勤める身分の高い役人)であり、優れた歌人でもありました。公卿でもにごり酒に癒されていたのですね。昔からにごり酒が身分の上下を問わず広く愛されていたことがわかります。 ■米の酒の歴史 清酒と濁酒 清酒つまり日本酒造りで、醪を個体(酒粕)と液体(酒)に分ける「上槽」工程(いわゆる「濾す」作業)を行った酒よりも、にごり酒のほうが歴史が古そうなのは想像がつきますよね。少し日本における酒造りの歴史をたどってみましょう。 縄文後期から弥生前期には大陸の水稲技術が伝来、日本におけるにごり酒の歴史はこれとほぼ同起源といわれています。神祭の際、にごり酒はコメと並んで神に供えられるものでもありました。飛鳥~平安時代の律令制度の下、朝廷においては酒・醴及び酢を造る役所である造酒司(みきのつかさ・さけのつかさ)があり、儀式や酒宴など朝廷貴族の為の酒が造られていました。平安時代の律令の施行細則である「延喜式」には、宮中で造られた13種の酒について記録されています。その中の御酒は甘口で酸の少ない清酒(すみさけ)、醴酒や三種糟は仕込みに酒を用いていることから現在の甘酒やみりんのようなトロリと甘い酒、一方で下級役人用には水の割合の多い頓酒・汁糟だったそうです。奈良時代に各地で編纂された正税帳(律令制下、国司が中央政府に提出した一年間の正税の収支決算書)にも色々な酒の種類が記録されています。濁酒・白酒・粉酒・辛酒・醴などです。清酒(すみさけ)は滓と対比されて記載されていることから、上澄みか布で濾過した酒と考えられています。地方においても、支配階級用に様々なタイプの酒が造られていたことが分かります。一方で庶民(農民)に対しては度々禁酒令が出されており、自由に酒を飲むことは許されていませんでした。例外的に庶民が酒を作り飲むことができた機会は、農耕儀礼(国見・歌垣による酒宴)・神への信仰(神饌の酒 直会)・狭域市場の開設(市の酒)・給酒(国府で造られ給付されたもの)に限られ、基本的に濁酒だったそうです。このように飲める酒を見ても階級における貧富の差は大きく、庶民は清酒(すみさけ)の様に上等とされる酒は手の届かない存在であったことが伺い知れます。平安後期からは貴族同士の争いが増えたことで国が混乱しました。次第に造酒司で働いていた技術者が流出し、酒造りは市中の酒屋そして大きな権力を持つ寺院や神社でも行われるようになりました。鎌倉時代に入って商業が盛んになり、貨幣経済が各地へ行き渡ります。酒が米と同等の経済価値を持つ“商品”として流通するようになりました。寺院における酒造り、当初は自家用・贈答用が中心でしたが室町初期の15C半ば以降には商業的規模で酒造りを行うようになりました。主に近畿地方の大寺院で造られ、これらの酒は総称して「僧坊酒」と呼ばれ、その品質の高さから非常に高く評価されていました。「御酒之日記」「多聞院日記」として僧坊酒の記録が残されています。酒母仕込み・三段仕込み・諸白造り・火入れなど現代の日本酒醸造の骨格をなす工程を行っていたことが読み取れます。僧坊酒の筆頭格は奈良の正暦寺。正暦寺での酒造技術は非常に高く、天下第一とされる南都諸白に受け継がれました。現在でも正暦寺には「日本清酒発祥之地」の碑が建立されています。当時の技術の粋を生かして造った清酒つまり、濾して澄んだ酒が上等品とされていたことを示していますね。応仁の乱以降、各地の大名たちが勢力拡大を図り戦国時代がはじまります。この群雄割拠により、それまで都から「田舎酒」と呼ばれていた地方の酒が台頭し、京都にも進出するようになるのです。代表的なものは、西宮の旨酒・加賀の菊酒・伊豆の江川酒・河内の平野酒・博多の練貫酒など。ここでは練貫酒に注目しましょう。練貫酒とは、もち米で仕込み、醪を石臼ですりつぶして造った酒。練絹のような照りを持ち、トロリとしたペースト状だったそうです。味わいはかなりの甘口で、京の貴族にも戦国大名の間でも評判だったとか。中央の僧坊酒に代表される上澄みや濾した清酒が何より上等品との価値観から、地方発の様々な美味しい酒が見い出され、個性あふれる味わいにも人気が出てきたといったところでしょうか。安土桃山時代にイエズス会宣教師たちが編纂した「日葡辞書」には、日本の酒造りに関する語として、新酒・古酒・清酒・濁り酒・白酒・練酒などの酒の種類が記載されているそうです。古代から中世まで駆け足で各時代の酒を概観してきました。古代の素朴な祈りの酒、中世寺院の技術を駆使して贅沢に仕上げた澄み酒・清酒の特別感、醪をすりつぶすなど個性あふれる地方各地酒などなど。儀式で古式ゆかしく戴く酒、同士と酌み交わす気取らない酒、珍しいご当地の酒、長い歴史の中でそれぞれの場面に相応しい酒が造られ、飲み分けられてきたことがわかります。江戸時代になると都市に商工業者が台頭し、農村においても副業的な小規模な酒造りが行われます。中期にかけては、市場が拡大するとともに大規模な造り酒屋が出現するようになりました。一方、幕藩体制のもと米価の調整は財政上重要な課題であり、大量の米を使用する酒造業に対して厳しい統制が行われました。1657年(明暦3)に幕府は酒造りを「酒株制度」と呼ばれる免許制とし、酒税の徴収と統制をかけました。酒株とは酒造人を指定して酒を造る権利を保障するとともに、使用する米の量の上限を定めるものでした。記録によると1698年(寛政2)の醸戸数は全国で27,251だったそうで、1960年(昭和35)の清酒醸造免許場の約4,000場、2018年(平成30)の1,600場と比べるとなんと多いこと!醸造数量など諸条件に違いがあることから場数だけの比較は少々乱暴とは思いつつも、その差には驚かされます。この江戸時代、一般に販売されていた酒は清酒(諸白の澄み酒)・濁酒(片白のにごり酒)・清酒の滓を集めた中汲み(醪の上澄み部分と沈殿部分の中間部分から汲み取った半清半濁の酒)の三種類あったと言われていますが、江戸初期までは一般に酒といえばにごり酒をさしていたようです。江戸中期には料理茶屋が発達し、武家社会を中心とした飲酒が広まりました。また酒の小売店の一角で飲酒させる居酒屋も生まれ、庶民も冠婚葬祭以外でも飲酒できるようになりました。明治時代には日本酒造りが科学的に解明され、各地で醸造技術の近代化が進みます。続く大正~昭和には一層の技術革新もありましたが、一方で世界大戦が酒造業界に大きな負の影響を及ぼしました。戦後は高度経済成長に伴って日本酒消費量は大きく伸長しましたが、1974年石油ショックによる不景気などの要因で消費は減少に転じます。社会情勢が乱高下する状況下においても、各蔵元は製法や品質に磨きをかけ熱心に訴求を行いました。その結果、地元の酒とナショナルブランドといわれる大手メーカーの酒に加え、個性豊かな各地方の酒を楽しむ、いわゆる地酒ブームも起こったのです。 [caption id="attachment_1829" align="aligncenter" width="1000"] 日本山海名産図絵(寛政11年初版刊行) 伊丹の酒造り 其五 酒あげすましの圓[/caption] さて、ここで現在の酒税法における定義を明確にしておきましょう。清酒とは海外産も含め、米、米こうじ及び水を主な原料として発酵させてこしたものを広く言います。【酒税法第3条第7号】に以下のように定められています。次に掲げる酒類でアルコール分が22度未満のものをいう。イ) 米、米こうじ、水を原料として発酵させて、こしたものロ) 米、米こうじ、水及び清酒かすその他政令で定める物品を原料として発酵させて、こしたもの(その原料中当該政令で定める物品の重量の合計が米(米こうじを含む。)の重量の100分の50を超えないものに限る。)ハ) 清酒に清酒かすを加えて、こしたものまた、清酒のうち 「日本酒」(Nihonshu / Japanese Sake)とは、原料の米に日本産米を用い日本国内で醸造したもののみを言い、「日本酒」という呼称は地理的表示(GI)として保護されています。「こす(濾す)」工程がポイントです。つまり「こす」工程を行わない製法のにごり酒は清酒・日本酒のカテゴリーに含むことはできません。言い換えると、こしてさえいれば多少濁っていても清酒のカテゴリーなのです。では「どぶろく」は?続いてどぶろくについて整理してみましょうか。 ■どぶろくが繋いできたもの にごり酒というと「どぶろく」をイメージされる方も多いのではないでしょうか?どぶろくは米を使った酒類のもっとも素朴な形態です。清酒に比べ未発酵の米に含まれる澱粉や、澱粉が分解した糖によりほんのり甘い風味が特徴ですね。このどぶろくと清酒に分類されるにごり酒は製造工程で区別されます。前述のとおり米・米麹・水で造った醪を上槽(搾る・濾す)したものが清酒、この工程を行わないものがどぶろくです。どぶろくは日本の酒税法では「その他醸造酒」に分類されます。このどぶろく、長い間農家をはじめ造り酒屋ではない一般庶民の間で日常的に作られ飲まれていました。しかし、日本では1899年(明治32)にどぶろくを含むお酒の自家醸造が法律により全面禁止されています。お酒を造るには「酒類醸造免許」が必要です。つまり免許を持つ酒造会社が販売するにごり酒を買って飲むことはできますが、免許をもたない一般家庭ではどぶろくを造ることも飲むこともできなくなったのです。禁止の法律ができたのは120年以上も前ですので、今では自家製どぶろくといってもなじみのある方は多くないかもしれません。しかし昔は自分の家で造った酒を飲む方がとても多かったのです。家族が内輪で飲むばかりでなく、正月・お盆・彼岸・祭り・結婚式・葬式・新築祝いなど人の集まる行事でもよくどぶろくが振舞われていました。特に農家などでは自家製どぶろくは生活に欠かせない物、なくてはならない日々の支えでした。どぶろくはその味わいが、酸味の強/弱、甘口/辛口、濃い/薄い、など仕込む家ごとに違っていて、各々の家の、造る人の個性があったそうです。農作業の合間に、何かの寄り合いに、冠婚葬祭にと皆で飲み交わし、何処の家のが旨いの、誰それの味が好みだのと、批評しながら楽しく飲んでいたと。当時の農村を中心とした社会の親睦に必要であり、皆の慰安であり、力仕事に必要な滋養強壮の酒であり、必需品であったことがうかがえます。法律により自家醸造のどぶろくを仕込むことが禁止となると、「自分の米でどぶろく造って何が悪い!昔からやっていたことなのに!」と密造してしまう家も多くなり、一方税務署はその取り締まりを厳しく行っていた記録が多く残っています。様々な資料や文献にあたると、中でも秋田県がどぶろく王国だったことが記されていました。秋田県の密造の検挙数が多かったのは明治44年の2,727人、大正5年の3,161人、昭和18年には2,327人、昭和36年の3,551人は史上最高となっています。昭和63年発行の秋田県酒造史には戦後のどぶろく密造の推移を次のように伝えています。「太平洋戦争終戦後の一時期は減少をみたが、戦後の農民経済と酒類の供給不足により再び密造が多く行われ、昭和36年史上最高の検挙数をみ、全国第一の密造県として不名誉な歴史を続けてきた…」。記録にはあくまで摘発された件数しか残りませんから、秋田の税務署が他県より厳しかったため検挙数が多かった面もあるかもしれません。とにかくどぶろく造りが盛んだったのは間違いないでしょう。資料に残る密造と摘発の多さは、どぶろくが生活に密着したものであった証左といえるかもしれません。もちろん法にしたがって正しく造られたものを飲酒することが大前提ですが、大きな悲しい事件となってしまった例も、摘発を逃れようとする知恵比べも、それらの資料から、いかに人々がどぶろくを愛していたか、どれだけ生活に必要なものであったか、が浮かび上がってくるのです。正/不正は一旦脇に置くとして、やはり酒は暮らしに寄り添い、コミュニティの潤滑油であり、人々に力を与え、癒す、必需品なのだと思うのです。そしてどぶろくの、どこか郷愁を誘う味わいもまた、密造してまで皆に愛されたた理由の1つではないでしょうか。濃く、甘く、適度な酸味、トロリとした粘度、粒々とした食すに近い食感、この味わいに慣れ親しんだ人がどぶろくの復活を願うのもなんとなく理解できる気がしてきます。  ■どぶろく特区  復活を望む声はもとより、地域振興の起爆剤としてどぶろくが注目されました。2002年の行政構造改革。指定地域内で特定分野の規制を撤廃・緩和し、経済活性化を目指す政府の「構造改革特別区域」構想の1つとして設けられたのが、通称「どぶろく特区」です。酒税法上の「雑酒」の最低製造数量の基準を特例として緩和することにより、どぶろくを製造できる免許を、旅館や農家民宿・農園レストランなどで自分で原料となる米を作っている宿泊施設に限って付与することになりました。同特別地域内でのどぶろく製造と、飲食店や民宿において提供が許可されたということです。どぶろく特区は2003年第一号の岩手県遠野市などを皮切りに、2023年3月認定分までで290地区以上(果実酒・焼酎・リキュール含)が国税庁のリストに掲載されています。旅行で出向きそれぞれの特区でその地域のどぶろくを楽しんだり、神社で行われるどぶろく祭(どぶろくを神前に供え豊饒を祈願した宗教行事由来の祭)で古来のどぶろくを頂き、神と農業の歴史に思いを馳せたりするのも素敵な体験です。神事に、農業に、地域のコミュニティに、そして時を経て地域振興にと、神と人・人と人を繋ぎ、暮らしに寄り添い、人を魅了してきたどぶろくの力に驚かされるばかりです。 どぶろくを調べるにつれ目黒の秋刀魚という古典落語を思い出しました。ご存じの方も多いかもしれません。あらすじは次のとおりです。目黒に遠乗りに出かけたあるお殿様。駆け回ってお腹が空くも弁当の用意がなかったため、一軒の農家で焼いている秋刀魚を家来に買わせ食べました。当時、秋刀魚は庶民の食べる低級な魚とされており、生まれて初めて食べたのです。脂ののった焼きたての秋刀魚の旨いこと旨いこと。お屋敷へ帰ってからもその味が忘れられないお殿様、食事に秋刀魚を出せと無理を言います。台所方は魚河岸から秋刀魚を取り寄せ、内臓を奇麗さっぱり取り除き、蒸籠で蒸して脂をすっかり抜き、毛抜きで小骨を一本残らず抜き去り、身が崩れた秋刀魚を椀に仕立ててお出ししました。当然、目黒で食べた秋刀魚とは全くの別物に仕上がっています。「この秋刀魚はいずれで仕入れたか」と問うお殿様に「日本橋魚河岸でございます」と答える家来。お殿様は一言「それはいかん。秋刀魚は目黒に限る」というオチです。庶民的な流儀で無造作に調理することで素材本来の味が生かされる食材、それを丁寧すぎる程の調理を施すことで本来の美味しさを損ねてしまうという風刺の効いた滑稽噺です。各家庭で造られていたどぶろくの旨さは、この農家で焼いた秋刀魚の旨さに共通するのかも……と思った次第です。吟味した酒米を中心部まで磨き、技を凝らして醸造する大吟醸の研ぎ澄まされた素晴らしい美味しさ。一方で米そのものを味わう様な素朴で無骨などぶろくもまた旨いのです。それぞれに違った美味しさがあるということ。酒に優劣をつけたり、身分階級によって飲める酒が分けられたり、現代ではそんなことはナンセンスです。それぞれの好みに応じて、その時々の場面に応じて、選択できる時代はなんと素晴らしいことでしょう。 ■菊水のにごり酒『五郎八』  一方で、酒造メーカーが醸造するにごり酒は、長年庶民の自宅で造られてきた言うなればラスティックな旨さを、プロの技術で洗練させ安全に仕上げたものといえるのではないでしょうか。一種の昔懐かしさを感じさせる白濁した酒を、長年の酒造りで培った技と科学的根拠で絶妙に整え、安全に飲んでいただける商品として販売しているのです。 菊水で造るにごり酒『五郎八』。発売は1972年(昭和47)、原点はどぶろくです。酒好きの人に「懐かしい、飲みたい」と感じていただける昔ながらの味わいを再現しました。農村地方の古い大きな民家、皆で囲炉裏を囲んでワイワイ飲む絵が浮かぶような。豪快にグィッと飲む茶碗酒をイメージして、酒銘は五郎八茶碗*1からヒントを得ました。ラベルには「田舎酒座」のコピー*2も添えて。*1五郎八茶碗:江戸初期、肥前有田の高原(竹原)五郎八によって作り出されたという、大型の染付磁器の碗。後には大きく素朴な茶碗の総称となっています。五郎八の実在の陶工としての来歴はほとんどわかっていません。*2 本年(2023)ラベルデザインを一新。現在のラベルには上記コピーは入っていません。発売当初よりずっと秋冬限定醸造です。米の旨味がそのままギュっと凝縮されたような濃厚でコクのある味わいはまさに、寒い時期にグッとやりたくなる味わいです。菊水の地 北越後の地元の方々のみならず、広く各地で受け入れていただくことができ、発売50余年を経てなお菊水の秋冬期の代表的商品であり続けています。菊水の社史には、酒税法で規定する酒造免許について菊水の四代目 髙澤英介の思いが記されています。免許は「一般に禁止されていることを特別に許可する、という趣旨。裏返せば、良い酒をよい多く世の中へ供給しなさいという法の精神が読み取れる」と。自家醸造が一般には禁止されている現在、人々が飲みたいと感じる酒を醸し、真っ当な価格で、いつでも買える店に置いていただくこと、それが免許を与えられている酒蔵の役目であるという思いです。にごり酒『五郎八』も蔵元のそんな思いの結晶の1つと我々は捉えています。晩秋に発売のご案内をすると「待ってました!」「もう五郎八の季節なのですね」のお声をいただくことから、もはや冬の風物詩!的存在です。昔ながらのにごり酒の味わいとして懐かしく飲んでくださる長年のご愛飲者に加え、近ごろでは白濁した姿を珍しく感じ、一口飲んでその甘くコクのある味わいを好んでくださる若い方々も増えてきました。ソーダやジュース、ミルクで割るなどカクテル風に楽しむ方もいらっしゃいます。飲むシーンや飲み方は時代とともに変化してきても、素材を生かした滋味に富むにごり酒の味わいは普遍的なものなのかもしれません。寒さが一番厳しいこの時期、うまみたっぷりで身体が芯から温まるようなにごり酒を楽しまない手はありません。時代を超え愛され続けるにごり酒の魅力にあなたも嵌まってみませんか?参考・加藤百一「日本の酒5000年」技報堂出版1987年・坂口謹一郎「日本の酒の歴史」研成社1977年・坂口謹一郎「日本の酒」岩波書店1964年・小泉武夫「日本酒の世界」講談社2021年・神崎宣武「酒の日本文化-日本酒の原点を求めて」角川書店1991年・無明舎出版「どぶどく王国」2006年・秋田健酒造組合「秋田県酒造史」1988年・長山幹丸「どぶろく物語」1977年・本郷明美「どはどぶろくのど」講談社2011年・国税庁サイト内「構造改革特別区域法による酒税法の特例措置の認定状況一覧(令和5年3月認定分まで))2023.11.24閲覧chrome-extension://efaidnbmnnnibpcajpcglclefindmkaj/https://www.nta.go.jp/taxes/sake/qa/30/03/01.pdf・菊水酒造株式会社「菊水小史」2007年

2023年10月10日

にごり酒を簡単にアレンジできる“和カクテル”レシピ6選

ベースとなるお酒に果汁や薬味などを合わせる「カクテル」は、お酒が苦手な方にも飲みやすいとして、若者を中心に人気のアルコール飲料です。今回ご提案するのは、にごり酒を使った“和カクテル”レシピ! 菊水酒造のにごり酒『五郎八』をアレンジして、和の要素を感じさせるカクテルをつくりました。   菊水酒造『五郎八』とは? 『五郎八』は菊水酒造から秋冬だけに登場する季節限定のにごり酒です。 新潟・越後民話に登場する山賊頭領の名前が由来で、その名の通り、豪快ながらもどこか素朴な味わいのお酒に仕上がっています。 読み方は「ごろはち」で、数字にすると「五六八」。「いろは」とも読むことができて、花札なら「かぶ」なので、縁起のいい名前だという声も。   白い色が印象的な『五郎八』は、口にふくむと、お米の粒々感とコクのある甘さが口いっぱいに広がって、濃厚な旨みがじっくりとからだに染み渡ります。 キーンと冷やしたストレートで豪快に飲むのがおすすめですが、実はカクテルベースにして割る楽しみ方も人気の『五郎八』。アルコール度数を和らげつつも、素朴な甘さや濃厚な味わいはしっかり残ってくれるので、いろんなアレンジが楽しめますよ。   『五郎八』のアレンジレシピ6選 にごり酒『五郎八』を使って日本酒カクテルに仕立てた、アレンジレシピをご紹介します。   ソーダで割る「ゴロぼーる」 「五郎八」をお好みのソーダ(炭酸水)で割るだけの簡単レシピ。炭酸で割ることで、爽快感があって食前酒にもぴったりです。 つくり方 1.グラスに氷を入れる。 2.『五郎八』と炭酸飲料を好みの割合で注ぐ。2:1が基本。   ミルクでマイルドな味わいの「雪うさぎ」 『五郎八』を冷たい牛乳と合わせた、白いカクテルです。牛乳を加えることでアルコール度数が下がり、まろやかになるため、お酒を飲み慣れない方にもおすすめです。 つくり方 1.『五郎八』と牛乳はあらかじめ冷やしておく。 2.グラスに氷を満たし、『五郎八』と牛乳を1:1の割合で入れて軽くかき混ぜる。   フルーティーな「夕日の輝き」 『五郎八』を100%オレンジジュースで割るフルーティーなカクテルです。オレンジジュースの酸味が、『五郎八』の濃厚なコクと甘みを引き立てます。 つくり方 1.「五郎八」とオレンジジュースをあらかじめ冷やしておく。 2.グラスに氷を満たし、『五郎八』とオレンジジュースを1:1の割合で入れて軽くかき混ぜる。   飲むヨーグルトで簡単「名残り雪」 『五郎八』を飲むヨーグルトで割った濃厚な口当たりのカクテルです。『五郎八』の甘みと、ヨーグルトの酸味との相性抜群。にごり酒の初心者向き。 つくり方 1.『五郎八』と飲むヨーグルトはあらかじめ冷やしておく。 2.グラスに氷を満たし、『五郎八』と飲むヨーグルトを1:1の割合で注ぎ、軽くかき混ぜる。割合はお好みで調整を。   梅酒の香る「梅八」 『五郎八』と梅酒を組み合わせると、さわやかなにごり酒に変わり、飲みやすくなります。特徴ある香りとコクを感じられるカクテルです。 つくり方 1.『五郎八』と梅酒はあらかじめ冷やしておく。 2.グラスに氷を満たし、五郎八と梅酒を1:1の割合で入れて軽くかき混ぜる。   ミルクでマイルドな味わいの「朱鷺のゆめ」 ざくろから作った甘酸っぱい「グレナデンシロップ」を使った新感覚のカクテルです。程よい酸味と甘さが、おいしさを引き立てます。 つくり方 1.『五郎八』はあらかじめ冷やしておく。 2.氷を満たしたグラスに『五郎八』を入れ、グレナデンシロップを少々追加して、軽くかき混ぜる。   にごり酒『五郎八』で作る和カクテルを6つご紹介しました。アレンジ次第で楽しさが広がりそう。いろいろ試してみてください。   にごり酒『五郎八』商品情報

2023年06月27日

50年愛されてきた缶入り日本酒のパイオニア。累計販売本数3億超『菊水ふなぐち』

菊水酒造株式会社の看板商品であるアルミ缶入り生原酒「菊水ふなぐち」が、2022年11月27日に発売50周年を迎えました。2018年には国内累計出荷本数が3億本(※1)を突破し、全国のスーパーやコンビニエンスストアなどでも購入できるようになった商品ですが、かつては蔵でしか味わうことができない門外不出のお酒でした。しぼった後の割水と火入れ(加熱処理)を一切施すことのない生酒は、その品質のデリケートさから市場に流通させることは難しく、当時の業界の常識では考えられないことでした。本ストーリーでは、日本初の缶入り生原酒(※2)「菊水ふなぐち」の誕生から現在に至るまでの軌跡についてお伝えします。 3年におよぶ試行錯誤。開発のプロセス 大手にはできないことをしなければ。考え抜いた末に思い当たったのが、酒蔵来訪者だけに振る舞っていた、蔵でしか飲めない、しぼりたての生原酒でした。おいしいと好評でしたが、当時の技術では商品化することができなかった酒です。 一般の日本酒は、品質を保つため火入れと呼ばれる加熱殺菌して市販されます。腐敗の原因となるのは、昔から酒蔵を悩ませてきた火落菌。生のお酒を世に出すことは当時の業界の常識では考えられないことでした。それでも「できたての酒って、こんなにうまいんだ」「これを売ってくれ」との声に何とか応えたい想いで、この生原酒を商品化することを決意します。醸造技術を根本から改め、最初から火落菌が入らないよう試行錯誤しました。また、日本酒は紫外線に弱い性質があるため、遮光性に優れたアルミ缶容器を採用しました。そうして3年の研究開発を経て、1972年11月にアルミ缶に詰めた元祖生原酒「ふなぐち」が誕生しました。 「菊水ふなぐち」開発のきっかけとなったお客様の声 1960年代後半、日本経済は高度成長期のピークを迎えていました。大手酒造メーカーは順調に業績を伸ばしましたが、地方の蔵元は逆に圧迫され、転廃業の危機にさらされていました。菊水酒造も例外ではありません。そのうえ菊水は、1966年、67年と続いた大水害によって茫然自失となるほどの被害を被ってもいたのです。廃業へと傾く気持ち。それを引き止めてくださったのは、何よりお客様からの「頑張れよ」という励ましでした。一念発起し、移転再建を決断。69年には新しい蔵が稼動しました。 当たったのが、酒蔵来訪者だけに振る舞っていた、蔵でしか飲めない、しぼりたての生原酒でした。おいしいと好評でしたが、当時の技術では商品化することができなかった酒です。 一般の日本酒は、品質を保つため火入れと呼ばれる加熱殺菌して市販されます。腐敗の原因となるのは、昔から酒蔵を悩ませてきた火落菌。生のお酒を世に出すことは当時の業界の常識では考えられないことでした。それでも「できたての酒って、こんなにうまいんだ」「これを売ってくれ」との声に何とか応えたい想いで、この生原酒を商品化することを決意します。醸造技術を根本から改め、最初から火落菌が入らないよう試行錯誤しました。また、日本酒は紫外線に弱い性質があるため、遮光性に優れたアルミ缶容器を採用しました。そうして3年の研究開発を経て、1972年11月にアルミ缶に詰めた元祖生原酒「ふなぐち」が誕生しました。   缶がバトンのように全国へ。ユニークな販売促進 長い年月を費やして生まれた「ふなぐち」ですが、当初から好調だったわけではありません。日本酒は一升瓶に入っているのが常識で、小さなアルミ缶入りの酒など、どこも取り扱ってくれませんでした。そこで展開したのが、都会からのスキー客や温泉客の多いリゾート地での試飲販売です。とにかく一度飲んでもらえば、このおいしさをわかっていただけると信じての活動でした。 その功を奏して、「ふなぐち」で生原酒を味わったお客様が都会へ帰って、デパートや酒屋で「ふなぐちはおいしい」「ふなぐちはないのか?」と口コミで宣伝してくださいました。こうして少しずつ小売店での取り扱いが増えていったのです。 「ふなぐち」は、蔵を訪れたお客様の「おいしい」という声から生まれ、一度味わったお客様の「おいしい」という声によって広まった酒です。そしてこの「ふなぐち」が、窮地にあった菊水酒造を救ったのは言うまでもありません。お客様の「おいしい」という声がなかったら、今の菊水酒造はなかったでしょう。 しぼりたてのおいしさを届けるために 「ふなぐち」の缶蓋を開けた時にお酒がなみなみと入っていて嬉しい、といったお声をいただきます。実は「ふなぐち」は、本来の容量が一合サイズの180ml規格の缶に、たっぷりと200mlのお酒を詰めています。これはお客様にしぼりたての生原酒を存分に味わっていただきたいという想いと、お酒が空気に触れて酸化することで、フレッシュな風味が損なわれてしまうことを避けるため、というのが理由です。品質保持のためのパッカーンと缶を開けた時のお客様の笑顔、そして、お酒の風味を守るためのささやかなこだわりがここにあります。 瓶ではない理由 しぼりたての生原酒をいつでも、どこでも、手軽に楽しんでいただきたい、そんな志を持った「ふなぐち」は、200ml缶のほかに、500mlのボトル缶や、スタンドタイプのスマートパウチの容器でラインナップを展開しています。これらの容器に共通するのは、日本酒の大敵である紫外線を遮り、お酒の劣化を防ぎ生原酒のおいしさを守ること、そして軽量で携行性に優れ、扱いやすい容器であるということです。 ■このカタチ、きっと日本酒の未来を変える「菊水ふなぐちスマートパウチ」 スマートパウチは1.5Lと大容量でありながら、軽量・コンパクトで取り扱いがしやすく環境にも優しいことに加え、遮光性に優れ、開封後の空気の侵入を防ぐ機能性を持ち、しぼりたての蔵出しの味を最後の一杯までお客様に味わっていただける優れもの。瓶よりもかしこく、スマートに。菊水がたどり着いた新しいおいしさ「長持ち」のかたちです。 1972年11月、日本の高度成長期に誕生した「菊水ふなぐち」は、これからもみなさまの暮らしに寄り添いながら、いつでも、どこでも、詰めたてのおいしさをお届けする原点にたち、発売当初からの志を大切に、この酒を醸し続けてまいります。   ■菊水通信:「菊水ふなぐち」関連記事 https://www.kikusui-sake.com/book/vol19/#target/page_no=7 https://www.kikusui-sake.com/book/vol21/#target/page_no=7   ※1:1972年10月~2017年11月(出荷ベース・自社データ)200ml缶のみ ※2:1972年11月に日本で初めて生原酒缶を商品化 (株)コミュニケーション科学研究所調べ(2010年1月) ※「ふなぐち」は菊水酒造株式会社の登録商標です。

2023年06月27日

『菊水ふなぐち』の味わいを科学する

『菊水ふなぐち』は菊水酒造を代表する日本酒です。缶入り日本酒の中では、POSデータ(2022年8月 酒販ニュース9月21日掲載)によると、清酒の小容量カテゴリーにおいて日本一の販売数量を誇ります。 『菊水ふなぐち』はご存じの通り生酒です。生酒を常温で流通させることは品質安定の難しさ、劣化の面で問題があり、菊水ではかつては蔵に来て頂いた方だけに振舞っていました。一方、生酒ゆえにその旨さは格別で、評判を聞きつけた人が蔵までやってきて所望する時代もあったそうです。そこで、菊水では、日本酒の鮮度を保つための製品開発、容器開発で試行錯誤を繰り返し、50年前の1972年に、日本初のアルミ缶入り生原酒の開発に成功。蔵でしか飲めなかった『菊水ふなぐち』を数多くの全国の方々に愉しんで頂けるようになりました。このように、菊水では、創業以来の進取の気性の精神により、商品開発、容器開発、品質管理など研究開発活動にも以前から熱心に取り組んでまいりました。 菊水の研究開発活動は多方面に渡り、新しい研究開発手法や食品、飲料、酒類技術評価方法、マーケティング調査手法、フードテック関連情報など広く最新情報の収集のためアンテナを張り、市場トレンドやマーケット情報を収集しています。 その取組みの中、現在では、日々の生産ロットの品質管理、鮮度管理、経時変化検証の他、ガスクロマトグラフィ検査によるにおいの質検査、液クロマトグラフィによる呈味検査、味覚センサなど感性工学機器を用いた味覚データ取得による商品管理、商品特長の定量化などまで行っています。 菊水製品の商品ラベルに掲載されている味わいチャートも味覚センサで測定した客観的なデータを示すことにより実際に飲用する前に商品の味わいをお客様に伝えるための取組みの一環になります。【図1】 これ以外に、菊水で現在注力しているのが、フードペアリング評価方法の開発になります。従来、フードペアリング或いはマリアージュについては、評価者のテイスティングなど人間の主観や感覚で捉える方法が世の中では主流でしたが、味覚センサなど感性工学技術の進展により実際に科学分析した結果から食べ物と飲料、酒類との相性を評価する技術が世の中に登場し、菊水でも、業界内ではかなり早い段階からその研究開発活動を推進してきました。これまでの菊水通信のバックナンバーの中にもフードペアリングについて事例を数多くご紹介させて頂いています。   料理品と日本酒の合わせ方としては、いつものように、【図2】で示す通り、料理品と日本酒がそれぞれに持つコク、キレ、濃醇の三角形のグラフから、その形状に着目し、味わいが調和する「調和型」、味わいが深まる「相乗効果型」、味わいを引き立たせる「補強型」、味わいがまとまる「相互補完型」という組合せを探し出し、マリアージュのパターンを見つけ出します。 料理や飲料、酒類などの苦味や渋味は低濃度であるため味わいに輪郭を与えるコクとして解釈し、キレは酸味の強さや口腔内での味わいの後切れとして解釈、濃醇は塩味や味の濃淡として解釈します。苦味や酸味は、人が本来避け、食生活の中で後天的に受け容れる味わいであるため、これらのバランスが重要であると考え、それらが適量となることで味わいに輪郭が加わり、ペアリングやマッチングの可能性が高くなります。 例外として、料理が飲料や酒類を大きく越える苦味(或いは渋味)の場合はマッチングしにくい場合がありますので、菊水では官能評価も併用しています。 味わいの濃醇である塩味などは味わいの濃度の決め手となります。甘味やうま味に関しては双方の濃度に関係なく、「好み」として判断することが多いため、一次スクリーニング判定では使用せず、二次スクリーニングでの官能評価時に判定根拠として考慮する方法を採用しています。 菊水と長年共同研究している味香り戦略研究所のフードペアリングシステムに格納されている約200の食品群の中から、『菊水ふなぐち』に合うペアリング料理を抽出したのが、以下の表になります。意外な組合せもあることに驚かされます。 日本酒醸造・発酵食品製造のモノ造り、日本酒の歴史、文化、愉しみ方等を様々にお伝えするコト造り。菊水はこの両輪で日本酒を楽しくする蔵元です。モノとコト両方面から俯瞰して覗いてみた時、お酒の新たな魅力が発見できることから、菊水では引き続き、研究開発活動を深化、強化して行く予定です。『菊水ふなぐち』と料理の組合せで、これは! というお奨めのとっておきの組合せがあれば、是非菊水までご一報ください。 ■デジタルブック「菊水通信」 https://www.kikusui-sake.com/book/vol21/#target/page_no=3

2023年01月07日

The Terroir of Shibata — Hot Springs

Shibata City, the homeland of Kikusui, is also home to one of the most famous hot springs in Niigata Prefecture called Tsukioka Onsen. True to its name, it is a wonderful hot spring resort that invites a feeling of autumnal travel. It boasts one of the highest sulfur content in Japan, and the water is mildly alkaline and gentle on the skin. The sulfur spring water, which is rare and beautiful emerald green, can turn precious metals black. It is said to be effective in treating dermatitis and adult diseases, and above all, it is known as "the hot spring that makes you more beautiful" because it is thought to be effective in beautifying the skin. It is located about a 15-minute drive away from Kikusui's head office, and you can smell the unique scent of the sulfur spring even when you are in the car. There are also many different inns. The wide selection includes large inns with a variety of facilities, traditional hot-spring cure inns, and private inns that feel like hideaways. If you walk around the hot spring resort area, you will find footbaths where you can casually enjoy Tsukioka's hot spring water, shops where you can enjoy Niigata's local sake, other local delicacies, and of course, local onsen manju! There are also many souvenir shops. In the long cool autumn nights, you can stroll around the hot spring town under the moonlight, take a bath while gazing at the moon ― and don't forget to drink some delicious local sake after your bath. Will you have cold sake after warming up or warmed sake to match the cool autumn weather?   Tsukioka Onsen Tourism Association: http://www.tsukiokaonsen.gr.jp/ https://www.kikusui-sake.com/book/vol5/#target/page_no=7

2022年12月06日

発売50周年 改めまして『菊水ふなぐち』です!

名実ともに菊水酒造の看板商品である“ふなぐち菊水一番しぼり” (旧名称 名称については後述)が発売50周年を迎えました。 ひとえに飲み支えてくださったご愛飲者の皆様あってこその50周年です。心より御礼申し上げます。 “ふなぐち菊水一番しぼり”といえば、この缶(図1:前デザイン)。 全体が金色で、酒樽を模して、白抜きの窓に大きく赤い「菊水」の文字。表現や味わいチャート図、アルコール度数を大きく表示するなど、細かな改良は随時行ってきましたが、全体のデザインを大きく変更することはなく、ずっと長い間、私達社員にとってもこの金色の缶が“ふなぐち菊水一番しぼり”であり続けていました。 今年の発売50周年を迎えるにあたり、私たちはこの商品を改めて〈真っすぐに皆様にお伝えしたい〉と考えました。長い間ご愛飲くださった皆様に感謝の気持ちをお伝えすると同時に、「この味ですよね」とこの酒の美味しさを改めて共有するために。そしてこれからこの商品に出会ってくださるであろう皆様に、「こういう酒です。こんな味わいです。ぜひ試してみてください」とご紹介するためにです。 ■まっすぐ伝わる商品名に。『菊水ふなぐち』 50年前まだ常識の外であったしぼりたての生原酒を、なんとかしてお伝えしたい一心で“ふなぐち菊水一番しぼり”と命名しました。菊水が苦労のすえに開発した画期的な製法が全て込められた商品名です。50年の月日が流れ、加熱殺菌をしない、加水調整をしない、という製法はある程度認知が広まって来たと感じる中で、やはりこの商品を一言で的確に示しているキーワードは*【ふなぐち】だと私達は考えます。 日本酒の製造工程で、仕込んだ醪(もろみ)をしぼる道具を蔵では「ふね」と呼び、その「ふね」の「くち」から流れ出てくるしぼりたての生原酒を、菊水では【ふなぐち】と呼んでいました。菊水の蔵で今しぼったばかりの生まれたて、火入れ(加熱処理)もしない、調合もしない、酒本来の味わいのままの生原酒を表現するのに、【ふなぐち】以上に適した言葉は無いと考え、商品名に採用しました。菊水のこだわりを全て詰め込んだ“ふなぐち菊水一番しぼり”は、慣れ親しんだ良い名前とは今でも思ってはおりますが、少々長い感も否めません。50周年を好機に、思いきって簡潔で且つ特徴を真っすぐに伝える力のある名称に改めようと決めました。新しい名称は『菊水ふなぐち』です。改めまして宜しくお願いします。   ■まっすぐ伝わるデザインに。缶デザインをリニューアル “ふなぐち菊水一番しぼり”という長い名称の時より、50年間ずっと社内では【ふなぐち】という愛称で呼ばれています。一方でお客様からは“菊水”と呼ばれることが多いように感じています。他にも“一番しぼり”や“金の菊水”なんて呼ばれる方もいらっしゃいます。前述のとおり【ふなぐち】という名称こそがこの酒を端的に表していると考えておりますし、社内でも愛着のある呼称ですので、皆様にも【ふなぐち】と呼んでいただけたらな、と思うのです。そのためにはどうしたら良いのか……。発売当時より缶の中央に大きく“菊水”と書かれており、このことがこの商品自体を“菊水”や“金の菊水”と呼ばせている一因かもしれません。今あらためて【ふなぐち】というこの商品の最大の特徴を名称として、飲んでくださる皆様も、造る我々も、共通して【ふなぐち】と呼びたいという願いを込め、缶のデザインも変えよう!新デザインの缶には真ん中に一番大きく【ふなぐち】と記そう!と決めました。 缶全体のイメージを大きく左右する色合いも見直しました。今までのデザインは“金の菊水”と呼ばれるほどに、金色を全面に配したデザインでした。光を放つような金色はとてもインパクトがあり、小さい缶容器ながら存在感を示してくれるものでありましたが、この商品の味わいをまっすぐに伝えているかという視点から見直してみることにしました。しぼりたて生酒ならではのフレッシュでフルーティな香り、キリリと冷やした時の爽やかな飲み心地、原酒ならではのインパクトのあるコク、且つキレの良い後味。全面の金色ではこのフレッシュな香味を表現できていないのではないか?しかし、ガラリと変えることでいつものご愛飲者様を売り場で戸惑わせてしまいたくない、様々に議論は白熱しました。 結果、デザイナーさんは絶妙な匙加減で金色に白色を加えてくれました。今までの“ふなぐち菊水一番しぼり”の雰囲気を纏いつつ、とてもすっきりしたイメージになりました!この商品のフレッシュさ、爽やかさ、キレの良さが感じられる洗練された配色です。簡潔な商品名『菊水ふなぐち』にもとても相応しいデザインと感じます。 実は、発売当初の缶は全体が白色でゴールドは窓枠を彩るアクセント的に用いられているのみでした。 (図2:1972年発売当時の缶)そして、最初にこの美味しさのファンになってくれたのは、新潟のスキーリゾートに遊びに来ていた都会の若い方々でした。従前の日本酒とはひと味違う新鮮な香味を好んでくださったのでしょう。当時の社内資料がなく全くの想像でしかないのですが、落ち着いた色合いの多い日本酒のデザインの中で、この爽やかで軽やかなイメージの白色は、従来の日本酒のイメージに飽き足らない若い感性に向けての情報発信だったとも考えられます。 白色にゴールドのアクセントを入れた缶容器で発売以来、5年後さらに11年後とデザインリニューアルするたびに金色の割合が増え、1986年には金色がほぼ全面となった経緯があります(図3:缶デザイン変遷)。こちらも想像の域を超えませんが、原酒ならではのコク、ガツンとインパクトある味わいを表現したのでしょうか、それとも一升や四合など堂々とした背の高い瓶の中で、小さな缶容器を精いっぱい目立たせたい思いが、光り放つ金色を多くさせていったのでしょうか。デザインの変遷に当時の社員がこの商品に誇りと愛着を持ち、多くの方々に手に取って欲しいと願った想いが見て取れる様です。   商品の特徴と味わいをまっすぐに伝える原点回帰の意味合いも感じさせるデザインリニューアルではありますが、単なるノスタルジック的表現ではありません。新しいデザインの缶に触れてみてください。手触り感が少し違う事にお気づきになるでしょう。白色の部分に特殊インクを使っており、ツルンとした缶では味わえない、ちょっと上質な手触りを感じていただけます。 さて。生原酒といった大きな特徴に比べ、お伝えする機会が少ないのですが『菊水ふなぐち』は国の定めた規定に則り厳選した原料で特別な製法を行う「特定名称酒」です。日本酒は「普通酒」と「特定名称酒」に分けられます。日本の酒税法に定められた製造法と名称に関するルールがあり、一定の条件を満たした日本酒でなければ特別な名である〈特定名称〉を冠することは許されていないのです。この条件は中々に厳格です。原料米は農産物検査法により3等以上に格付けされた玄米(もしくはそれと同等の玄米)であること、麹米の使用割合が15%以上であること、出来上がった酒は固有の香味を持ち色沢が良好であること。これらの基本条件をクリアしたうえで、原料米をどのくらい削っているか、醸造アルコールの使用有無(醸造アルコール使用するタイプは、アルコール分95度換算の重量が白米の重量の10%を超えない)などにより、8種類ある特定名称のうち適したものを名乗ることが出来るのです。吟醸酒、純米酒などの名称を聞いたことがある方は多いのではないでしょうか。これらの総称が特定名称であり、『菊水ふなぐち』はこの中で本醸造酒を名乗ることが許された、特定名称酒なのです。日本酒造組合の調べによりますと、日本酒の国内出荷量に占める特定名称酒の割合はわずか34%(令和3年)であり、これ以外は普通酒・一般酒となります。 大前提として特定の名を冠することのできる基準の造りをした酒であり、そこに加えて、加熱処理を行わずとも劣化しづらい技術を以てのフレッシュさ、加水調整しない日本酒本来のコクなど、この小さな缶の手軽なイメージからはちょっと想像し難いほどの品質を詰め込んでいると自負しています。新しい缶の手触りから、「しっかりした品質の美味い酒を多くの方々へお届けしたい」菊水の心意気を感じていただければ嬉しく思います。   ■語りつくせない想いも整えて記しました。 このように語りつくせない『菊水ふなぐち』の魅力。ぜひ知っていただきたい諸々を、新しい缶に記しています。今まで情報の追加を重ねることで様々なフォントが混じっていた文字情報も、読みやすく整えました。ぜひ手に取って、読んで、味わってください。いつもご愛飲くださっている方々には「なるほどこの美味しさの理由はこれか」と思っていただきたく、はじめましての方にはこの味わいをまっすぐにお伝えすることで手に取っていただけるように、思いを込めて50周年を機に色んな改良を行いました。 50年目の改めまして。『菊水ふなぐち』です。これからもどうぞご贔屓にお願い致します。   *【ふなぐち】は菊水の登録商標です。 ◆WEBマガジン「菊水通信」 https://www.kikusui-sake.com/book/vol21/#target/page_no=7