北越後だより

2023年06月27日

『菊水ふなぐち』の味わいを科学する

『菊水ふなぐち』は菊水酒造を代表する日本酒です。缶入り日本酒の中では、POSデータ(2022年8月 酒販ニュース9月21日掲載)によると、清酒の小容量カテゴリーにおいて日本一の販売数量を誇ります。 『菊水ふなぐち』はご存じの通り生酒です。生酒を常温で流通させることは品質安定の難しさ、劣化の面で問題があり、菊水ではかつては蔵に来て頂いた方だけに振舞っていました。一方、生酒ゆえにその旨さは格別で、評判を聞きつけた人が蔵までやってきて所望する時代もあったそうです。そこで、菊水では、日本酒の鮮度を保つための製品開発、容器開発で試行錯誤を繰り返し、50年前の1972年に、日本初のアルミ缶入り生原酒の開発に成功。蔵でしか飲めなかった『菊水ふなぐち』を数多くの全国の方々に愉しんで頂けるようになりました。このように、菊水では、創業以来の進取の気性の精神により、商品開発、容器開発、品質管理など研究開発活動にも以前から熱心に取り組んでまいりました。 菊水の研究開発活動は多方面に渡り、新しい研究開発手法や食品、飲料、酒類技術評価方法、マーケティング調査手法、フードテック関連情報など広く最新情報の収集のためアンテナを張り、市場トレンドやマーケット情報を収集しています。 その取組みの中、現在では、日々の生産ロットの品質管理、鮮度管理、経時変化検証の他、ガスクロマトグラフィ検査によるにおいの質検査、液クロマトグラフィによる呈味検査、味覚センサなど感性工学機器を用いた味覚データ取得による商品管理、商品特長の定量化などまで行っています。 菊水製品の商品ラベルに掲載されている味わいチャートも味覚センサで測定した客観的なデータを示すことにより実際に飲用する前に商品の味わいをお客様に伝えるための取組みの一環になります。【図1】 これ以外に、菊水で現在注力しているのが、フードペアリング評価方法の開発になります。従来、フードペアリング或いはマリアージュについては、評価者のテイスティングなど人間の主観や感覚で捉える方法が世の中では主流でしたが、味覚センサなど感性工学技術の進展により実際に科学分析した結果から食べ物と飲料、酒類との相性を評価する技術が世の中に登場し、菊水でも、業界内ではかなり早い段階からその研究開発活動を推進してきました。これまでの菊水通信のバックナンバーの中にもフードペアリングについて事例を数多くご紹介させて頂いています。   料理品と日本酒の合わせ方としては、いつものように、【図2】で示す通り、料理品と日本酒がそれぞれに持つコク、キレ、濃醇の三角形のグラフから、その形状に着目し、味わいが調和する「調和型」、味わいが深まる「相乗効果型」、味わいを引き立たせる「補強型」、味わいがまとまる「相互補完型」という組合せを探し出し、マリアージュのパターンを見つけ出します。 料理や飲料、酒類などの苦味や渋味は低濃度であるため味わいに輪郭を与えるコクとして解釈し、キレは酸味の強さや口腔内での味わいの後切れとして解釈、濃醇は塩味や味の濃淡として解釈します。苦味や酸味は、人が本来避け、食生活の中で後天的に受け容れる味わいであるため、これらのバランスが重要であると考え、それらが適量となることで味わいに輪郭が加わり、ペアリングやマッチングの可能性が高くなります。 例外として、料理が飲料や酒類を大きく越える苦味(或いは渋味)の場合はマッチングしにくい場合がありますので、菊水では官能評価も併用しています。 味わいの濃醇である塩味などは味わいの濃度の決め手となります。甘味やうま味に関しては双方の濃度に関係なく、「好み」として判断することが多いため、一次スクリーニング判定では使用せず、二次スクリーニングでの官能評価時に判定根拠として考慮する方法を採用しています。 菊水と長年共同研究している味香り戦略研究所のフードペアリングシステムに格納されている約200の食品群の中から、『菊水ふなぐち』に合うペアリング料理を抽出したのが、以下の表になります。意外な組合せもあることに驚かされます。 日本酒醸造・発酵食品製造のモノ造り、日本酒の歴史、文化、愉しみ方等を様々にお伝えするコト造り。菊水はこの両輪で日本酒を楽しくする蔵元です。モノとコト両方面から俯瞰して覗いてみた時、お酒の新たな魅力が発見できることから、菊水では引き続き、研究開発活動を深化、強化して行く予定です。『菊水ふなぐち』と料理の組合せで、これは! というお奨めのとっておきの組合せがあれば、是非菊水までご一報ください。 ■デジタルブック「菊水通信」 https://www.kikusui-sake.com/book/vol21/#target/page_no=3

2022年12月06日

発売50周年 改めまして『菊水ふなぐち』です!

名実ともに菊水酒造の看板商品である“ふなぐち菊水一番しぼり” (旧名称 名称については後述)が発売50周年を迎えました。 ひとえに飲み支えてくださったご愛飲者の皆様あってこその50周年です。心より御礼申し上げます。 “ふなぐち菊水一番しぼり”といえば、この缶(図1:前デザイン)。 全体が金色で、酒樽を模して、白抜きの窓に大きく赤い「菊水」の文字。表現や味わいチャート図、アルコール度数を大きく表示するなど、細かな改良は随時行ってきましたが、全体のデザインを大きく変更することはなく、ずっと長い間、私達社員にとってもこの金色の缶が“ふなぐち菊水一番しぼり”であり続けていました。 今年の発売50周年を迎えるにあたり、私たちはこの商品を改めて〈真っすぐに皆様にお伝えしたい〉と考えました。長い間ご愛飲くださった皆様に感謝の気持ちをお伝えすると同時に、「この味ですよね」とこの酒の美味しさを改めて共有するために。そしてこれからこの商品に出会ってくださるであろう皆様に、「こういう酒です。こんな味わいです。ぜひ試してみてください」とご紹介するためにです。 ■まっすぐ伝わる商品名に。『菊水ふなぐち』 50年前まだ常識の外であったしぼりたての生原酒を、なんとかしてお伝えしたい一心で“ふなぐち菊水一番しぼり”と命名しました。菊水が苦労のすえに開発した画期的な製法が全て込められた商品名です。50年の月日が流れ、加熱殺菌をしない、加水調整をしない、という製法はある程度認知が広まって来たと感じる中で、やはりこの商品を一言で的確に示しているキーワードは*【ふなぐち】だと私達は考えます。 日本酒の製造工程で、仕込んだ醪(もろみ)をしぼる道具を蔵では「ふね」と呼び、その「ふね」の「くち」から流れ出てくるしぼりたての生原酒を、菊水では【ふなぐち】と呼んでいました。菊水の蔵で今しぼったばかりの生まれたて、火入れ(加熱処理)もしない、調合もしない、酒本来の味わいのままの生原酒を表現するのに、【ふなぐち】以上に適した言葉は無いと考え、商品名に採用しました。菊水のこだわりを全て詰め込んだ“ふなぐち菊水一番しぼり”は、慣れ親しんだ良い名前とは今でも思ってはおりますが、少々長い感も否めません。50周年を好機に、思いきって簡潔で且つ特徴を真っすぐに伝える力のある名称に改めようと決めました。新しい名称は『菊水ふなぐち』です。改めまして宜しくお願いします。   ■まっすぐ伝わるデザインに。缶デザインをリニューアル “ふなぐち菊水一番しぼり”という長い名称の時より、50年間ずっと社内では【ふなぐち】という愛称で呼ばれています。一方でお客様からは“菊水”と呼ばれることが多いように感じています。他にも“一番しぼり”や“金の菊水”なんて呼ばれる方もいらっしゃいます。前述のとおり【ふなぐち】という名称こそがこの酒を端的に表していると考えておりますし、社内でも愛着のある呼称ですので、皆様にも【ふなぐち】と呼んでいただけたらな、と思うのです。そのためにはどうしたら良いのか……。発売当時より缶の中央に大きく“菊水”と書かれており、このことがこの商品自体を“菊水”や“金の菊水”と呼ばせている一因かもしれません。今あらためて【ふなぐち】というこの商品の最大の特徴を名称として、飲んでくださる皆様も、造る我々も、共通して【ふなぐち】と呼びたいという願いを込め、缶のデザインも変えよう!新デザインの缶には真ん中に一番大きく【ふなぐち】と記そう!と決めました。 缶全体のイメージを大きく左右する色合いも見直しました。今までのデザインは“金の菊水”と呼ばれるほどに、金色を全面に配したデザインでした。光を放つような金色はとてもインパクトがあり、小さい缶容器ながら存在感を示してくれるものでありましたが、この商品の味わいをまっすぐに伝えているかという視点から見直してみることにしました。しぼりたて生酒ならではのフレッシュでフルーティな香り、キリリと冷やした時の爽やかな飲み心地、原酒ならではのインパクトのあるコク、且つキレの良い後味。全面の金色ではこのフレッシュな香味を表現できていないのではないか?しかし、ガラリと変えることでいつものご愛飲者様を売り場で戸惑わせてしまいたくない、様々に議論は白熱しました。 結果、デザイナーさんは絶妙な匙加減で金色に白色を加えてくれました。今までの“ふなぐち菊水一番しぼり”の雰囲気を纏いつつ、とてもすっきりしたイメージになりました!この商品のフレッシュさ、爽やかさ、キレの良さが感じられる洗練された配色です。簡潔な商品名『菊水ふなぐち』にもとても相応しいデザインと感じます。 実は、発売当初の缶は全体が白色でゴールドは窓枠を彩るアクセント的に用いられているのみでした。 (図2:1972年発売当時の缶)そして、最初にこの美味しさのファンになってくれたのは、新潟のスキーリゾートに遊びに来ていた都会の若い方々でした。従前の日本酒とはひと味違う新鮮な香味を好んでくださったのでしょう。当時の社内資料がなく全くの想像でしかないのですが、落ち着いた色合いの多い日本酒のデザインの中で、この爽やかで軽やかなイメージの白色は、従来の日本酒のイメージに飽き足らない若い感性に向けての情報発信だったとも考えられます。 白色にゴールドのアクセントを入れた缶容器で発売以来、5年後さらに11年後とデザインリニューアルするたびに金色の割合が増え、1986年には金色がほぼ全面となった経緯があります(図3:缶デザイン変遷)。こちらも想像の域を超えませんが、原酒ならではのコク、ガツンとインパクトある味わいを表現したのでしょうか、それとも一升や四合など堂々とした背の高い瓶の中で、小さな缶容器を精いっぱい目立たせたい思いが、光り放つ金色を多くさせていったのでしょうか。デザインの変遷に当時の社員がこの商品に誇りと愛着を持ち、多くの方々に手に取って欲しいと願った想いが見て取れる様です。   商品の特徴と味わいをまっすぐに伝える原点回帰の意味合いも感じさせるデザインリニューアルではありますが、単なるノスタルジック的表現ではありません。新しいデザインの缶に触れてみてください。手触り感が少し違う事にお気づきになるでしょう。白色の部分に特殊インクを使っており、ツルンとした缶では味わえない、ちょっと上質な手触りを感じていただけます。 さて。生原酒といった大きな特徴に比べ、お伝えする機会が少ないのですが『菊水ふなぐち』は国の定めた規定に則り厳選した原料で特別な製法を行う「特定名称酒」です。日本酒は「普通酒」と「特定名称酒」に分けられます。日本の酒税法に定められた製造法と名称に関するルールがあり、一定の条件を満たした日本酒でなければ特別な名である〈特定名称〉を冠することは許されていないのです。この条件は中々に厳格です。原料米は農産物検査法により3等以上に格付けされた玄米(もしくはそれと同等の玄米)であること、麹米の使用割合が15%以上であること、出来上がった酒は固有の香味を持ち色沢が良好であること。これらの基本条件をクリアしたうえで、原料米をどのくらい削っているか、醸造アルコールの使用有無(醸造アルコール使用するタイプは、アルコール分95度換算の重量が白米の重量の10%を超えない)などにより、8種類ある特定名称のうち適したものを名乗ることが出来るのです。吟醸酒、純米酒などの名称を聞いたことがある方は多いのではないでしょうか。これらの総称が特定名称であり、『菊水ふなぐち』はこの中で本醸造酒を名乗ることが許された、特定名称酒なのです。日本酒造組合の調べによりますと、日本酒の国内出荷量に占める特定名称酒の割合はわずか34%(令和3年)であり、これ以外は普通酒・一般酒となります。 大前提として特定の名を冠することのできる基準の造りをした酒であり、そこに加えて、加熱処理を行わずとも劣化しづらい技術を以てのフレッシュさ、加水調整しない日本酒本来のコクなど、この小さな缶の手軽なイメージからはちょっと想像し難いほどの品質を詰め込んでいると自負しています。新しい缶の手触りから、「しっかりした品質の美味い酒を多くの方々へお届けしたい」菊水の心意気を感じていただければ嬉しく思います。   ■語りつくせない想いも整えて記しました。 このように語りつくせない『菊水ふなぐち』の魅力。ぜひ知っていただきたい諸々を、新しい缶に記しています。今まで情報の追加を重ねることで様々なフォントが混じっていた文字情報も、読みやすく整えました。ぜひ手に取って、読んで、味わってください。いつもご愛飲くださっている方々には「なるほどこの美味しさの理由はこれか」と思っていただきたく、はじめましての方にはこの味わいをまっすぐにお伝えすることで手に取っていただけるように、思いを込めて50周年を機に色んな改良を行いました。 50年目の改めまして。『菊水ふなぐち』です。これからもどうぞご贔屓にお願い致します。   *【ふなぐち】は菊水の登録商標です。 ◆WEBマガジン「菊水通信」 https://www.kikusui-sake.com/book/vol21/#target/page_no=7

2022年07月13日

新しいユニフォームはアロハシャツ。

「菊水はお酒を愉しくする会社でしょう?」菊水の社長・髙澤が折に触れ私達社員に問いかける言葉です。 商品開発もご提案も接客もイベントなど、菊水の全ての行動の根幹にはこの言葉があります。 そんな菊水の名実ともに看板商品である『ふなぐち』が発売50周年を迎えました。この記念イヤーを『ふなぐち』好きの皆様と共有したい、日本酒好きな皆様と喜びたい、なんなら日本酒好きじゃない方々とも楽しみたい!お酒を愉しくする菊水、お酒を通して心豊かな生活をお届けしたい菊水、菊水らしい何かが出来ないか…… 出した答えの1つが「アロハシャツ」です。 酒蔵でアロハ?! 夏らしいフランクさがあって、着る人もウキウキ愉しくなって、見る人がつい「アロハ、可愛いですね」と気軽に声を掛けたくなる様な、そのアロハを着た人がそこに居るだけで場がパッと明るくなる様な、そんなお揃いのアロハシャツでお客様とお会いしよう、一緒に発売50周年記念を愉しもう、との想いからです。 アロハシャツって不思議です。菊水には20代〜60代の社員がおりますが、皆それぞれに似合ったのです。皆が何となく着こなせているのです。上の画像は社長を中心に、いつもお客様の最前線に立つ部署の社員の、アロハシャツお披露目で撮影したものです。様々な年代の社員が並んでいますが、皆それぞれに似合っていると思いませんか?可愛いく着こなす人、お茶目に、実直に、少し照れながら、渋めに等々それぞれの個性をアロハが引き立たせてくれるかの様に見え、とても驚きました。早速こちらを公式のSNSに掲載すると大きな反響があり、中には「どこで購入できますか?」の問い合わせもたくさん頂きました。 アロハマジック!アロハ効果恐るべし。着る人の年代それぞれに似合ってしまう懐の深さに興味が出て、アロハシャツの歴史を少し調べてみました。 アロハシャツの歴史を少し ALOHAとはハワイ語で「好意・愛情・慈悲・優しい気持ち・思いやり・挨拶」という意味を表すそうです。ゆったりした着心地、愉しいデザイン、カラフルな色使いのシャツが持つイメージにぴったりですね。ナイスネーミング! です。アロハシャツの発祥には諸説あるようですが、ハワイの日系移民が深く関わっていることは間違いない様です。ハワイのサトウキビ畑で働く日系移民が作業着として着ていた開襟シャツ「パカラシャツ」、これが現在のアロハシャツの原型になったと言われています。常夏の地での畑仕事用作業着が起源ときけば、現在のアロハシャツの、風通しの良い開襟で、身体の動きを妨げないゆったりした着心地といった形状に合点がいきます。 この様に日系移民の作業着として浸透していたパカラシャツ。日系移民は、日本から持ってきていた着物や浴衣が古くなると、その端切れを子供用のパカラ風シャツに仕立て直して着せていたそう。この着物や浴衣の日本独特のデザイン、いわゆる和柄が、現地の人や観光で訪れる人の目を惹き、徐々に人気を博していったのだそうです。 その後、日系移民である仕立て屋「ムサシヤ・ショーテン」が和柄の生地を使った開襟シャツを仕立てて販売、1935年に新聞に「アロハシャツ」という名称で広告を出したのが始まりだそうです。翌年にはムサシヤのアロハシャツを取り扱う中国系移民の洋品店が「アロハシャツ」を商標登録し、1950年代は特に和柄のアロハシャツが多く造られました。南国風やハワイを象徴する柄のものなども多く出回り、ハワイを代表するウェアとして定着、1960年代後半までにはハワイのビジネスシーンにもアロハシャツが浸透したとか。今では冠婚葬祭の場でも着用されるハワイのフォーマルウェアにまでなっていることは皆さんご存知のとおりです。 海を渡った日系の移民の作業着だったパカラシャツ(パカラシャツ自体は英米の船員がもたらしたフロックシャツが由来)、その形を基に着物・浴衣を仕立て直して子供に着せたパカラ風シャツがアロハシャツを産み、長い時間を経てハワイに定着したという歴史、そしてそのアロハシャツをここ日本で『ふなぐち』50周年記念のお祝として身にまとう私達。アロハシャツが海を渡り日本に里帰りして来てくれたような、不思議な感慨を覚えます。 遠く離れた異国の地で、日本独特の生地や文様、言い換えると日本の文化ともいえる和柄が現地の人の目に新鮮な驚きを与え、惹きつけ、多くの人に受け入れられ、長い時間の経過とともに現地に即した変容を重ねながら、現地に定着する…… これは、日本酒が海を渡り受け入れられるまでの道筋と重なって見えました。   財務省の貿易統計に基づく日本酒造組合中央会の発表によると、2021年(1〜12月)の日本酒輸出実績は、金額・数量ともに過去最高を記録、金額では約401億円に達しました。海外での日本酒の人気はうなぎのぼりと言える数字です。また、現地でのSAKE造りを行う蔵も増加しており、ある調査では世界全体で60以上の酒蔵があるそうです。ちなみに「日本酒」と名乗れるのは、日本の国産米を原料とし、かつ日本国内で製造された清酒のみです。よってここでは海外で作られる清酒はSAKEと記しています。 以前より日本酒はこんなに海外で人気だったのでしょうか?そもそも日本酒っていつから輸出されているの?いろんな疑問が湧いてきますね。酒どころで知られる西宮の白鹿記念酒造博物館で、昨年12月より今年3月まで日本酒の海外進出の歴史を追った企画展「酒からSAKEへ」が開催されました。その紹介記事が様々な疑問に答えてくれています。日本酒の海外進出の契機と考えられているのは明治の欧州で開催された万国博覧会。世界に日本酒を知ってもらうために、1878年の第3回パリ万博、1889年第4回パリ万博、1900年第5回パリ万博と複数年にわたって参加し日本酒を出品しましたが、残念ながら万博での高評価にはつながらず、「ほろ苦いデビュー」だったそうです。一方でアロハシャツと同様に日系移民がここでもキーマンでした。同じ頃アジアやアメリカへ渡った日系移民に向け、日本酒が多く輸出されていたのです。遠く祖国を離れ慣れない環境で苦労されたであろう方々に、日本酒が疲れた身体を癒し、心を慰めてくれる必需品であったことは想像に難くありません。移民の為に日本酒が多く輸出された時期、そして戦争時の混乱期を経て、戦後は現地駐在の日本人による需要として日本酒の輸出量は増え続け、また同時に日本の大手酒造メーカーが現地生産を始めました。日本酒や現地生産SAKEは日系のみならず、じわじわと現地の人々にも受け入れられるようになりました。続いて起こった世界的な寿司・和食ブームに牽引されるように日本酒ブームが起こり、現在では先に記した様に日本酒の輸出増大、現地では日本の大手メーカーのみならず現地の人がマイクロブリュワリーを開設したり、日本人が海外で蔵を開き、そこで造られたSAKEが日本で人気になるという、いわば逆輸入の様な現象まで起きているのです。 アロハシャツと日本酒の来た道 菊水でも多くの酒を輸出しています。はじまりは1995年米国NY向けでした。信頼できるディストリビューターさんと出会えたことがきっかけです。 当初はやはり現地駐在員の使う飲食店向けがほとんどだったそうです。ハワイへの初出荷は2001年。その後、米国本土でもハワイでもじわじわと、でも確実に駐在の日本人向けのみならず、現地人向けの飲食店や小売店で菊水の酒の取り扱いが増えていきました。 需要の増加が進む中、2006年にはディストリビューターさんが「もっと日本酒を学び、正しい知識をもって販売したい」と、1週間ほどこちらに滞在し、洗米から上槽まで菊水の酒造工程の一通りを全て体験する酒造研修を受けてくださることになりました。 この研修は日本酒の深い知識を得ていただけたばかりか、現地のディストリビューターの社員さんと菊水が互いのことをより理解しあえるという副産物も与えてくれたのです。そしてこの研修は毎年続くようになりました。 研修にいらっしゃる方々はディストリビューターさんをはじめ、今では菊水の酒を取り扱ってくださる飲食店の方々にまで範囲が広がりました(コロナ禍で現在は休止中)。来ていただくばかりではなく、菊水も動きました。2010年には現地法人 KIKUSUI SAKEUSA,INC.をLAに、続いてNYにも設立しました。かの地でしっかりと菊水の美味しさを伝える専任スタッフが常駐し、日々活動に勤しんでいます。 米国からはじまり、現在ではアジアや欧州など23ヶ国に向け私達の酒を輸出しています。 後にアロハシャツとなる着物や浴衣の素材は、ハワイへ渡った日本人と共に海を越え、日本酒はアジアや米国へ渡った日本人に向け輸出されました。 はじまりは日本人のためだった日本独特のものが、時を経てゆっくりと現地の人々からも受け入れられ、次第に現地社会に溶け込んでいく。衣服の和柄と飲料の日本酒と違いはあれ、それらが辿った道筋はとても似ているように思えます。良い物は国を超え、時を超え、文化の壁を越えそして物自体もその時代やその場に即して変容していくことで、一層愛され残っていくという道筋は共通していますね。ある国の文化といえるものが、異国・異文化へ拡がっていく様に普遍性を感じます。酒造会社である私たち菊水がアロハシャツを着ることに不思議なご縁を感じずにはいられません。 古より続く文化を守ることはとても大事なことです。しかし頑なに昔からの形式だけに固執するのではなく、その文化の本質を大切にしながらも同時に時代に沿った方法を柔軟に取り入れ、今この時代に生きる皆さんとその文化の楽しさや美味しさを共有できることが何より大事だと私たちは考えます。長い時を生き抜きアロハシャツや日本酒が今でも愛されているのは、大きな時流のうねりの中で、たくさんの先人がその時代その場所に合った方法で着用・愛飲してきたからに他なりません。長く愛されているものの歴史を振り返りその知恵を学ぶことで、未来につながっていくのではないでしょうか。 アロハシャツと日本酒の来た道を知り、そんなことを思いました。 菊水のアロハシャツは、アイコン化された『ふなぐち』を四方八方に散りばめ、地色は『ふなぐち』の補色であるブルー、よく見ると菊水紋も描かれています。 爽やかで明るくて、どこか懐かしいノスタルジックなイメージのアロハシャツ、菊水社員それぞれの年代に合わせた着こなしを観にいらっしゃいませんか。 ◆蔵元直送オンラインショップ「KAYOIGURA」 KEITA MARUYAMAデザイン。菊水スタッフ着用のレアアイテムが限定発売! <新発売> 菊水オリジナル ふなぐちアロハシャツ https://www.kikusui-sake.shop/c/shuki/aloha   ◆WEBマガジン「菊水通信」 https://www.kikusui-sake.com/book/vol20/#target/page_no=7 ◆参考 ・サンサーフ(東洋エンタープライズ)「HISTORY OF ALOHA SHIRT Vol.001 /アロハシャツの起源と歴史①」https://www.sunsurf.jp/news/193/ ・お酒の輸出と海外産清酒・焼酎に関する調査(Ⅱ)喜多常夫(醸協2009) ・続・ハワイにおける日本酒の歴史 二瓶孝夫(醸協1985) ・SAKE TIMES 日本の「酒」が世界の「SAKE」となるまで ―白鹿記念酒造博物館で学ぶ日本酒の海外進出の歴史 https://jp.sake-times.com/knowledge/international/sake_hakushika-memorial-museum

2022年04月19日

ふなぐち菊水一番しぼり~50年の想いが載る酒~

今から50年前、皆さん何をしていましたか? 50年前1972年といえば……第一次田中角栄内閣成立、日本の鉄道開業100周年、沖縄が日本に復帰、札幌オリンピック開催、と日本が戦後処理の終盤を迎えつつ、近代化に向けて走り出していた頃、様々な出来事があった年でした。 そんな1972年にふなぐち菊水一番しぼり(以下ふなぐち)は産声をあげました。当時とても画期的な商品と言われたのですが、その背景はどのようなものだったのか、当時の清酒業界を知る手掛かりになる資料をみてみましょう。 日本醸造協会誌(1906年創刊の醸造に関する総合専門誌)の1972年1月発行である第67巻第1号に、当時の国税庁酒税課の担当者による「酒類行政と産業政策」の記事を見つけました。 そこに記されていたのは、清酒業界が「古い歴史を持つ在来産業」であること。これまでは「業界内に巨大産業が存在せず」、主原料である米が「長い間統制下におかれ」ていた為「生産シェアが固定化」されていたこと。上記の理由により「平均規模が圧倒的に零細であるにも関わらず、最近まで比較的平穏に推移することができ」ていたとのこと。 しかし此処に来て「需要の変化(消費の高級化・人口の都市集中・マスメディアの発達等)が重なりあって、いわゆる銘柄格差が顕著となり、販売面での上位集中が進んできたこと。「灘・伏見の主産地ブランドイメージ、特に高級酒としてのイメージが強い」ため、他地方の「中小企業の生きる途」は「思い切った合併、協業等により、早急に規模の利益、生産性向上を図る」か、もしくは「適正規模でありうるような分野を造出してそれへ特化すること」と断言されています。そして最後に「大企業による規模の利益が国民に還元されるとともに、中小企業もまた、そのあるべき場所を探りあて、大小が巧くバランスした状況が実現できれば、それこそ清酒製造業の最も望ましい産業構造であろう」と締めくくられています。 このように業界誌で官の立場より提言される程に、時代の変化とともに大手メーカーさんによる販売シェアが勢いを増していたこと、それにより地方の中小蔵元が厳しい状況に置かれつつあったことが読み取れます。 では、民の立場である業界各社はどのように時代を見ていたのか。同誌には 「21世紀の酒を語る」と題し、大手酒造メーカーさん、大手卸売会社さん等による新春放談も掲載されています。いわく、「現在清酒は生産過剰な状態にありますので、これから脱却するのには、嗜好の多様化に対応した商品の多様化というものを積極的に進めなければならないし」、「戦後は全体的に技術が向上し一定水準以上のものが多いので、その上の品質差は少ない」、「歴史的にみますと酒類で新製品というのはなかなか無いんですね。最近の新製品というのは飲料ではコーラ、ヤクルト、カルピス等ですが、それに引きかえて酒なんかで新しいものをときどきいろんな試みがなされておりますが、もう1 つぱっとしない」などの発言がありました。 戦後の技術向上により品質の良い酒を安定的に生産できている状況であること。特に大手メーカーが販売シェアで勢いを増している状況であること。その中でも多様化した嗜好に対応できる新商品が必要であること。他の飲料に比してアルコールには際立ったヒット商品が生まれていない状況に懸念を抱いていること、等々が読み取れます。 加えて、「新製品を作る場合に技術的にはいろいろな可能性はありますが、いまのコーラのように定着するまでの期間、それに対するいろいろな要素、例えば実際売るほうの力が大事です。いまのところでは、そこまで持っていく力の不足を感じさせられるんです」とありました。これからの販売促進方法にも思いを巡らせ、時代の大きな変化への対応に危機感を持っていたことがうかがえます。 また、「普通はかん(燗)して飲む」、新製品を出す場合「全部かん(燗)して決めます」とあり、当時、燗をつける飲み方が多数を占めていたことも示されています。 以上は中央の、国の機関の提言であり、業界を代表する大手メーカーさん、大手商社さんによる放談です。地方の多くの中小メーカーは、またそれぞれに違った状況にあったことでしょう。先の記事に共感する蔵もあれば、少し遠い世界の出来事のように感じている蔵、そもそも中央の動きを全く意識しない考え方など、様々だったことと推察しますが、大きく捉えると、1972年はこの様な時代背景であり、清酒業界の状況だったといえるでしょう。 前述の様な時代に、ふなぐちは生まれました。発売までに3年間の開発期間があったことを鑑みると、その先見性に驚かされます。 国税庁酒税課の提言にある「適正規模でありうるような分野を造出してそれへ特化すること」を、既に目指していたこと。そして新春放談にあるとおり、大手企業でさえ「酒なんかで新しいものをときどきいろんな試みがなされておりますが、もう1 つぱっとしない」状況であった中に、新潟という地方の小さな蔵が画期的な新商品を生み出したこと。何よりこれらが記事の出る3年前には着手され、記事が掲載された時には発売が開始されていたのですから。 開発のきっかけは、お客様の声でした。当時菊水では、蔵見学に来られたお客様へしぼりたての原酒を試飲していただいていました。その生の美味しさは、お代わりを求められたり、「買って帰りたい」とお声が多くあるほどだったのです。清酒は微生物の働きによって醸します。この微生物の働きを上手にコントロールするのが酒造りの大きなポイントの一つです。 商品として流通させるには品質を安定させることが必須、この工程が「火入れ」と呼ばれる加熱処理です。生酒の殺菌を行うとともに、残っている酵素の働きを停止させるのです。蔵でふるまっていたのはこの火入れをする前の生酒です。フレッシュでとても美味しいことは蔵の人間が一番よく知っていたのですが、酵素の働きを止めていない生酒、この後どう変化するか分からないものをそのまま容器に詰めて市場に流通させることはできません。 当時の社長である四代目・髙澤英介は常々こう考えていました。「良い酒を提供するのは蔵元の義務である。酒税法で規定する酒造免許は『一般には禁止されていることを特別に許可する』という趣旨であり、そこには『免許を持つ以上は良い酒をより多く世の中へ供給しなさい』という法の精神があるのだ」と。このような信念を持つ蔵元にとって、蔵でしか飲めないこの美味い生酒を、どうにかして多くの人々に届けられないか、届けるべきだと強い思いにかられたのは、必然だったことでしょう。 信念に基づいた強い思いであったとはいえ、実際に商品にするには様々な問題がありました。当時の若手蔵人を中心に一丸となって研究に取り組みました。従来の酒造工程を一から見直すのは勿論、使用する酒造機器、容器の素材、果ては容量に至るまで。どうしたらこの生酒の味わいを商品化できるか、その目的の為に熟考を重ね、試行錯誤を繰り返しました。 3年の研究期間を経て、生酒のフレッシュさを活かす為、火入れをせずとも酵素の働きをコントロール出来る酒造技術を見出しました。また容器には、ガラス瓶ではなく紫外線を遮断できるアルミ缶を採用することで生酒のデリケートさを損ねずに保てることにも辿り着きます。加えて、一升(1800㎖)瓶入りが常識だった当時において、200㎖という小容量にしたことも、しぼりたての酒をフレッシュなまま飲み切れる分量を意識しての選択です。かくして、火入れ殺菌をしない生酒、飲み切りサイズの小容量、アルミ缶入り、燗にしないばかりかキンキンに冷やして飲む、と当時の清酒の在り様を根底からひっくり返すような斬新な新商品が生まれたのです。 前述した1972年の新春放談の記事に、新しい商品を販売して定着させる難しさも語られていました。ふなぐちのユニークさはこの販売促進法にも表れています。販売促進のスタート地点として目を付けたのは、なんとスキー場でした。1960年代より日本国内はスポーツや旅行などのレジャーブームが巻き起こっており、1972年の札幌オリンピックをきっかけにウィンタースポーツ熱が高まり、その大衆化が進みました。スキーブームの到来です。多くの人で賑わうスキー場に目を付けたのですね。スキー客や温泉客が泊まる民宿の主人に、まずは試飲してもらい、今までなかった生酒の美味しさを知ってもらいます。 そして夕食のお膳にお酒をつけるには、一般的な一升瓶入りの日本酒では徳利に入れ替える手間がかかるし使用後は洗わなくてはいけないが、この商品ならこのままお膳に並べ、後片付けも楽であり、飲まない客は持って帰る事もできる。と、この新時代の酒の美味しさに加え、その利便性をも丁寧に説いて廻ったのです。然して、狙いは見事当たりました。採用してくれる宿が増え、首都圏から遊びに来ていた若いスキーヤーや観光客は宿で飲んだ新しい酒の美味しさを口コミで伝えるようになり、ハンディな缶入り酒はお土産としても喜ばれたのです。 スタートは山形の蔵王スキー場から、その後おなじ手法で越後湯沢、妙高高原、白馬などへ販促活動を拡げていきました。同時に、東京の百貨店に取り扱っていただける様に手を尽くしました。スキー場でふなぐちの味を知った若者が、帰京後に百貨店で購入できるようにしたのです。百貨店1社が採用してくださるに至り、そのユニークさと売れ行きに他の百貨店も追従してくださるようになりました。これでグンと販売量を伸ばすことに成功したのです。 蔵でしか飲めなかった酒を店で購入できるように、スキー場で出会った思い出の酒を首都圏でも買えるように。商品開発も販売方法も、「酒造免許を与えられているからには、良い酒を多く世の中へ提供する義務を負う」、蔵元の信念ともいえるこの思いから産みだされたものといえましょう。 実は、1966年67年と2年続けて菊水の地・北越後では集中豪雨で河川が氾濫し、歴史に残る大水害がありました。菊水の蔵も隈なく大量の土砂に覆われ壊滅的なダメージを被ってしまいました。そして、この水害を機とした県による河川改修もあり、菊水は立ち退きを余儀なくされているのです。その頃は従業員10名ほどの企業規模、2度の水害で蔵も設備も土砂まみれ、挙句に立ち退き命令。蔵元の心情いかばかりか、想像を絶するばかりです。それでも四代目当主は移転再建の道を選択し、資金面でも実務面でも語りつくせない苦難の中なんとか1969年に待望の新工場が完成、稼働させました。 この切羽詰まった状況下にあって常識では考えられない新商品ふなぐちを開発し、発売、思いも寄らない手法で販売促進活動を行い、これをヒットさせるに至るのです。 移転再建から発売まで、この間わずか3年のことでした。 この奇跡の様な商品ふなぐちは、発売から50年経てもなお、名実ともに菊水の看板商品です。発売から46年後の2018年には累計販売数3億本を突破しました。単純計算で1年に約650万本売れたことになります。200㎖入り高さ約10㎝のこの缶を、1年の販売本数を縦に並べたら650㎞。菊水から西へ直線距離で岡山と広島の県境あたり、北上すれば北海道富良野あたりまでに相当する長さ(いずれも地図上の直線距離)になります。お客様が買ってくださった本数の多さたるや、感謝の念に堪えません。 2012年には発売40周年を迎えました。ここまで飲み支えて下さったお客様に「直接」感謝をお伝えしよう!とご愛飲者様のご自宅へ菊水社員が訪問し、感謝の意と共に記念品をお渡しするキャンペーンを行いました。営業部門の担当者を筆頭に、事務方も製造部門も総出で。募集をかけ、「来ても良い」と応募くださった全てのお客様(北海道から九州まで)のお宅へ一軒一軒訪問したのです。このキャンペーン、お客様へ感謝をお伝えする目的だったのが、結果的に菊水が励まされることになりました。 飲み溜めた2年分の空き缶660本を玄関に飾って社員を迎えてくださる方あり、はじめて飲んだのはスキー場だったと、ふなぐちの歴史そのものの思い出を語ってくださる方あり、ご自身の営業活動の手土産として活用してくださっている方あり、訪れた社員が皆それぞれに、お客様のびっくりするようなエピソードを持ち帰ってきたのです。 他にも、同じ年の生まれといってふなぐちに親近感を持っていると笑う方、奥様のご実家である新潟へ結婚の挨拶に行かれた際に、ふなぐちが場を和ませてくれたという方、出張帰りの新幹線でふなぐちを飲み続けて20年という方、ふなぐちを売っていなかった近所のコンビニに頼み込んで取り扱ってくれるようにしてくださった方、子供の頃にお父様が美味しそうにふなぐちを飲んでいたことをきっかけにご愛飲いただくようになった方などなど。 社員が持ち帰ったエピソードを聞くにつれ、ふなぐちにはお客様それぞれの大事な思いが乗っていることに気づきました。長く販売されている商品には、その時間分、飲む方の人生や思い出が積み重ねられていくのですね。 50年前、蔵存続の大きな岐路に立ちながら、常識を覆す様な新商品を開発した当主の思い、その蔵元と新商品の可能性を信じて斬新な手法で販売活動を行った従業員、そして50年という長い間に飲んでくださった多くのお客様。ふなぐちが嗜好品としての日本酒、ただのロングセラー商品というだけではなく、立場の違い、時流を超えて、様々な人の想いを背負っている酒なのだと改めて感じ、感慨を深くしています。 お客様の思い出の中にある酒が、いつでもいつまでもお店に並んでいるということは、お客様の思い出を大切にすること。これを無くしてはいけないと強く思う次第です。 時を経て、販売する拠点はスキー場から全国の酒販店、スーパー、コンビニへ、ご愛飲者様との語らいは直接のご訪問からTwitterなどのSNSへ、様々に形は変わってもふなぐちという出来立ての美味しさをお届けしていく志は変わりません。50周年をヒトツの節目とし、ご愛飲者様への感謝を胸に、これからも菊水はこの酒を醸し続けて参ります。 【参考資料】 ◆日本醸造協会誌第67巻第1号 ◆菊水小史(菊水酒造株式会社発行) ◆NHKアーカイブス回想法ライブラリー自分史年表 https://www.nhk.or.jp/archives/kaisou/jibunshi/

2020年10月13日

乾燥が気になり始める季節。うるおい食材をプラスして風邪予防

<あま酒&発酵生活>   体の内側からキレイになる -レシピ付き- すっかり秋めいてきた今日この頃。過ごしやすくなってきたのはいいことなのですが、気温差による体の疲れや、肌や喉の乾燥が、気になり始めていませんか? 特に喉の乾きは咳にもつながり、悪化すれば肺を痛めたり風邪をひく原因にもなり、なかなか厄介。できるだけ日々のケアを心がけて、日常からうるおいをキープしたいものです。 そこでオススメの食材が、「れんこん」。れんこんには肺をうるおす効果が期待でき、喉の乾燥予防、風邪の予防にもおすすめなんです。   れんこんの主な栄養成分は、糖質、ビタミンC、カリウムのほか、皮の部分には渋み成分でもあるタンニンを含んでいます。なかでもビタミンCの成分による疲労回復効果や、れんこんの薬膳的効能による肺をうるおす効果が、乾燥予防、風邪予防にうってつけなんです。 そこで今回は、この「れんこん」と、整腸作用にもひと役買う「あま酒」を使った、簡単“うるおい促進スープ”をご紹介します。       <れんこんすりおろしスープ>     (材料)  1人前 ・れんこん(すりおろし)……1/4カップ(75g) ・十六穀でつくった麹あま酒豆乳ブレンドPLUS……120㎖ ・しょうが汁……少々 ・三つ葉……適宜   (作り方) 1.れんこんはよく洗い、皮ごとすりおろす。 2.鍋にあま酒を入れて沸かし、1のおろしれんこんを加える。 とろみが出てきたら、しょうが汁を加えて火を止める。 3.器に注ぎ、三つ葉を飾る。お好みでれんこんチップスを添えても。   れんこんは食べ応えのある食感も魅力ですが、今回のようにすりおろせば口当たりも滑らかになり、スープにぴったり。また、とろみもつくので、少量でもボリュームを感じられて満足度も高めです。 加えるあま酒には、大麦や発芽玄米など多彩な十六穀がすりつぶすことなく入っている、菊水の菊水の「十六穀でつくった麹あま酒 豆乳ブレンドPLUS」が、スープの手軽な具の代わりにもなっておすすめ。さらに豆乳には、れんこん同様、体をうるおす効果もあるので、Wうるおい効果が期待できます。 加えて、「十六穀でつくった麹あま酒 PLUS」シリーズは、体内に吸収されやすい単糖への分解を抑制する効果の難消化性デキストリン配合なので、野菜のなかでは糖質高めのれんこんを使っていても、糖質抑制効果が期待できて、なんだかいいことづくめなんです。       れんこんの代わりに、同じく肺をうるおす効能のある梨を使うのもおすすめです。その場合は加熱せず、すりおろしてそのまま「十六穀でつくった麹あま酒 豆乳ブレンドPLUS」と混ぜて、スイーツドリンクのように楽しんでも。体の内側からうるおって、美味しく乾燥&風邪予防、してみませんか?。     『十六穀でつくった麹あま酒 豆乳ブレンドPLUS』商品情報 https://www.kikusui-sake.com/amazake-plus/   フードコーディネート・薬膳監修/タカハシユキ(国際中医薬膳師)撮影/中原一隆 文/中川節子

2020年09月28日

夏過ぎて、虫の音聞けば うるわしき、菊見月見のひやおろし

厳しい暑さも幾分やわらぎ、朝夕は涼しさも感じられるようになってきた。公園を歩くと、喧しかったセミの声に代わって、草むらの中から心地いい虫の音が響いてくる。マスクをつけて過ごした前代未聞の夏。しかも今年の気温は容赦なかったので、ようやくひと夏越えた、乗り切ったという思いだ。   秋のはしり。日本酒の世界では、まず9月9日にイベントがあった。この日は、今日から『ひやおろし』を出荷していいという解禁日だったのだ。 『ひやおろし』とは、漢字で書くと『冷や卸し』。以前、生酒をテーマにした記事でも触れたが、通常、日本酒は出荷前に火入れを行なって品質を保つ。しかし江戸時代に、夏の盛りが過ぎて、外気と貯蔵樽の酒の温度が同じくらいになると、火入れをせずに冷やのまま出荷したことから『ひやおろし』という言葉が生まれた。   ひと夏の熟成を経た『ひやおろし』は、新酒の荒々しさが消え、味に丸みと深みがある。『菊水の純米酒』や『菊水の辛口』などは、出荷前に火入れをしていないので、製法としてはじつは『ひやおろし』なのだ。しかし冬に仕込み、春から夏に貯蔵熟成させ、9月9日以降に出荷するものを特別に『ひやおろし』と呼んでいる。   ではなぜ、9月9日なのか。実際はまだ残暑が厳しい時期なのだが、旧暦の九月九日が特別な日であったことから決められた。逆に言えば、まだ暑いのに火入れしないで出荷できるほど酒造技術が進歩したというわけでもある。   旧暦九月九日は、中国の重陽の節句。9という奇数で一番大きい数字が2つ重なることから、古くから大変めでたい日とされてきた。その風習が平安時代に伝来し、宮廷の儀式として定着。貴族たちが、まだ珍しかった大輪の菊を眺めながら詩歌などを詠み、健康を祝い、長寿を祈るようになったのだとか。 やがて重陽の節句は庶民の間にも広まっていく。江戸時代には、人々は薬効があるとされる菊の花びらを酒に浸した菊酒を酌み交わして邪気を払った。菊のできばえを競うコンクール『菊合わせ』が催されるようになったのもこのころから。重陽の節句は、別名・菊の節句とも言われる。   それにしても旧暦と新暦とでは、かなりギャップがある。約ひと月ずれるから、本来の重陽の節句は秋が深まるころの行事だったはずだ。9月9日では、菊はまだ咲きはじめだろう。新暦は毎年固定でわかりやすいが、このような違和感をおぼえることもある。とはいえ旧暦を何かの固定日にすると、毎年違う日になってしまって、それはそれで実際の季節感と合わなくなってしまうけど。   そこへいくと、とってもわかりやすくて納得なのが、月にまつわるイベントだ。moon、空に浮かぶ月のこと。そして、秋の月と言えば『中秋の名月』である。ちなみに旧暦では、七月八月九月が秋。ひと月の日数は29日か30日なので、八月十五日が中秋となる。   というわけで、中秋の名月は、旧暦八月十五日に固定されている。そもそも旧暦は月の満ち欠け周期をベースにしてつくられているので、現実とばっちり対応していて、こればかりは新暦に置き換えて固定することができない。毎年、旧暦八月十五日は満月か満月にほぼ近い丸い月が昇るのである。   今年2020年の中秋は、新暦で言えば10月1日(木)だ。東京での月の出は、17時28分。南中するのは、23時26分。まん丸には至らず、月齢は13.7。翌2日が満月で、中秋ではなく『仲秋の名月』と記されている場合は、この旧暦八月の満月を指す。   中秋にしても仲秋にしても、夜空にぽっかりと大きな月が浮かぶのは変わりない。ここはひとつ月見酒といこうではないか。もうそんなに暑くもないだろう。庭や軒先にテーブルを持ち出して、ススキなど飾り、丸いお月様を愛でながら、これまたま〜るい味わいの『ひやおろし』をいただきたい。菊の花びらを浮かべてね。     じつは10月1日は、日本酒造組合中央会が定める『日本酒の日』でもある。その由来には2説あって、ひとつは新しい年度の酒造がはじまる時期だからというもの。もうひとつは10月を十二支で表すと『酉』であり、この字が酒壺や酒そのものを意味しているからというもの。しかしそんなことよりも(と言っては失礼だけど)、驚くべきは、今年は中秋の名月と日本酒の日がぴったり一致していることだ!   こんなこと、めったにないだろう。と、国立天文台のサイトで調べてみたら、1991年から2030年の40年間で、中秋の名月が10月1日なのは2001年と2020年の2回しかなかった。これはすごいことですよ。もうぜったい月見酒しかないのである。   <参考文献> 酒道・酒席歳時記 著/國府田宏行 発行/菊水日本酒文化研究所 酒の日本文化 著/神埼宣武 発行/角川ソフィア文庫      

2020年09月16日

つぶやきレシピ |日々のささやかな“つぶやき”が、極上のつまみに変身

日常に起こる、ほんのささいな出来ごと。ちょっぴりうれしかったことや、思わずクスッとしてしまったこと、はたまたついボヤきたくなるようなプチ残念なことなどなど……。 そんなとき、思わず口に出してつぶやいてしまうひと言が、今宵の〈つまみ〉に変身したら、なんだか楽しい。さらには、相性抜群のお酒とともに味わえば、明日もきっといい日!           Vol.2  「麦茶を買った自販機で“アタリ”が出た!」 最近あまり見かけなくなったと思っていたクジ付きの自販機。それだけでもレアなのに、まさかの“アタリ”が!予期せぬ出来事ほどうれしいことはないわけで、でももう1本飲んだらお腹もガブガブ……。 そうだ今宵はこれを使って、旨つまみに変身させよう!ラッキー効果で、アイデアも冴えますっ。     「豚肩肉の麦茶煮」 (材料)作りやすい分量  ・豚肩塊肉……350〜400g  ・麦茶………500㎖ぐらい(ひたひたの量でOK)  ・漬け汁(醤油 50㎖、酒・酢・みりん 各大さじ1と2/3)   (作り方)  1.小さめの鍋に豚肩肉と麦茶を入れて、強火にかける。 沸騰したら弱火にしてクッキングシートなどで 落とし蓋をして約30分煮る。 2.別鍋に漬け汁の材料をすべて入れ、ひと煮立ちさせておく。 3.1の豚肉を2に漬け、そのまま冷ます。 耐熱ビニール袋などに入れると保存しやすい。 食べやすい薄さにスライスして皿に盛る。       ◎合わせたいお酒/「菊水の辛口」   漬けダレがしみ込んだ豚肉は、お酒との相性も抜群! なかでも、飲みごたえのある旨さと冴えわたるキレが特長の「菊水の辛口」と合わせれば、飲む手、食べる手が止まらない幸せのループ状態に。麦茶で煮れば豚肉の臭みも抑えられ、さらには香ばしさもプラスされるので、お酒の味わいも生かして殺さずと効果絶大。豚肉は冷蔵庫で3〜4日保存もOKです。   フードコーディネート/タカハシユキ 撮影/中原一隆 文/中川節子

2020年08月31日

ごはんとして食べる米と日本酒になる米はどう違う?

8月も後半になると、南の地方から新米収穫の便りが届くようになりました。代表銘柄は何と言ってもコシヒカリでしょうか。しかしそれぞれの土地の気候や風土に適した地域限定の品種も栽培されていて、その総数は500種類以上にもなるとか。みなさんは、どんな品種が思い浮かびますか?   2019年産うるち米の品種別作付割合を見ると、上位5品種と主な産地は以下の通り。 1位:コシヒカリ/新潟、茨城、福島 2位:ひとめぼれ/宮城、岩手、福島 3位:ヒノヒカリ/熊本、大分、鹿児島 4位:あきたこまち/秋田、茨城、岩手 5位:ななつぼし/北海道 ※(公社)米穀機構まとめ   以下、6位:はえぬき、7位:まっしぐら、8位:キヌヒカリと続きますが、1位〜5位までで作付割合全体の61.8%を占め、コシヒカリに至ってはそれだけで33.9%!ダントツの人気なんですね。     以上8品種はすべて、ごはんとして食べる品種、いわゆる飯米(食用米)です。飯米で造った日本酒がないわけではないですが、一般的ではありません。日本酒の原料になるのは、酒造好適米と呼ばれる通称「酒米」。品種としては100種類以上あるのですが、一般の方が店頭で目にする機会はほとんどないでしょう。   では、飯米と酒米はどこが違うのか。酒米の特徴を見ていきます。   1)粒が大きく砕けにくい 米の胚芽や外層部にはタンパク質や脂質などが多く含まれています。これらは酒の雑味となってしまうため、酒米の場合は玄米の表面を30%〜50%削り落としてから使います。飯米が玄米を8〜10%削って糠を落とす程度なのに比べ、精米に耐えられる大きさと強さが求められるのです。 どれくらい大きいのでしょうか。米粒の大きさは、1000粒あたりの重量を測定して表します。2013年の農水省の資料では、コシヒカリの千粒重が22.4gなのに対して、五百万石は25.5g、山田錦は28.2gもありました。   2)心白(しんぱく)がある 酒米の中心部には、白くて不透明な「心白」があります。飯米はデンプンが詰まっているため透明感がありますが、酒米の中心はデンプンが粗く、隙間があるために白く見えるのです。しかしその隙間があるおかげで、麹菌が内部へ菌糸を伸ばしやすくなり、デンプンの糖化が進み、結果としてアルコール発酵を促します。心白が発現しているだけでなく、その形、大きさ、位置が中心にあることが、いい酒米の条件なのです。   3)外硬内軟で仕込みやすい 米を蒸した際に表面がさらっとしていて捌けがいいとか、仕込んだ際にもろみが溶けやすいのも酒米の特徴。稲の時も米粒が大きくて重いために倒れやすく、一般の飯米よりも栽培が難しいと言われる酒米ですが、酒造りの長い歴史の中で数え切れないほどの異種交配を繰り返し、酒造りに適した米へと改良されてきました。   酒米の人気銘柄は、酒米の王者と言われる「山田錦」と新潟県で開発された「五百万石」がツートップです。菊水酒造では新潟産の五百万石を中心に、五百万石の親である「菊水」や五百万石と山田錦を掛け合わせた「越淡麗」といった銘柄を主な原料としています。   おいしい米と、おいしい酒になる米では、特徴が異なることがわかりました。しかし、ここで新たな関心が——、酒米を炊いて食べたら、どんな味なの?と。本当においしくないのでしょうか?ひとたび興味を抱いてしまったら簡単に諦めることのできない編集部では、『酒米を食べてみ隊』を結成し、実際に炊いて食べてみることにしました。   入手した酒米は、新潟・新発田産の五百万石の玄米。隊員は、菊水通信チーフエディターのN、デザイナーのE、ライターのT。三者三様の実食レポいきまーす。   <E> 玄米を水に10時間以上浸してから炊飯器で普通に炊きました。玄米だからか炊きあがりの匂いが香ばしく、プチプチした食感がたまりません。大人だけにわかるおいしさかと思ったら、3歳と6歳の子どももパクパク食べておかわりしていましたよ。   <T> 米屋へ持ち込み、五つ星お米マイスターの中丸真一氏に最適に精米してもらいました。モチモチ感や甘みは少ないけどパサパサというわけじゃなく、コシヒカリよりササニシキ派の自分にはおいしい。五百万石で握った鮨なんて、食べてみたいなあ。   <N> 玄米を棒で突っつく人力精米にチャレンジするが、1時間以上突いてもほぼ変化なし。精米器と銀シャリの偉大さを感じつつ、人力精米をあきらめて、精米した五百万石を実食。酒米は醸してなんぼ!食べても美味しくないでしょう。そう思い込んでいたが「あれっ意外と食べられる」というのが第一印象。香りはやはり食用米にはかなわないが、食感はそんなに悪くない。なんか懐かしいこの感じ。あっそうか、昔、学生食堂で食べた標準米の味と香りだ。     想定していたオチは、「炊いてもイマイチ。やっぱ酒米はおいしい酒を造るためにあるんだね」というものだったのに、意外においしくてビックリ!予想外の感動と発見があった酒米実食体験でした。   <参考文献・参考サイト> 新潟清酒ものしりブック 監修/新潟清酒達人検定協会 発行/新潟日報事業者 米穀機構 米ネット 品種別作付動向 https://www.komenet.jp   <精米協力> 中丸屋商店 tel.0467-82-2213

2020年08月17日

新潟の夏をプロレスで盛り上げたい!

ふるさとへの帰省や夏祭り、花火大会、盆踊り。いろんなイベントごとの自粛を余儀なくされた2020年の夏。 毎年夏の終わりを飾る新発田の「城下町新発田まつり」も今年は開催が中止になりました。 天皇陛下御即位をお祝いする国民祭典にも参加し、威勢のいい台輪のあおりが街を活気づけ、新発田の夏の風物詩として地元市民から愛される「城下町新発田まつり」。     それでも、元気になれるコトを創り出せないだろうか。 おうちにいながら、多くの人に「元気」を与えられるコトって。。。 そんな思いを巡らせていた時に、「元気、勇気、笑顔」をモットーにしている新潟プロレスさんに出会いました。 代表のシマ重野さんはこう言います。 「街頭テレビの中継で日本を元気にしたプロレスこそが、我々プロレスラーの原点だったと考えています。新潟プロレスは、今こそ皆さんに元気をお届けしたいと思います。まだまだ大変な状況が続きますが、共に戦いましょう」 プロレスで、日本を元気にしよう! そして、「元気、勇気、笑顔」を届けるため新発田市と新潟プロレスと菊水はタッグを組み、プロレスの無料生中継を開催することになりました! https://www.youtube.com/watch?v=f6w9uljso0A&feature=youtu.be   開催日は、8月27日(木) 毎年新発田祭りの時期でもあり、菊水にとっても特別な「2(ふ)7(な)ぐちの日」ということで、当日はプロレス中継を通じて、新発田から元気をお届けします。   プロレス中継を一人でも多くの方に楽しんでいただきたいということで、試合の様子をYouTubeで無料配信することにいたしました。 その一方でレスラーさんの人件費や会場や設営にかかる支出については、クラウドファンディングを通じて支援していただける方を募集する形をとらせていただいております。 ▶クラウドファンディング支援募集サイトはこちら https://camp-fire.jp/projects/view/308980 支援のリターンには、試合後のレスラーとのオンライン飲み会や、現役プロレスラーによるトレーニング体験、菊水のお酒やあま酒など、魅力たっぷりのリターン品もご用意しています。   [caption id="attachment_813" align="aligncenter" width="640"] リターンのトレーニングをふなスパ係長自ら下見に。[/caption]   新潟から元気をお届けするため、ぜひみなさまのお力をお貸しいただけませんか? プロレス中継は【8月27日(木) 19時スタート】です。 8月のふなぐちの日は、ぜひ菊水酒造公式YouTubeチャンネルをご覧になりながらお楽しみください!   <新潟プロレス 夏の祭典 市役所大会> 開催日時:2020年8月27日(木) 19時 出場選手:新潟プロレス所属レスラー/ゲスト:グレート小鹿、池田大輔 配信媒体:菊水酒造公式YouTubeチャンネル https://www.youtube.com/user/KIKUSUISAKECOLTD    

2020年08月13日

つぶやきレシピ |日々のささやかな“つぶやき”が、極上のつまみに変身

日常に起こる、ほんのささいな出来ごと。ちょっぴりうれしかったことや、思わずクスッとしてしまったこと、はたまたついボヤきたくなるようなプチ残念なことなどなど……。 そんなとき、思わず口に出してつぶやいてしまうひと言が、今宵の〈つまみ〉に変身したら、なんだか楽しい。さらには、相性抜群のお酒とともに味わえば、明日もきっといい日!           Vol.1  「コンビニで何気なく買い物したら、合計が777(スリーセブン)円だった!」 ゲン担ぎってありますね〜。「7」ひとつでもラッキーセブンなのに、ゾロ目で3つ、スリーセブン! 買ったのは、サラダチキンとキムチに、コンビニ最強酒の缶入り日本酒“ふなぐち”。今夜はこれで祝杯ムード?  明日、いいことありそうだ〜。     「チキムチ」2人分 (材料)  ・サラダチキン……100g(1枚)  ・キムチ……………50g  ・マヨネーズ………大さじ2   (作り方)  1.サラダチキンを手でほぐしボウルに入れる。キムチとマヨネーズを加えて和える。  ※お好みで、刻んだきゅうりなどを加えても!       ◎合わせたいお酒/「ふなぐち菊水一番しぼり」   しっとりチキンに絡むマヨネーズとキムチの酸味、辛味が、お酒を呼ぶ! 「ふなぐち」の旨口の味わいが、コク旨のマヨネーズ風味と好相性。また夏は、「ふなぐち菊水一番しぼり スパークリング」のキリッとキレのあるお酒も気分です。クラッシュアイスを入れてレモンをひと搾りすれば、さらに爽快な夏気分アップで、盛り上がること間違いなし!   フードコーディネート/タカハシユキ 撮影/中原一隆 文/中川節子