北越後だより

2023年06月27日

『菊水ふなぐち』の味わいを科学する

『菊水ふなぐち』は菊水酒造を代表する日本酒です。缶入り日本酒の中では、POSデータ(2022年8月 酒販ニュース9月21日掲載)によると、清酒の小容量カテゴリーにおいて日本一の販売数量を誇ります。 『菊水ふなぐち』はご存じの通り生酒です。生酒を常温で流通させることは品質安定の難しさ、劣化の面で問題があり、菊水ではかつては蔵に来て頂いた方だけに振舞っていました。一方、生酒ゆえにその旨さは格別で、評判を聞きつけた人が蔵までやってきて所望する時代もあったそうです。そこで、菊水では、日本酒の鮮度を保つための製品開発、容器開発で試行錯誤を繰り返し、50年前の1972年に、日本初のアルミ缶入り生原酒の開発に成功。蔵でしか飲めなかった『菊水ふなぐち』を数多くの全国の方々に愉しんで頂けるようになりました。このように、菊水では、創業以来の進取の気性の精神により、商品開発、容器開発、品質管理など研究開発活動にも以前から熱心に取り組んでまいりました。 菊水の研究開発活動は多方面に渡り、新しい研究開発手法や食品、飲料、酒類技術評価方法、マーケティング調査手法、フードテック関連情報など広く最新情報の収集のためアンテナを張り、市場トレンドやマーケット情報を収集しています。 その取組みの中、現在では、日々の生産ロットの品質管理、鮮度管理、経時変化検証の他、ガスクロマトグラフィ検査によるにおいの質検査、液クロマトグラフィによる呈味検査、味覚センサなど感性工学機器を用いた味覚データ取得による商品管理、商品特長の定量化などまで行っています。 菊水製品の商品ラベルに掲載されている味わいチャートも味覚センサで測定した客観的なデータを示すことにより実際に飲用する前に商品の味わいをお客様に伝えるための取組みの一環になります。【図1】 これ以外に、菊水で現在注力しているのが、フードペアリング評価方法の開発になります。従来、フードペアリング或いはマリアージュについては、評価者のテイスティングなど人間の主観や感覚で捉える方法が世の中では主流でしたが、味覚センサなど感性工学技術の進展により実際に科学分析した結果から食べ物と飲料、酒類との相性を評価する技術が世の中に登場し、菊水でも、業界内ではかなり早い段階からその研究開発活動を推進してきました。これまでの菊水通信のバックナンバーの中にもフードペアリングについて事例を数多くご紹介させて頂いています。   料理品と日本酒の合わせ方としては、いつものように、【図2】で示す通り、料理品と日本酒がそれぞれに持つコク、キレ、濃醇の三角形のグラフから、その形状に着目し、味わいが調和する「調和型」、味わいが深まる「相乗効果型」、味わいを引き立たせる「補強型」、味わいがまとまる「相互補完型」という組合せを探し出し、マリアージュのパターンを見つけ出します。 料理や飲料、酒類などの苦味や渋味は低濃度であるため味わいに輪郭を与えるコクとして解釈し、キレは酸味の強さや口腔内での味わいの後切れとして解釈、濃醇は塩味や味の濃淡として解釈します。苦味や酸味は、人が本来避け、食生活の中で後天的に受け容れる味わいであるため、これらのバランスが重要であると考え、それらが適量となることで味わいに輪郭が加わり、ペアリングやマッチングの可能性が高くなります。 例外として、料理が飲料や酒類を大きく越える苦味(或いは渋味)の場合はマッチングしにくい場合がありますので、菊水では官能評価も併用しています。 味わいの濃醇である塩味などは味わいの濃度の決め手となります。甘味やうま味に関しては双方の濃度に関係なく、「好み」として判断することが多いため、一次スクリーニング判定では使用せず、二次スクリーニングでの官能評価時に判定根拠として考慮する方法を採用しています。 菊水と長年共同研究している味香り戦略研究所のフードペアリングシステムに格納されている約200の食品群の中から、『菊水ふなぐち』に合うペアリング料理を抽出したのが、以下の表になります。意外な組合せもあることに驚かされます。 日本酒醸造・発酵食品製造のモノ造り、日本酒の歴史、文化、愉しみ方等を様々にお伝えするコト造り。菊水はこの両輪で日本酒を楽しくする蔵元です。モノとコト両方面から俯瞰して覗いてみた時、お酒の新たな魅力が発見できることから、菊水では引き続き、研究開発活動を深化、強化して行く予定です。『菊水ふなぐち』と料理の組合せで、これは! というお奨めのとっておきの組合せがあれば、是非菊水までご一報ください。 ■デジタルブック「菊水通信」 https://www.kikusui-sake.com/book/vol21/#target/page_no=3

2021年03月29日

|日文研EYE|日本のお花見のルーツを辿る

コロナ禍での二度目の春。各地の桜の名所にはいろいろな感染防止対策が講じられ色々な制約はありますが、やはり桜だよりには心躍るものですね。 さて、「飲み物や食べ物をもって桜の下で催す宴会」という、これまで日本でお馴染みであったこのお花見の習慣は、世界的にみても珍しかったようです。 様々な文献を紐解くと、日本独特の花見に2ツのルーツがありました。ひとつは貴族・武士など特権階級文化の花見、もう一つは農民文化の花見です。 奈良時代の貴族は中国に倣い梅の花を愛でる梅花の宴を行っていました。遣唐使が廃止された平安時代には日本古来の桜が梅より人気となり、貴族が宮中行事として桜の樹の下で優雅に歌を詠み、花見の宴を開きました。花といえば桜を指すようになったのがこの頃。奈良時代に作られた万葉集には梅を詠んだ歌が多く、平安時代の古今和歌集には桜の歌が断然多いことからも人気が逆転した事実が読み取れます。 鎌倉・室町時代には武士階級で花見の風習が広がります。豊臣秀吉が京都・醍醐山に700本もの桜を植樹し、千名超えの招待客という「醍醐の花見」が有名です。貴族や武士は単なる楽しみとしてだけではなく、権力誇示や支配階級であることの確認など政治の延長として豪華な花見を開いた側面もあったようです。 [caption id="attachment_1184" align="alignnone" width="640"] 行厨とは台枠の中に重箱・酒器などを組み込み、物見遊山に携行したもの。提重、野弁当、花見弁当とも称される資料です。様々な食器や酒器がコンパクトに、運びやすく作られています。当品には燗銅壺がセットになっており、野外で温酒を楽しんだことを教えてくれます。[/caption] 一方で農民たちが昔から行っていた農事としての花見もあります。ご馳走を詰めた重箱や酒をたずさえて山に入り、桜の木の下で宴を催し、春に桜の木へ降りてくるという田の神様に豊作を祈願する「春山入り」「春山行」と称される宗教色の強い行事です。農民たちは桜の咲き具合でその年の豊・凶作を占ったとか。まさにこれは日本人の自然信仰の姿。山、海、森や草木など自然界のすべてに神が宿っている=八百万の神を信じ、崇拝する気持ちに他なりません。 庶民が娯楽としてお花見を楽しむ様になったのは江戸時代から。八代将軍吉宗が風光明媚な場所に桜を植え、庶民に開放したことをきっかけに桜の下で宴会を楽しむ花見のスタイルが広まりました。 戦がなくなり特権階級のものだった花見も庶民が楽しめる時代になったこと、神人共食を行う日本古来の自然信仰、何より日本人の美意識にぴったりな桜の花、これらが長い歴史の中で融合し、現在のような日本独特のお花見スタイルになったのでしょう。 [caption id="attachment_1185" align="alignnone" width="640"] 菊水酒造が根差す北越後の桜の名所の一つ。のどかな田園風景の中に壮大な桜並木がどこまでも続いています。[/caption] 桜の木の下で乾杯!とはいきませんが、桜の開花を喜びながら一献、この時期だけの風情を楽しみたいものです。 参考:菊水日本酒文化研究所 ■デジタルブック『菊水通信』3号より https://www.kikusui-sake.com/book/vol3/#target/page_no=9

2021年01月20日

二王子岳 日本二百名山の一座、農耕の神山

菊水の蔵をいつも大きく包んでくれている二王子岳(にのうじだけ)。 加治川と胎内川に挟まれ、南北20kmにわたって蒲原平野に臨む飯豊連峰前衛の巨峰です。 古くから農耕の神山として新発田市民に仰ぎ親しまれたこの二王子岳、山麓の二王子神社には大国主命・豊受姫大神・一言主命・熊野加布呂命が祀られており、境内案内板には「古来より農業生産所業の守護神、除災承服身体擁護の神として由緒深遠霊験あらたか」と記されています。北越後の肥沃な大地を潤す清冽な雪解け水を湛える加治川の流れを見れば、まさに二王子岳は農耕の神山に違いありません。 私達に多くの恵みをもたらしてくれるこの霊峰にあやかり、また感謝の意を込めて菊水の蔵は「二王子蔵」としています。 二王子蔵の仕込み室の大きな窓から二王子岳と山裾に広がる圃場の風景が一体で眺望できるようになっています。   蔵人は「この窓から見える風景によりこの山と大地の恵みを深く実感する」と、「あらためて感謝を以って酒を醸すことができる」と言い、まさにこれこそ菊水が一番大事にしている気持ちなのです。 この二王子岳、飯豊連峰の全容が美しく広がる山頂からの羨望も抜群で、交通も便もよく、毎年多くの登山者やスキー客で賑わいます。これからの季節には「二ノックススノーパーク」が人気です。 二王子岳の斜面を生かした様々なスキー・スノーボードのコースがあり、用具のレンタルやスクールなども揃っているそう。またこちらにはナイター営業もあるので仕事終わりにひと滑り!という菊水社員もいるのです。 自然の恵みをもたらしてくれ、祈りの対象であり、人々を遊ばせてもくれる。新発田に生きる私達にとって二王子岳はなくてはならない存在なのです。二王子岳に抱かれたこの地に、菊水は今までもこれからも根を張り、感謝を込めてこの大地の恵みを醸してまいります。 ◆ブック型「菊水通信」はこちら  

2020年12月11日

【日文研eye】明治・大正に綴られた文化人によるレシピ本を紐解く

自然界では寒くなる冬に備え、様々な食材が自らに栄養をたっぷりと蓄えて美味しくなる季節。いわゆる旬の時期は食材が美味しくなるだけでなく、含まれる栄養素がぐっと増える、私達にはとても有難い季節といえるでしょう。 食が大きな関心事であるのは今も昔も変わらないこと。約100年前の明治や大正時代にも現代と同じように、食に一家言ある文化人が居て、いまでいう旬のレシピ本なども多く出版されました。日文研には、往時の食をめぐる風景がしのばれる文献を多く所蔵しています。その中から何冊か紐解いてみましょう。 [caption id="attachment_1157" align="alignnone" width="640"] 久保田米遷著「年中総菜料理」(明治40年発行)[/caption] 久保田米遷著『年中惣菜料理』(明治40(1907)年発行) 明治の日本画家であり、画報記者でもあった久保田米遷(18252-1906)が記した1年365日、日付ごとに朝昼晩の献立集です。その数1000食分あまり!よく書いたものです。 例えば10月1日の献立をみてみましょうか。 あさ:白豆腐餡かけ汁。焼松茸柚子酢かけ、新大根浅漬、辣韭(らっきょう) ひる:小豆飯、鯛照焼、八丁味噌汁 錦糸玉子入 口柚子、奈良漬、塩押茄子 ばん:一塩鯖刺身 卸大根、椀 剥き海老 松茸 口柚子、ずいき膾、辛子漬 旬のものであり且つ豪華な食材を調理した、なんとも贅沢なメニューばかりです。こういった献立の列挙に加えて、いくつかの献立の作り方、また毎月1日の欄にはその月にちなんだ与謝蕪村などの句や季節の食材についてのエッセーが記されています。 また久保田の息子たちによる画や挿絵も多くあり、読み応え見応えたっぷりです。この充実した文化的な内容は単なる料理本のカテゴリーに収まりません。 さしずめ、グルメで教養ある文化人による、旬の食をテーマに日本の自然の豊かさを謳う1冊!といったところでしょうか。   同じく1年365日の献立を記した料理本なるも、久保田のものとは大分毛色の違う一冊をご紹介しましょう。『奥様 御三(おさん)どん 毎日のおかず 衛生と便利』(明治40(1907)年発行)です。こちらは前書きがふるっています。 [caption id="attachment_1161" align="alignnone" width="640"] 「奥様御三どん 毎日の惣菜 衛生と便利」(明治40年発行)[/caption] 「本書の発行に就いて」 一、お台所を御支配なさる主婦(おかみ)さんたちが、毎日おかまどの前に起(た)って、今日のおかずは何にしたものだろーかと、御配になる時に、この書(ほん)を開いて其(その)日付のところを御覧になりますと、ハァーンこれにしましょーと、御思案がつきます。 一、さればこの書はキツとお台所の、勝手よい所におく必要があります。 一、この書の巻末(おしまい)に「おかずの仕方」を添へておきました。これは皆さんのご参考までです。(以上原文まま) 今日の食事なににしようかと頭を悩ます奥様へのおすすめメニュー(巻末レシピ付)といったところでしょうか。こちらは朝昼晩の献立ではなく、この時期ならこの食材をこう調理してはいかが?といった示し方です。 同じ日付、10月1日の献立を見てみましょう。鮗(コノシロ)の焼き物、大根と鶏肉とこんにゃくの炒り煮、ずいき浸しもの等々が紹介されています。旬の食材を用いているのは同じですが、「年中惣菜料理」と比べるとぐんっと庶民的、実用的な料理本のようです。 いつの時代も食事を作る人が「今日なにしようかなぁ」と献立に悩み、プロの提案を頼りにするのは同じなのですね。こういう本を見ながら、明治の人たちはレパートリーを増やしていったのかしら…。なんだかとても親近感を覚える楽しい資料です。この2冊、発行が明治40年と同じ年なのも興味深いですよね。 続いては [caption id="attachment_1152" align="alignnone" width="640"] 「日用実典 食合いろは図解」(大正3年発行)[/caption] 『日用実典 食い合わせ いろは図解』(大正3(1913)年発行)をご紹介します。一緒に食べると取り合わせの悪い食材の組合せ、つまり食い合わせの悪いものを「いろは…」順で示した本です。食い合わせも古い伝承で、今は科学的根拠に乏しいものも多いことを最初にお断りしつつ、この資料の内容をみていきましょう。 ○梅 鰻は腹痛起ル 梅干しと鰻を一緒に食べてはいけない、とこれは聞いた事あるという方も多いのではありませんか?でも実際には腹痛を起こす根拠などはなく、今では逆に梅干しが鰻の消化を助ける働きも期待できると言われているのだとか。 ○豚ト田螺(タニシ)ヲ同食スレバ眉毛ガ脱(ヌケ)ル 田螺は湯がいたり味噌煮にして食べる地方もありますが、豚肉と一緒に食べると眉毛が抜けるとは!この食べ合わせによりなにがしかの化学変化が起きて脱毛の成分が出来るのか? 抜けるのは眉毛だけなのか? たくさんの?が頭に浮かび、ちょっと笑ってしまいました。 [caption id="attachment_1151" align="alignnone" width="640"] 食にとどまらず家相の吉凶や易術の秘伝などまでが書かれている[/caption] このように本のタイトル通りに食い合わせの悪いものの紹介のほか、お灸の心得、具合の悪いときに取るべき食材、家相の吉凶や易術の秘伝などまでが書かれているこの本、現代の私達からするとちょっと怪しい感じがしますが、広い意味での往時の長寿・健康ムック本といったところでしょうか。 大正3(1914)年の発行、20世紀初頭でもまだこのような伝承や口伝のものが信じられていたのか、とその後の現代までの短い期間に起こった科学や医学の進歩に目を見張る思いがします。 [caption id="attachment_1150" align="alignnone" width="640"] お灸をするときの心得歌?![/caption] いま私達が楽しんでいる食や信じている常識も、これから100年後には変わってしまうのでしょうか?食材や調理法、好まれるメニューなどは全く別のものになっているかもしれませんが、美味しいものを食べること自体は、これまでもこの先もずっと人類の大きな愉しみであり続けるように思います。100年後の食の世界をみることはかないませんが、今年の秋冬は、旬の食を美味しいお酒とともに楽しむ喜びを満喫することといたしましょう。 発行:菊水日本酒文化研究所 デジタルブックはこちら。印刷できます。

2020年11月09日

古のチラシ「引札」百花繚乱

私たちがチラシと呼んでいる広告宣伝のために作られ配布される印刷物、実は江戸の頃からあったのをご存じですか? もちろん今のような印刷技術はありませんから往時は木版画、名称も「引札」と呼ばれていたようです。始まったのは元禄の頃からで、町人文化の最盛期である文化文政の頃から花開いたと言われています。 江戸時代の商業主義の発展に伴って登場し、明治時代には印刷技術の革新もあり、多種多様に盛んに発行されるようになりました。それまでの店の看板や暖簾といった常設の広告と大きく異なり、お客様の手に渡せ、多くの人に伝達できるこの画期的な宣伝手段は隆盛を極めました。 引札という名称も諸説ありますが、お客様を引く引き付けるための札だから引札という説、また昔は「配る」ことを「引く」とも言っていたことから引札と呼ぶという説が有力です。一般に引札と呼んだのは大正の初めころまでで、それ以降はチラシと呼ばれるようになったと(関西では昔からチラシと呼んでいたという説もあり)言われています。   まるでその時代にタイムスリップ!収蔵品の一部をご紹介 菊水の日本酒文化研究所(日文研)も200枚を超える引き札を所蔵しています。初期の品と思われる墨一色の口上を述べただけのシンプルなものから、店舗内部を描いた多色刷りの美しい絵図に、まるで現在の通販のような販売の仕組みを朗々と述べる口上を添えた呉服店の立派な引き札、オーソドックスに干支を描いた年始のご挨拶用引札から洒落の効いたデザイン性の高いものなど、本当にバリエーション豊かです。往時の人々の生活を活き活きと伝えてくれる引札資料は、見ているとまるでその時代にタイムスリップしたような気持ちになれるのです。一部をご紹介しましょう。   正月引札 干支 年始の挨拶に配るために作られた引札を、特に正月引札と呼びます。干支や宝船、福の神など新しい年を言祝ぐに相応しい吉祥柄が描かれることが多い様です。日文研所蔵の正月引札の中から今年(令和二年)の干支である子(ねずみ)の引札です。ねずみ、打ち出の小槌に実った稲穂とお目出たいモチーフが満載。表装したら掛け軸になりそうですね。 お多福満載 楽器を奏でたり、書をしたためたり、お酒を飲んだり、あらやだオホホと笑い合ったり、楽しそうなお福さんがぎっしりと描かれており、賑やかでお目出度くて微笑ましい作品。それぞれに違った様子のお福さんに思わずじっくりと見入ってしまいます。このみっちり感はまるで引札版ウォーリーを探せ!ですね。   専門は巨大化させちゃえ 鮮魚商と料理仕出し屋の引札ですから、魚介モチーフを大胆に描いたのでしょうか。あり得ない巨大な伊勢海老を恵比寿様が笑顔で捕まえている、おめでたくてユニークなデザインです。このお店なら生きが良い鮮魚扱っていそう!と思ってしまう、今でも十分通用しそうな洒落た引札ですね。   金のなる木!? 商売繁盛の福の神である大黒様と恵比寿様が園芸に勤しんでいます。その木は「よくはたら木(良く働き)、ゆだんのな木(油断の無き)、あさお木(朝起き)、家内むつまじ木(家内睦まじき)」など、お金持ちになる心構えの文字で出来ています。商人への格言集といった風情です。   版元(印刷業者)の工夫 見本(テンプレート)躍進 同じデザインなのに、違うお店の引札。これぞ版元の工夫で大流行した見本帳商売の活用例です。片や東村山の運送店、もう片方は京都の米屋です。同じ図柄であっても、運送店の方には大正五年の暦が入っており、米屋のほうには大きな米という文字が。同じテンプレートでもオリジナリティを出せる余地があったことが見て取れますね。   究極の複合技。グラビアで広告で情報誌! 幕末から明治中期にかけて活動した人気絵師 月岡芳年が描いた「東京料理頗別品(とうきょうりょうり すこぶる べっぴん) 芝口 伊勢原」。浮世絵の画題によくあった店の看板娘を描く美人画と、その店の宣伝を兼ねて描くという、ハイブリッドな工夫を凝らした作品です。これは、伊勢原以外にも久保町の松栄亭、芝神明の車屋など高名な会席茶屋に各地の美人名妓や仲居を描いた揃物(シリーズもの)です。二階の手すりに寄る芸妓 柏屋小兼、三味線を置いて徳利を持つ芸妓 立花屋小登喜、奥の階段を上ってくるのは仲居のよしと云われています。明治四年の作、文明開化ムードが窓の外の西洋館に見て取れます。なお、タイトル中の別品は、特別料理の別品と、美人の別嬪に掛けているのです。     いかがでしたか?引札を見ていると、社会の中での人々の生活や営みは100年以上前も、技術の差はあれど、大きな違いなど無いなぁと思います。人々の生活とそれを支える商売があって、それぞれが繁盛のために工夫を凝らす。デザイナーとしての絵師、引札のコピーライティングには戯作者が多かったようですし、出版社としての版元がいて、出来上がった引札は世間に散らばって、その情報を頼りに市井の人が買い物をしたり、アートとして部屋に飾ったり。歴史は全くの別世界などではなく、現在と地続きなのだなと実感してしまいます。 引札は、その時代の生活に密着した大衆的なものであっただけに、人々の生活、当時の社会情勢や文化を知る手がかりとなり得る、とても貴重な史料であるといえるでしょう。   引用:菊水通信Book版 Vol.12 https://www.kikusui-sake.com/book/vol12/#target/page_no=5

2020年10月30日

ふなぐちに合う缶つまはこれだ!

「コンビニ最強酒」に合う「おつまみ缶詰 No.1」が決定!     コロナ禍で外出や会食の機会が減り「家飲み」の時間が増えた反面、家の用事が次から次へと目について、新しい生活様式の中で、自分の晩酌まで手が回らないという方も多いかもしれません。忙しい大人たちにとって調理の手間無し、片付けらくらく、そして何よりおいしい缶詰のおつまみは、強い味方。そのバリエーションも幅広く、和洋折衷激辛ものまで缶詰はもはや「グルメ」と呼べるでしょう。   そんなグルメな缶詰シリーズの中でも「おつまみ缶詰No.1」(※1)として名高い国分グループ本社様の「缶つま」をパートナーに迎え、菊水酒造では、缶入り清酒No.1(※2)の「ふなぐち菊水一番しぼり」にぴったり合うおつまみ缶を決定するキャンペーンを実施しました。 その名も、「『ふなぐち』に合う『缶つま』選手権」。 食や酒の有識者や、菊水のファンサイト・SNSを通じて投票を呼びかけ、「ふなぐちに合う!」と思う「缶つま」をWEBで投票していただきました。 ◆ TOP3の缶つまとは・・・   https://www.kikusui-sake.com/home/jp/cp/funaguchi-cantsuma/result.html ◆ 味覚センサーで徹底分析!TOP3のマリアージュを科学する https://www.kikusui-sake.com/book/vol13/#target/page_no=5     ※1 富士経済「2019食品マーケティング便覧」 ※2 日経POSセレクション「平成売上No.1缶入り清酒」

2020年08月05日

オンラインで蔵見学開催しました 文化編

2019年秋から、一般公開を始めた菊水日本酒文化研究所。 一般見学やイベント開催などを通じてお客様にも楽しんでいただいてまいりましたが、新型コロナウイルス感染症拡大防止の対応として、5か月ほど公開を休止しています。   そんな中、ここ菊水日本酒文化研究所を会場に、8月1日にオンラインの酒育セミナーを開催しました。 セミナーでは文化研究員が講師を務め、いくつかの資料をピックアップして当時の時代背景なども絡めながらご紹介させていただきました。     収蔵品の中には、今年の3月に発売された特殊切手「美術の世界」に採用されている伊万里の大皿によく似た食器も。切手のモチーフになった大皿は東京国立博物館に収蔵されているそうです。研究所が収蔵する3万点の資料の中には、このように何かのきっかけで、改めて価値を知るものもあるんです。     文献資料の中には江戸中頃~明治 出版・印刷文化の進展で流通した引札や錦絵、名所図会、草双紙、瓦版などもそろっています。 「料理早工風」は嘉永6(1853)年に作成されたもの。1853といえばペリー来航。当時の人々がどんな料理を食べていたのか一覧を眺めるだけで面白いですね。     また、20世紀初頭の料理書・婦人雑誌の付録「職業別榮養料理圖解」には、職業別におすすめのお料理が詳しく掲載されていて、お相撲さんや、野球選手のページも。現代はアスリートめし、なるものがあったりしますが、パフォーマンスを高めるための献立の視点は今に通じるものがあります。     一通り、ご覧いただいた後には、菊水日本酒文化研究所が企画したグッズも紹介させていただきました。 昔の人から日本酒のかかわり方、遊び方を学び、現代風にアレンジしたりしています。 こちらは、中央に浮き球があってお酒を注ぐと音が鳴るという仕掛け酒器で、その名も「風鈴杯」。 とっても涼しげな音で、今の季節にぴったりです。     一時間ほどのセミナーの間は、受講者の皆様からQ&Aやチャットで質問やご意見をお寄せいただき、オンラインながらも画面の先のお客様を感じながらお届けすることができました。 ご参加いただいた皆様、ありがとうございました。 菊水酒造ではこれからもオンラインでのイベントを通じて、日本酒を面白く楽しくするコトづくりを行って参ります。   ◆セミナーでも紹介した収蔵品について、もっと知りたい方はこちら「菊水通信」日文研EYE ◎人と酒を結ぶもの https://www.kikusui-sake.com/book/vol11/#target/page_no=5 ◎ぐい吞みコレクション https://www.kikusui-sake.com/book/vol4/#target/page_no=5 ◎「引き札」 https://www.kikusui-sake.com/book/vol12/#target/page_no=5

2020年06月05日

庭匠 田中泰阿弥が手掛けた『菊水庭園』

菊水が蔵を構える新発田市は、越後平野(新潟平野)の北部に位置し、中世にはこの地を流れる新発田川の流域にその水運を生かして城が築かれました。 江戸時代には十万石の城下町として栄え、武家町・町人町・寺町などの特徴的な町が形成されました。現在も城下町当時の区割りや道、歴史的建造物など、かつての姿をまちの随所に見ることができます。 ご紹介したいのは「清水園」、近江八景を取り入れた回遊式庭園です。中央には草書体の「水」の字をかたどった池が配置されており、池の周囲には五つの茶室が点在しています。その凛とした美しい佇まいと歴史的観点より2003年に国の名勝に指定されました。 清水園は江戸時代に幕府茶道方の縣宗知の指南により築造されましたが、昭和20年代に荒廃した同園を田中泰阿弥が修復しました。 田中泰阿弥は銀閣寺の清泉の石組の発掘復元をはじめ全国各地の寺院や名園を手掛け、孤高の庭匠と呼ばれた人物です。 池泉と一体になり景観に溶け込む5つの茶室を建立、京都から運んだ石を配し、古い記録と聞き込みに基づいて丹念に修復した結果、他に比をみない名園となりました。現在高い評価を得ている清水園の作庭は、そのほとんどが田中泰阿弥の再生作業の賜物と言えるでしょう。城下町新発田ならではの歴史ある庭園、新発田の誇りです。 旧新発田藩下屋敷庭園 清水園 http://hoppou-bunka.com/shimizuen/ennai.html   さて。菊水では平成最後の秋に敷地内庭園の一般公開をはじめました。 菊水酒造の創業家・高澤家の邸宅庭園として1969年に造られたもので、実は前述の清水園を手掛けた田中泰阿弥氏の手による庭なのです。 [caption id="attachment_537" align="aligncenter" width="640"]   造園当時の様子。右奥が庭匠 田中泰阿弥[/caption]   こちらは、水を用いずに石の組み合わせや地形の高低などによって山水の景色を表現する枯山水庭園ですが、庭全体では池泉回遊式庭園の形式であり、中央に枯山水の手法で表現された池が配置されて、言うなれば池泉回遊式と枯山水が絶妙に組み合わされた風情ある庭園です。 田中泰阿弥の作庭では枯山水は珍しいのだそうです。菊水酒造には、1966,7年に続けて大水害に見舞われ現在の地に移転を余儀なくされた苦難の歴史があり、もしかしたらその悲劇を知る田中泰阿弥氏は蔵元への配慮から水を用いない枯山水を取り入れたのかもしれません。 [caption id="attachment_539" align="aligncenter" width="640"] 大小の石を組み合わせて水の流れを表現[/caption]   石は菊水の近くを流れる加治川など各地を歩きまわった中で、この庭に合うものを集めてきたそうで、中央奥の石組は滝を、そこからの流れは加治川をイメージしているようです。 また、田中泰阿弥氏の庭園は苔が美しいことで有名ですが、高澤家の庭園も枯池の周辺に杉苔が張り巡らされ、瑞々しい緑色が広い庭を覆っています。 完成から今年でちょうど50年。木々は大きく成長し春から夏は鮮やかな緑が、秋には真っ赤に染まった紅葉が庭を彩ります。そして冬は雪景色と四季折々の楽しみ方があります。 飛び石に沿って歩き木々を愛でながらぐるり一周、風景に癒されるもよし、静かに枯山水を眺め精神世界や作り手の心象風景に思いを馳せるもよし。 現在は、蔵見学を中止しているため庭園の公開も中止していますが、再開した折には、ぜひ日本庭園の奥深さを体験しにいらしてください。 [caption id="attachment_540" align="aligncenter" width="640"] 菊水庭園[/caption]   菊水酒造蔵見学のご案内 https://www.kikusui-sake.com/home/jp/labo/

2020年05月07日

北越後・新発田も田植えの季節

ここ、北越後新発田では田植えの時期を迎えようとしています。   北越後の大地の恵みを醸す意味 私たちは、米の産地の特徴つまり“テロワール”に加え、蔵人の技術や蔵元の考えがあいまって日本酒の“個性”が形成されると考えていますから、我々の社名と同じ名を持つこの酒米「菊水」の小さな苗を、手作業により植え、秋の収穫の時期まで稲の成長を見守り、そして秋に収穫した米で酒を醸すことは一続きです。   わずか25粒の種籾から復活した酒米菊水 酒米菊水は1937年に愛知県にて誕生しました。酒の原料米として大変優れた性質を持ちながら、戦中の食糧難により姿を消した品種です。1997年にわずか25粒の種籾から、新潟の専門農家グループ「㈲共生の大地にいがた21」の手により復活させることに成功しました。私たちはこの米で酒を醸すことに意気込みを感じ、2000年冬より『酒米菊水 純米大吟醸』を醸造しています。   手作業の田植えに込めた思い 菊水の酒造りという仕事は良い自然環境があってこそできるものです。その良い自然環境を皆さんに実際に体感していただくため、昔ながらの作業方法での田植えや稲刈りの作業を通じて田んぼの感触などを身体で感じてもらうことに大きな意味があると考えています。 過去の田植えイベントの様子 例年は「酒米菊水」の田植えを社員と協力農家の方々、そして近隣地域の皆さんと一緒に行っています。現在では様々な情報が世の中にあふれていますが、そんな中でも五感をフルに使って聞いたり見たり、触れたりする実体験を通じて自然環境を意識し、一緒に新発田の自然の恵みから菊水の酒が生まれていることを実感し、より一層の美味しさを知っていただきたいと思うのです。   令和2年の田植え 5月2日快晴の青空の早朝、菊水の蔵人が数名の姿が新発田の田んぼにありました。 今年は大勢の方とともに田植え作業で汗を流すことはできませんでしたが、北越後の自然の恵みに感謝し、地域の方々と一緒に分かち合い、美味しい酒や発酵食品をつくることでお返していく、根底にあるこの思いは変わることはありません。 秋にはいつものように収穫祭を行い、集まって美味しいお酒が飲めることを祈ってやみません。   酒米菊水を原材料にしたお酒はこちら 「酒米菊水純米大吟醸」 https://www.kikusui-sake.com/home/jp/products/p013/ 「酒米菊水純米大吟醸原酒」 https://www.kikusui-sake.com/home/jp/products/products-3268/