北越後だより

2021年05月01日

【菊水140周年】時代を超えて愛される、新発田出身のイケメン画家「蕗谷虹児」とは?

こんにちは。菊水酒造です。 第二弾は「”北越後の旅”気分プレゼントキャンペーン」賞品の「花嫁クリアファイル」の絵を描いた「蕗谷虹児記念館」を訪れました。 菊水がある、北越後新発田を訪れた気持ちでご覧ください♪ 新発田出身の有名画家「蕗谷虹児」。皆さん、何と読むか分かりますか? 茨城県出身の私。恥ずかしながら、一発で読めませんでした…。 ただ、小さい頃は絵を描くことが好きで、1日美術館で過ごせるタイプの私。 「ふきや こうじ」記念館は、思わず仕事のことを忘れてしまうほど、とても素敵な空間でした…。 異国風の建物に視線が釘付け 新発田駅から車で6分。新発田市民文化会館の隣に「蕗谷虹児記念館」があります。 まず、入館する前に目を奪われたのが、記念館の美しい外観です。 こちらは、世田谷美術館の建設にも携わった有名な建築家、内井昭蔵氏の作品で、「記念館そのもので虹児の抒情を具現したい」と、「大正ロマン時代」と「寒いところに建つ」イメージを取り入れて建設されたロシア正教会風の建物です。1998年には、優れた公共建築物として称される「公共建築百選」にも認定されました。   建物は八角形の形をしており、天井も高く、教会を思わせるような出立です。入口のフォントが可愛いくて、思わずパシャリ。4月中旬の青空の中に建つ姿も素敵でしたが、雪が降る頃のグレーの空にもまた、建物が美しく映えておススメだそう。 「蕗谷虹児記念館」って? 今回、施設内を案内してくださった長谷川静生さん。普段は、蕗谷虹児に関する歴史や作品の調査研究をなさっています。 記念館は、1987年7月1日に新発田市で開館され、蕗谷家から寄贈された原画800余点を柱に、直筆原稿や書籍、印刷物、その他資料3,000余点ほどが収蔵されています。 一斉を風靡した蕗谷虹児 今から123年前、明治31年に新潟県新発田市に生まれた蕗谷虹児は、幼い頃から絵を好み、竹久夢二(画家・詩人)の絵を透写するなどして遊ぶ少年でした。絵の才能に恵まれた虹児。21歳には、少年時代からの憧れであった竹久夢二の紹介で「少女画報」に挿絵を描き、画家デビューを果たしました。その後も、「令女界」(密文館)や「少女倶楽部」(講談社)、川端康成と吉屋信子の小説で人気のあった「少女の友」(実業日本社)の挿絵・表紙絵を担当しました。 虹児が手がける作品の多くは、女性がモデル。 社会進出が始まった大正時代を生きる女性たちの、凛とした顔立ちが目を引きます。色気もありながら、力強い眼差しで何かを訴える女性たちは、当時多くの人の心を奪ったことでしょう。 今も根強いファンが多い「花嫁」 さて、皆さんは時代を超えて愛され続ける虹児の作品「花嫁」はご存じですか? こちらは虹児が絵だけではなく、作詞を手掛けたことでも有名です。 「絵にしたい情景は、詩と同時に思い浮かぶものだ」と虹児はよく言っていたそうです。 写真や肉眼では分かりにくいかもしれませんが、実はこの花嫁、目にうっすらと涙がにじんでおり、記念館では虫眼鏡を使って観察することができます。 新発田市では、虹児の業績を讃え、切手としても販売しています。この切手を結婚式の招待状に貼る方も多いのだとか。 https://www.post.japanpost.jp/kitte_hagaki/stamp/furusato/1997/0618_yome/index.html 「”北越後の旅”気分プレゼントキャンペーン」では、こちらの「花嫁」のクリアファイルもプレゼントいたします。使いやすい、A4サイズのファイルで、蕗谷虹児記念館のみで販売されているレアな一品です。その華やかで、目を引く上品な花嫁の姿に、みんなの視線も釘付けになること間違いなし!(?)。ぜひ、涙の跡も探してみてくださいね。 様々なタッチで描かれた作品がズラリ 他にも、記念館では虹児が手掛けた多くの作品を見ることができます。 数々の有名雑誌を飾った絵をはじめとし、パリ留学の影響を受けた作品や、国際的にも評価が高い線画、どこか懐かしさを覚える童話の挿絵など。思わず時間を忘れてしまうほど、魅力的な作品がたくさんあります。 ↓菊水蔵元4代目 髙澤英介が愛した「語らい」も展示されています(写真右下1949年作、記念館ができた1987年寄贈)。 ↓高畑勲さんが総監督を務めた「アルプスの少女 ハイジ」の参考資料にもなったとされる「アルプスの少女」。 私が心惹かれた展示はこちら「POP」の作品たち。時代は1930年頃の作品です。 つらい戦争下にあっても、その時代を生きる女性たちの姿を、美しく、そして力強く描いています。 あの有名映画監督と意外な共通点 そしてなんとビックリ。 虹児は、日本初!長編カラーアニメーション『白蛇伝』(1958年作、東映映画)の公開に先駆けて、テスト製作された短編カラーアニメ「夢見童子」を監督したそうです。 当時、虹児は作画、構成、台本、広告デザイン等、一人何役も担当したそう。長谷川さんから聞いた話によると、このプロデュース・スタイルは、のちの宮崎駿のスタイルの先駆けとなったともいわれているそうです。 すっかり、蕗谷虹児の魅力にドはまりした私。 記念館から出る前から、「また、ゆっくり来よう…!」と心に固く誓ったのでした…。 今後、皆さんも新潟に訪れる機会がありましたら、ぜひ新発田市の「蕗谷虹児記念館」を訪れてみてくださいね。 ▼蕗谷虹児記念館 https://www.city.shibata.lg.jp/shisetsu/kanko/kanko/1005062.html ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 「“北越後の旅”気分プレゼントキャンペーン」は終了いたしました。たくさんのご応募をいただきありがとうございます。 ★☆★☆★☆★キャンペーン賞品のご紹介★☆★☆★☆★ ★A賞「"北越後の旅"気分BOX」 140名 北越後の特産品を詰め合わせたボックスです。菊水のお酒はもちろん、北越後の豊かな大地で育まれたお米や野菜などなど、ご自宅でこの地に訪れたような旅気分をお届けしたい、そんな想いで組み合わせました。(写真はイメージです。内容は変更となる場合がございます。ご了承ください。) ★ダブルチャンス賞「菊水オリジナルマスク」 1,000名 日本初の元祖生原酒缶「ふなぐち菊水一番しぼり」のイラストがワンポイントの菊水オリジナルマスクです。カラーは汚れが目立ちにくいライトグレー。やさしい肌触りの2層構造、洗える布マスクです。アタッチメント付きで、ひもの長さの調整が可能です。

2021年04月23日

【菊水140周年】ドイツ伝統製法で作られた、こだわりの「ポークあらびきウインナー」に迫る

こんにちは。菊水酒造です。 このたび菊水は創業140周年を迎えることができました。 この140周年という節目の年を迎えることができますのも、日頃よりご愛飲いただきます皆様方のおかげでございます。この場を借りて改めて感謝申し上げます。 さて、こちらでは、現在開催中の「”北越後の旅”気分プレゼントキャンペーン」の豪華景品達の魅力や、菊水が根ざす北越後の情景をご紹介します! ぜひ、北越後を旅する感覚で、楽しんでいただけたら嬉しいです。 記念すべき第一弾は、キャンペーン賞品のひとつ北越後胎内産ハム「ポークあらびきウインナー」の製造現場を取材させていただきました! まだ桜が残る4月13日。 新潟県胎内市にある「ハナノ産業」さんにお邪魔しました。 菊水がある新発田市から、車で北上すること約30分。 緑が生い茂る山に囲まれ、綺麗な川(胎内川)が流れる場所に、今回のキャンペーン賞品「ポークあらびきウインナー」をつくる製造場があります。 製造場の近くには、胎内フィッシングパークやロイヤル胎内パークホテル、胎内スキー場があり、大人も子どもも四季を通して楽しめる施設が充実し、新潟県民に愛される観光スポットとしても有名です。 こちらの「ハナノ産業」さんは、昭和63年に創業し、主にお肉の加工製造を行っています。 ドイツ伝統製法の指導を受け継ぎ、30年以上に渡り、手作りのハム・ソーセージを作り続けています。 ドイツ伝統製法も大きな魅力の1つですが、もちろん素材にもこだわりが。 新鮮な新潟県産の豚肉だけを使い、肉の旨味がより染み込むように時間をかけて熟成させています。その後、天然スモークハウスで桜の木をいぶして、じっくり燻製を行います。 安全第一をモットーに塩や調味料はすべて天然物を選ぶというのもハナノ産業さんのこだわり。ぎりぎりまで塩分を低く押さえ、健康にも配慮したやさしい味わいに仕上げています。 ふと、工場の中を見渡すと、そこには、たくさんのお手紙と新潟県民にはおなじみのTVアナウンサーの皆さんの色紙たちが。 北越後に根差して30年、ハナノ産業さんのこだわり、やさしさが商品を通して伝わり、地域のみんなに愛されつづける企業であることを物語っていました。 さて、その気になるお味は? さっそく「ポークあらびきウインナー」を食べてみました! 従業員の皆さんに聞いたところ「ボイル」と「焼き」どちらもおススメ!とお伺いしたので、調理方法を変えて、食べ比べを楽しんでみました。 焼きの方は、写真からも伝わるように「皮パリ&ジューシー」。噛めば噛むほど肉汁が溢れ、歯ごたえもしっかり。 いぶした香りがしっかり感じられ、一昨年にキャンプ場でしたBBQを思い出しました。おいしい! 次はボイル。「あ、甘い!」思わずこぼれた言葉です。 焼きの方はジューシーさが魅力的でしたが、こちらは焼きよりも脂が甘く感じました!ソーセージ特有の皮の歯ごたえが抑えられ、スープに入れても美味しそう。 個人的には、外気分を味わいたい時は焼き。さらっと食べたいときはボイルがおススメです。 さて、ソーセージに合わせるお酒と言えば、ビールを思いつく方が多いと思いますが、今回は菊水の日本酒を合わせてみました! というのも、ソーセージ自体の香りがとてもよく、お肉の味わいがしっかりと感じられるので、日本酒の香りもより引き立たせられ、相乗効果が生まれるのでは…?と思ったからです。 ソーセージをかじり「ふなぐち菊水一番しぼり」を一口。 …はい、ビンゴ!美味しくない訳がない!!! 生原酒のふなぐちは、アルコール度数19度、旨味たっぷりの濃い味わいが特徴なのですが、お肉の味わいは消えず、口の中いっぱいにお肉の旨味が広がりました。 そしてふなぐちをまた一口。 今度は、日本酒のフルーティーな香りが口、鼻の中に広がり、心が満たされる感じ。 贅沢ってこういうことを言うんだなぁと、時間の流れをゆっくり感じながら、特別な時間を過ごしました。   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 「“北越後の旅”気分プレゼントキャンペーン」は終了いたしました。たくさんのご応募をいただきありがとうございます。    

2021年03月29日

|日文研EYE|日本のお花見のルーツを辿る

コロナ禍での二度目の春。各地の桜の名所にはいろいろな感染防止対策が講じられ色々な制約はありますが、やはり桜だよりには心躍るものですね。 さて、「飲み物や食べ物をもって桜の下で催す宴会」という、これまで日本でお馴染みであったこのお花見の習慣は、世界的にみても珍しかったようです。 様々な文献を紐解くと、日本独特の花見に2ツのルーツがありました。ひとつは貴族・武士など特権階級文化の花見、もう一つは農民文化の花見です。 奈良時代の貴族は中国に倣い梅の花を愛でる梅花の宴を行っていました。遣唐使が廃止された平安時代には日本古来の桜が梅より人気となり、貴族が宮中行事として桜の樹の下で優雅に歌を詠み、花見の宴を開きました。花といえば桜を指すようになったのがこの頃。奈良時代に作られた万葉集には梅を詠んだ歌が多く、平安時代の古今和歌集には桜の歌が断然多いことからも人気が逆転した事実が読み取れます。 鎌倉・室町時代には武士階級で花見の風習が広がります。豊臣秀吉が京都・醍醐山に700本もの桜を植樹し、千名超えの招待客という「醍醐の花見」が有名です。貴族や武士は単なる楽しみとしてだけではなく、権力誇示や支配階級であることの確認など政治の延長として豪華な花見を開いた側面もあったようです。 [caption id="attachment_1184" align="alignnone" width="640"] 行厨とは台枠の中に重箱・酒器などを組み込み、物見遊山に携行したもの。提重、野弁当、花見弁当とも称される資料です。様々な食器や酒器がコンパクトに、運びやすく作られています。当品には燗銅壺がセットになっており、野外で温酒を楽しんだことを教えてくれます。[/caption] 一方で農民たちが昔から行っていた農事としての花見もあります。ご馳走を詰めた重箱や酒をたずさえて山に入り、桜の木の下で宴を催し、春に桜の木へ降りてくるという田の神様に豊作を祈願する「春山入り」「春山行」と称される宗教色の強い行事です。農民たちは桜の咲き具合でその年の豊・凶作を占ったとか。まさにこれは日本人の自然信仰の姿。山、海、森や草木など自然界のすべてに神が宿っている=八百万の神を信じ、崇拝する気持ちに他なりません。 庶民が娯楽としてお花見を楽しむ様になったのは江戸時代から。八代将軍吉宗が風光明媚な場所に桜を植え、庶民に開放したことをきっかけに桜の下で宴会を楽しむ花見のスタイルが広まりました。 戦がなくなり特権階級のものだった花見も庶民が楽しめる時代になったこと、神人共食を行う日本古来の自然信仰、何より日本人の美意識にぴったりな桜の花、これらが長い歴史の中で融合し、現在のような日本独特のお花見スタイルになったのでしょう。 [caption id="attachment_1185" align="alignnone" width="640"] 菊水酒造が根差す北越後の桜の名所の一つ。のどかな田園風景の中に壮大な桜並木がどこまでも続いています。[/caption] 桜の木の下で乾杯!とはいきませんが、桜の開花を喜びながら一献、この時期だけの風情を楽しみたいものです。 参考:菊水日本酒文化研究所 ■デジタルブック『菊水通信』3号より https://www.kikusui-sake.com/book/vol3/#target/page_no=9

2021年01月20日

二王子岳 日本二百名山の一座、農耕の神山

菊水の蔵をいつも大きく包んでくれている二王子岳(にのうじだけ)。 加治川と胎内川に挟まれ、南北20kmにわたって蒲原平野に臨む飯豊連峰前衛の巨峰です。 古くから農耕の神山として新発田市民に仰ぎ親しまれたこの二王子岳、山麓の二王子神社には大国主命・豊受姫大神・一言主命・熊野加布呂命が祀られており、境内案内板には「古来より農業生産所業の守護神、除災承服身体擁護の神として由緒深遠霊験あらたか」と記されています。北越後の肥沃な大地を潤す清冽な雪解け水を湛える加治川の流れを見れば、まさに二王子岳は農耕の神山に違いありません。 私達に多くの恵みをもたらしてくれるこの霊峰にあやかり、また感謝の意を込めて菊水の蔵は「二王子蔵」としています。 二王子蔵の仕込み室の大きな窓から二王子岳と山裾に広がる圃場の風景が一体で眺望できるようになっています。   蔵人は「この窓から見える風景によりこの山と大地の恵みを深く実感する」と、「あらためて感謝を以って酒を醸すことができる」と言い、まさにこれこそ菊水が一番大事にしている気持ちなのです。 この二王子岳、飯豊連峰の全容が美しく広がる山頂からの羨望も抜群で、交通も便もよく、毎年多くの登山者やスキー客で賑わいます。これからの季節には「二ノックススノーパーク」が人気です。 二王子岳の斜面を生かした様々なスキー・スノーボードのコースがあり、用具のレンタルやスクールなども揃っているそう。またこちらにはナイター営業もあるので仕事終わりにひと滑り!という菊水社員もいるのです。 自然の恵みをもたらしてくれ、祈りの対象であり、人々を遊ばせてもくれる。新発田に生きる私達にとって二王子岳はなくてはならない存在なのです。二王子岳に抱かれたこの地に、菊水は今までもこれからも根を張り、感謝を込めてこの大地の恵みを醸してまいります。 ◆ブック型「菊水通信」はこちら  

2020年11月09日

古のチラシ「引札」百花繚乱

私たちがチラシと呼んでいる広告宣伝のために作られ配布される印刷物、実は江戸の頃からあったのをご存じですか? もちろん今のような印刷技術はありませんから往時は木版画、名称も「引札」と呼ばれていたようです。始まったのは元禄の頃からで、町人文化の最盛期である文化文政の頃から花開いたと言われています。 江戸時代の商業主義の発展に伴って登場し、明治時代には印刷技術の革新もあり、多種多様に盛んに発行されるようになりました。それまでの店の看板や暖簾といった常設の広告と大きく異なり、お客様の手に渡せ、多くの人に伝達できるこの画期的な宣伝手段は隆盛を極めました。 引札という名称も諸説ありますが、お客様を引く引き付けるための札だから引札という説、また昔は「配る」ことを「引く」とも言っていたことから引札と呼ぶという説が有力です。一般に引札と呼んだのは大正の初めころまでで、それ以降はチラシと呼ばれるようになったと(関西では昔からチラシと呼んでいたという説もあり)言われています。   まるでその時代にタイムスリップ!収蔵品の一部をご紹介 菊水の日本酒文化研究所(日文研)も200枚を超える引き札を所蔵しています。初期の品と思われる墨一色の口上を述べただけのシンプルなものから、店舗内部を描いた多色刷りの美しい絵図に、まるで現在の通販のような販売の仕組みを朗々と述べる口上を添えた呉服店の立派な引き札、オーソドックスに干支を描いた年始のご挨拶用引札から洒落の効いたデザイン性の高いものなど、本当にバリエーション豊かです。往時の人々の生活を活き活きと伝えてくれる引札資料は、見ているとまるでその時代にタイムスリップしたような気持ちになれるのです。一部をご紹介しましょう。   正月引札 干支 年始の挨拶に配るために作られた引札を、特に正月引札と呼びます。干支や宝船、福の神など新しい年を言祝ぐに相応しい吉祥柄が描かれることが多い様です。日文研所蔵の正月引札の中から今年(令和二年)の干支である子(ねずみ)の引札です。ねずみ、打ち出の小槌に実った稲穂とお目出たいモチーフが満載。表装したら掛け軸になりそうですね。 お多福満載 楽器を奏でたり、書をしたためたり、お酒を飲んだり、あらやだオホホと笑い合ったり、楽しそうなお福さんがぎっしりと描かれており、賑やかでお目出度くて微笑ましい作品。それぞれに違った様子のお福さんに思わずじっくりと見入ってしまいます。このみっちり感はまるで引札版ウォーリーを探せ!ですね。   専門は巨大化させちゃえ 鮮魚商と料理仕出し屋の引札ですから、魚介モチーフを大胆に描いたのでしょうか。あり得ない巨大な伊勢海老を恵比寿様が笑顔で捕まえている、おめでたくてユニークなデザインです。このお店なら生きが良い鮮魚扱っていそう!と思ってしまう、今でも十分通用しそうな洒落た引札ですね。   金のなる木!? 商売繁盛の福の神である大黒様と恵比寿様が園芸に勤しんでいます。その木は「よくはたら木(良く働き)、ゆだんのな木(油断の無き)、あさお木(朝起き)、家内むつまじ木(家内睦まじき)」など、お金持ちになる心構えの文字で出来ています。商人への格言集といった風情です。   版元(印刷業者)の工夫 見本(テンプレート)躍進 同じデザインなのに、違うお店の引札。これぞ版元の工夫で大流行した見本帳商売の活用例です。片や東村山の運送店、もう片方は京都の米屋です。同じ図柄であっても、運送店の方には大正五年の暦が入っており、米屋のほうには大きな米という文字が。同じテンプレートでもオリジナリティを出せる余地があったことが見て取れますね。   究極の複合技。グラビアで広告で情報誌! 幕末から明治中期にかけて活動した人気絵師 月岡芳年が描いた「東京料理頗別品(とうきょうりょうり すこぶる べっぴん) 芝口 伊勢原」。浮世絵の画題によくあった店の看板娘を描く美人画と、その店の宣伝を兼ねて描くという、ハイブリッドな工夫を凝らした作品です。これは、伊勢原以外にも久保町の松栄亭、芝神明の車屋など高名な会席茶屋に各地の美人名妓や仲居を描いた揃物(シリーズもの)です。二階の手すりに寄る芸妓 柏屋小兼、三味線を置いて徳利を持つ芸妓 立花屋小登喜、奥の階段を上ってくるのは仲居のよしと云われています。明治四年の作、文明開化ムードが窓の外の西洋館に見て取れます。なお、タイトル中の別品は、特別料理の別品と、美人の別嬪に掛けているのです。     いかがでしたか?引札を見ていると、社会の中での人々の生活や営みは100年以上前も、技術の差はあれど、大きな違いなど無いなぁと思います。人々の生活とそれを支える商売があって、それぞれが繁盛のために工夫を凝らす。デザイナーとしての絵師、引札のコピーライティングには戯作者が多かったようですし、出版社としての版元がいて、出来上がった引札は世間に散らばって、その情報を頼りに市井の人が買い物をしたり、アートとして部屋に飾ったり。歴史は全くの別世界などではなく、現在と地続きなのだなと実感してしまいます。 引札は、その時代の生活に密着した大衆的なものであっただけに、人々の生活、当時の社会情勢や文化を知る手がかりとなり得る、とても貴重な史料であるといえるでしょう。   引用:菊水通信Book版 Vol.12 https://www.kikusui-sake.com/book/vol12/#target/page_no=5

2020年10月30日

ふなぐちに合う缶つまはこれだ!

「コンビニ最強酒」に合う「おつまみ缶詰 No.1」が決定!     コロナ禍で外出や会食の機会が減り「家飲み」の時間が増えた反面、家の用事が次から次へと目について、新しい生活様式の中で、自分の晩酌まで手が回らないという方も多いかもしれません。忙しい大人たちにとって調理の手間無し、片付けらくらく、そして何よりおいしい缶詰のおつまみは、強い味方。そのバリエーションも幅広く、和洋折衷激辛ものまで缶詰はもはや「グルメ」と呼べるでしょう。   そんなグルメな缶詰シリーズの中でも「おつまみ缶詰No.1」(※1)として名高い国分グループ本社様の「缶つま」をパートナーに迎え、菊水酒造では、缶入り清酒No.1(※2)の「ふなぐち菊水一番しぼり」にぴったり合うおつまみ缶を決定するキャンペーンを実施しました。 その名も、「『ふなぐち』に合う『缶つま』選手権」。 食や酒の有識者や、菊水のファンサイト・SNSを通じて投票を呼びかけ、「ふなぐちに合う!」と思う「缶つま」をWEBで投票していただきました。 ◆ TOP3の缶つまとは・・・   https://www.kikusui-sake.com/home/jp/cp/funaguchi-cantsuma/result.html ◆ 味覚センサーで徹底分析!TOP3のマリアージュを科学する https://www.kikusui-sake.com/book/vol13/#target/page_no=5     ※1 富士経済「2019食品マーケティング便覧」 ※2 日経POSセレクション「平成売上No.1缶入り清酒」

2020年08月05日

オンラインで蔵見学開催しました 文化編

2019年秋から、一般公開を始めた菊水日本酒文化研究所。 一般見学やイベント開催などを通じてお客様にも楽しんでいただいてまいりましたが、新型コロナウイルス感染症拡大防止の対応として、5か月ほど公開を休止しています。   そんな中、ここ菊水日本酒文化研究所を会場に、8月1日にオンラインの酒育セミナーを開催しました。 セミナーでは文化研究員が講師を務め、いくつかの資料をピックアップして当時の時代背景なども絡めながらご紹介させていただきました。     収蔵品の中には、今年の3月に発売された特殊切手「美術の世界」に採用されている伊万里の大皿によく似た食器も。切手のモチーフになった大皿は東京国立博物館に収蔵されているそうです。研究所が収蔵する3万点の資料の中には、このように何かのきっかけで、改めて価値を知るものもあるんです。     文献資料の中には江戸中頃~明治 出版・印刷文化の進展で流通した引札や錦絵、名所図会、草双紙、瓦版などもそろっています。 「料理早工風」は嘉永6(1853)年に作成されたもの。1853といえばペリー来航。当時の人々がどんな料理を食べていたのか一覧を眺めるだけで面白いですね。     また、20世紀初頭の料理書・婦人雑誌の付録「職業別榮養料理圖解」には、職業別におすすめのお料理が詳しく掲載されていて、お相撲さんや、野球選手のページも。現代はアスリートめし、なるものがあったりしますが、パフォーマンスを高めるための献立の視点は今に通じるものがあります。     一通り、ご覧いただいた後には、菊水日本酒文化研究所が企画したグッズも紹介させていただきました。 昔の人から日本酒のかかわり方、遊び方を学び、現代風にアレンジしたりしています。 こちらは、中央に浮き球があってお酒を注ぐと音が鳴るという仕掛け酒器で、その名も「風鈴杯」。 とっても涼しげな音で、今の季節にぴったりです。     一時間ほどのセミナーの間は、受講者の皆様からQ&Aやチャットで質問やご意見をお寄せいただき、オンラインながらも画面の先のお客様を感じながらお届けすることができました。 ご参加いただいた皆様、ありがとうございました。 菊水酒造ではこれからもオンラインでのイベントを通じて、日本酒を面白く楽しくするコトづくりを行って参ります。   ◆セミナーでも紹介した収蔵品について、もっと知りたい方はこちら「菊水通信」日文研EYE ◎人と酒を結ぶもの https://www.kikusui-sake.com/book/vol11/#target/page_no=5 ◎ぐい吞みコレクション https://www.kikusui-sake.com/book/vol4/#target/page_no=5 ◎「引き札」 https://www.kikusui-sake.com/book/vol12/#target/page_no=5

2020年06月05日

庭匠 田中泰阿弥が手掛けた『菊水庭園』

菊水が蔵を構える新発田市は、越後平野(新潟平野)の北部に位置し、中世にはこの地を流れる新発田川の流域にその水運を生かして城が築かれました。 江戸時代には十万石の城下町として栄え、武家町・町人町・寺町などの特徴的な町が形成されました。現在も城下町当時の区割りや道、歴史的建造物など、かつての姿をまちの随所に見ることができます。 ご紹介したいのは「清水園」、近江八景を取り入れた回遊式庭園です。中央には草書体の「水」の字をかたどった池が配置されており、池の周囲には五つの茶室が点在しています。その凛とした美しい佇まいと歴史的観点より2003年に国の名勝に指定されました。 清水園は江戸時代に幕府茶道方の縣宗知の指南により築造されましたが、昭和20年代に荒廃した同園を田中泰阿弥が修復しました。 田中泰阿弥は銀閣寺の清泉の石組の発掘復元をはじめ全国各地の寺院や名園を手掛け、孤高の庭匠と呼ばれた人物です。 池泉と一体になり景観に溶け込む5つの茶室を建立、京都から運んだ石を配し、古い記録と聞き込みに基づいて丹念に修復した結果、他に比をみない名園となりました。現在高い評価を得ている清水園の作庭は、そのほとんどが田中泰阿弥の再生作業の賜物と言えるでしょう。城下町新発田ならではの歴史ある庭園、新発田の誇りです。 旧新発田藩下屋敷庭園 清水園 http://hoppou-bunka.com/shimizuen/ennai.html   さて。菊水では平成最後の秋に敷地内庭園の一般公開をはじめました。 菊水酒造の創業家・高澤家の邸宅庭園として1969年に造られたもので、実は前述の清水園を手掛けた田中泰阿弥氏の手による庭なのです。 [caption id="attachment_537" align="aligncenter" width="640"]   造園当時の様子。右奥が庭匠 田中泰阿弥[/caption]   こちらは、水を用いずに石の組み合わせや地形の高低などによって山水の景色を表現する枯山水庭園ですが、庭全体では池泉回遊式庭園の形式であり、中央に枯山水の手法で表現された池が配置されて、言うなれば池泉回遊式と枯山水が絶妙に組み合わされた風情ある庭園です。 田中泰阿弥の作庭では枯山水は珍しいのだそうです。菊水酒造には、1966,7年に続けて大水害に見舞われ現在の地に移転を余儀なくされた苦難の歴史があり、もしかしたらその悲劇を知る田中泰阿弥氏は蔵元への配慮から水を用いない枯山水を取り入れたのかもしれません。 [caption id="attachment_539" align="aligncenter" width="640"] 大小の石を組み合わせて水の流れを表現[/caption]   石は菊水の近くを流れる加治川など各地を歩きまわった中で、この庭に合うものを集めてきたそうで、中央奥の石組は滝を、そこからの流れは加治川をイメージしているようです。 また、田中泰阿弥氏の庭園は苔が美しいことで有名ですが、高澤家の庭園も枯池の周辺に杉苔が張り巡らされ、瑞々しい緑色が広い庭を覆っています。 完成から今年でちょうど50年。木々は大きく成長し春から夏は鮮やかな緑が、秋には真っ赤に染まった紅葉が庭を彩ります。そして冬は雪景色と四季折々の楽しみ方があります。 飛び石に沿って歩き木々を愛でながらぐるり一周、風景に癒されるもよし、静かに枯山水を眺め精神世界や作り手の心象風景に思いを馳せるもよし。 現在は、蔵見学を中止しているため庭園の公開も中止していますが、再開した折には、ぜひ日本庭園の奥深さを体験しにいらしてください。 [caption id="attachment_540" align="aligncenter" width="640"] 菊水庭園[/caption]   菊水酒造蔵見学のご案内 https://www.kikusui-sake.com/home/jp/labo/

2020年05月07日

北越後・新発田も田植えの季節

ここ、北越後新発田では田植えの時期を迎えようとしています。   北越後の大地の恵みを醸す意味 私たちは、米の産地の特徴つまり“テロワール”に加え、蔵人の技術や蔵元の考えがあいまって日本酒の“個性”が形成されると考えていますから、我々の社名と同じ名を持つこの酒米「菊水」の小さな苗を、手作業により植え、秋の収穫の時期まで稲の成長を見守り、そして秋に収穫した米で酒を醸すことは一続きです。   わずか25粒の種籾から復活した酒米菊水 酒米菊水は1937年に愛知県にて誕生しました。酒の原料米として大変優れた性質を持ちながら、戦中の食糧難により姿を消した品種です。1997年にわずか25粒の種籾から、新潟の専門農家グループ「㈲共生の大地にいがた21」の手により復活させることに成功しました。私たちはこの米で酒を醸すことに意気込みを感じ、2000年冬より『酒米菊水 純米大吟醸』を醸造しています。   手作業の田植えに込めた思い 菊水の酒造りという仕事は良い自然環境があってこそできるものです。その良い自然環境を皆さんに実際に体感していただくため、昔ながらの作業方法での田植えや稲刈りの作業を通じて田んぼの感触などを身体で感じてもらうことに大きな意味があると考えています。 過去の田植えイベントの様子 例年は「酒米菊水」の田植えを社員と協力農家の方々、そして近隣地域の皆さんと一緒に行っています。現在では様々な情報が世の中にあふれていますが、そんな中でも五感をフルに使って聞いたり見たり、触れたりする実体験を通じて自然環境を意識し、一緒に新発田の自然の恵みから菊水の酒が生まれていることを実感し、より一層の美味しさを知っていただきたいと思うのです。   令和2年の田植え 5月2日快晴の青空の早朝、菊水の蔵人が数名の姿が新発田の田んぼにありました。 今年は大勢の方とともに田植え作業で汗を流すことはできませんでしたが、北越後の自然の恵みに感謝し、地域の方々と一緒に分かち合い、美味しい酒や発酵食品をつくることでお返していく、根底にあるこの思いは変わることはありません。 秋にはいつものように収穫祭を行い、集まって美味しいお酒が飲めることを祈ってやみません。   酒米菊水を原材料にしたお酒はこちら 「酒米菊水純米大吟醸」 https://www.kikusui-sake.com/home/jp/products/p013/ 「酒米菊水純米大吟醸原酒」 https://www.kikusui-sake.com/home/jp/products/products-3268/

2019年12月07日

こだわりの酒器は大人のたしなみ。お酒を楽しむ“ぐい呑み”をご紹介

お酒好きなら酒器選びにもこだわりたいもの。新潟県新発田市「菊水酒造」の蔵内に構える「菊水日本酒文化研究所」では、酒や酒文化に関する文献、酒を嗜む酒器など、三万点もの資料を収蔵しています。そのコレクションの中から自慢の酒器をご紹介する連載企画、第一弾です。 『スカーレット』のモデルとなった、陶芸家・神山清子さん 2019年9月に放送が始まったNHK朝の連続ドラマ小説『スカーレット』は、焼き物の里である滋賀県の信楽を舞台に女性陶芸家の半生を描くドラマです。ドラマのヒロイン、戸田恵梨香さんが演じる陶芸家のモデルとなった人物が、女性陶芸家の草分けでもある陶芸家の神山清子さん。   神山清子さんは1936年に長崎県佐世保市で生まれ、父親の仕事の都合で各地を転々とし、信楽に移り住みます。信楽焼の絵付けを請け負う会社で助手をしたあと、27歳で独立して本格的に作陶を開始しました。   当時、焼き物の世界は男社会。女性が窯場に入ると「穢(けが)れる」と言われ、窯焚きをする女性はいませんでした。そういった背景の中で神山清子さんは土と炎と格闘を続け、試行錯誤の末に生み出されたのが、釉薬をかけない独自の「信楽自然釉」です。   貴重なぐい呑を収蔵する「菊水日本酒文化研究所」 現在も現役の陶芸家として活躍している神山清子さんですが、実は、新潟にもゆかりのある陶芸家。1960年から約10年間、小千谷市内で作陶を行いながら、陶芸教室を開催していたことがあります。   そんな縁もあってか、「菊水日本酒文化研究所」では神山清子さん作の「信楽自然釉」ぐいのみが収蔵されています。   「見込み」と呼ばれる器の内側の部分は、信楽焼の特徴でもある粗い肌で温かみのある赤茶色。外側の「胴」と呼ばれる部分には、自然釉がたっぷりとかかっていて、まるで白い雪がキラキラと舞うような美しい表情を見せます。見る角度ごとにいろいろな景色を想像させられますね。   お酒に欠かせないおちょこや、ぐい呑といった酒器。生み出した作家のストーリーを知ってからお酒を注ぐと一味違う味わいが楽しめそうです。   住所:新潟県新発田市島潟750 菊水酒造株式会社 見学お申込み・お問合せ 電話:0254-24-5544(9:30〜16:30、日曜・祝日を除く) 営業カレンダーはこちらhttps://www.kikusui-sake.com/home/jp/labo/   「陶芸家・神山清子さんのぐい呑」についてはこちらでも紹介しています。 ブック版 菊水通信vol.8